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逃げる幼馴染、追う脳筋一途男。その間に挟まった運動不足な私(※別れさせ屋)の受難  作者: 寝不足魔王


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第3話:美玲、成敗する(と見せかけて、修行)

「愛なんて、言葉のドブさらいよ。……特に、あんたみたいな男のはね」


 薄暗いオーセンティックバー。私は、目の前の男の顔面に、数枚の写真を静かに滑らせた。

 男――今回のターゲットである大学生の拓海は、顔を真っ青にして絶句した。


「こ、これは……」

「言い訳は聞かないわ。昨日、別の女性とホテルに入るところ。そして、一昨日、また別の女性に『君の将来のために別れよう』と泣きついていたところ。ご丁寧に一言一句、録音も済ませてあるわ」


 私は、長い足を組み替え、冷徹な視線を刺す。

 今回の依頼主は、この男に「君が重すぎるから、僕らは離れるべきだ」と告げられ、自分を責めていた純真な女の子。

 だが、事実は違う。この男はただ、複数の女性をキープしながら「自分が悪者にならない別れ方」を模索していただけの、薄っぺらな嘘つきだ。


「別れたいなら、自分の口で『他に女がいる』と言いなさい。それが唯一の誠実さよ」

「……く、クソッ……なんだよ、あんた!」

「ただの、正義の味方よ。……あ、言い忘れたけど。愛を語る前に、その薄っぺらいプライドを腹筋で鍛え直してきたら? そんな腑抜けた体じゃ、嘘を突き通すスタミナも足りないわよ」


 私は、カクテルグラスに残ったチェリーを一口で食べ、席を立った。

 背後で男が情けなくうなだれる気配。完璧な仕事ワークだ。

 プロとしての矜持を取り戻し、私はバーの重厚な扉を押し開けた。


(ふふ、決まったわ。これよ、これが本来の私……!)


 夜風を浴びながら、勝利の余韻に浸ろうとした、その時。


「美玲さん! 今の言葉、痺れました!」


 街灯の影から、見覚えのある「鋼の塊」が飛び出してきた。


「……せ、誠司さん!? なんでここに!」

「香奈から、美玲さんがこの近くで『悪い奴を成敗する』って聞いたんです。こっそり見ていましたが……感動しました。『腹筋を鍛え直せ』。まさにその通りです!」


 誠司は、キラキラと輝く瞳で私を見つめている。

 待って。それ、ただの捨て台詞(比喩)だから。


「不誠実な心は、不健康な体に宿る。美玲さんの哲学、深く理解しました。というわけで――」

「という、わけで……?」

「今日は特別に、深夜まで営業している『ボルダリングジム』を予約しておきました! さあ、行きましょう、美玲さん。自分の言葉に責任を持つために!」


 ――あ、終わった。


 私の華麗なプロの余韻は、誠司の極太の腕に引かれるがまま、都会のネオンの中へと霧散していった。


     *


「……無理。……垂直。……絶対、無理」


 三十分後。私は、極彩色の突起物ホールドが散りばめられた絶壁の前に立たされていた。

 そこは、お洒落なスポーツクライミング施設……などという生温いものではなく、ガチの競技者が通う、傾斜130度のオーバーハングがそびえ立つ魔窟だった。


「さあ美玲さん、まずはあそこのピンクのホールドから! 反動を使わず、広背筋を引き寄せるイメージです!」

「誠司さん。私、さっきまでバーでカクテル飲んでたの。……ドレスにチョークの粉がつくなんて、聞いてない……!」

「大丈夫、動きやすいウェアもレンタルしておきました! さあ、上を目指しましょう!」


 断る間もなく、私は壁に張り付かされた。

 誠司はと言えば、重力を無視したような動きでスイスイと壁を登り、天井近くで「ほら、こっちですよ!」と、まるで天国への階段を案内する天使のような顔で笑っている。


「(なんで……なんで私が、夜のオフィス街でスパイダーマンの真似事をしなきゃいけないのよ!)」


 指先が震える。腕はすでにパンパンだ。

 下を見れば、誠司が「体幹! 体幹を意識して!」と拳を握って応援している。


「……もう、限界……! 離すわよ、手を離すからね!」

「美玲さん! そこで諦めるのは、さっきの男と同じですよ! 自分に嘘をつかないで!」

「あああもう! あんたのそういうところが、一番好きで一番嫌いよ!」


 私は絶叫しながら、必死に次の突起を掴んだ。

 結局、私が地上に降りられたのは、ジムの閉館時間ぎりぎりだった。


     *


「……腕が。……腕が、生まれたての小鹿みたい……」


 帰り道。私は、自分のカバンを持つことすらままならず、両腕をだらりと下げて歩いていた。

 隣を歩く誠司は、一滴の汗もかいていない涼しい顔で、私を見守っている。


「美玲さん、いい登りでした。あそこで粘れるのは、本物の『愛』がある証拠です」

「……もう、愛なんてどうでもいい。……一刻も早く、湿布と寝床が欲しい……」

「そう言うと思って、これ。プレゼントです」


 渡されたのは、無機質な鉄製のバネがついた器具だった。


「……何これ」

「ハンドグリップです。60キロ設定。これを毎日寝る前に100回やれば、次回のオーバーハングも楽勝ですよ!」

「……。……誠司さん」

「はい?」

「……これ。あんたの寝首を掻くための筋力トレーニングだと思って、毎日やるわ」


 私は、震える手でその重量感のある器具を抱え、夜道を急いだ。


 プロの別れさせ屋、美玲。

 

(……負けへん。……明日、絶対に最強の湿布買ってやる……!)


 私の指先には、誠司の腕の熱さと、冷たい鉄の感触だけが残っていた。


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