第九十二話 新たな一日の始まり
左の首筋にチクチクとなにかが刺さる。普段感じることのない痛みを感じて、目を瞬かせると、
真っ暗闇の中に見慣れた天井が見えた。
なんで自分の部屋にいるのだろうか? 不思議に思って、身体を起こそうと試みるも鉛を付けたような重みを感じて、起こす事ができない。
身体を動かすことを諦め、なにが起こったのか記憶を辿ってみようと試みるが、頭の中に白い靄が渦巻いていて、記憶が混濁している。
なにもすることができない。そんな中、目だけは動かせる事に気が付いた僕は視線を時計のある場所へと移す。
長針と短針は十二時をさしている。部屋の暗さから考えると、恐らく今は二十四時ってことだろう。
目が少しずつ暗闇に慣れてきた。僕は次に左の首筋のチクチクと痛む方向に視線を移すと、銀色の髪が僕の呼吸に合わせて上下に揺れている。
た、立花さん!? そう思った瞬間、脳が覚醒し立花さんとお風呂に入っていた事を思い出す。
立花さんがお湯に入って、僕が逃げようとしたら押さえられた。
そこまではいい、肝心なのはそのあとだ。視界がグニャっと歪んだと思ったら、急に目の前が暗くなって気が付いたら自分の部屋にいた。
まって、どういう状況!?
状況が全く飲み込めず多少焦った僕は、少し強引に右手を動かし、身体の上にかけられているなにかをめくりあげた。
その瞬間、サーッと血の気が引いて行くのがわかった。
バスタオルだけが腰に巻かれている僕の横で、下着姿の立花さんが僕に寄り添うように寝息を立てている。
一気に心拍数が跳ね上がり、脇の下から汗が溢れてきた。
お酒は飲めない。けどこれはまるで、アニメや映画によくある、お酒に酔ったそのままの勢いで、記憶が無いままやってしまったような────そんな光景に見えて仕方ない。
僕は貞操を失ったのか?
ポッカリ空いている記憶の穴を埋めようと、小さな僕を総動員させて、記憶の痕跡を探そうとする。だけど、どれだけ探してもその穴に当てはまるピースを探し出す事ができない。
完全に気が動転した僕は、「た、立花さん」と弱々しく立花さんの名前を口に出してしまう。
立花さんが、ん? ん〜〜と言って、僕の胸に顔を一度擦り付けてから、上目遣いで「景くん起きたの」と訊ねてくる。
「お、起きました! た、立花さん、このじ⋯⋯」僕はそこまで言いかけて、唇をキュッと閉じた。
あ、危なかった〜〜、もしこれがなんらかの行為のあとで、本当に貞操を失っていたとしてだ────その相手に状況を訊ねるのは悪手としか言いようがない。
僕が眉間に皺を寄せ歯を食いしばっていると、立花さんが下腹部を擦りながら、
「なんか幸せだね。まだここに、景くんがいるみたいに感じる」そう言って、碧眼を潤ませるとまた僕の胸に顔をうずめた。
あ、貞操失いました⋯⋯
そう思った瞬間、総動員させていた小さな僕は活動を停止させ、初めてだったのに全く記憶がないという、あまりにも情けなすぎる状況に頭の中が真っ白になってしまった。
放心状態の僕に更に追い討ちをかけるように、立花さんが僕にズシッと馬乗りになってきた。
なにが始まるのだろう?無感情のままその行く末をただただ眺めていると、
立花さんが僕の胸の突起物にキスをする。
くすぐったいなと死んだ魚のように立花さんの動向を観察していると、舌を出したまま僕の首筋までなぞってくる。
そのまま耳朶まで舌が届くと、息遣いの荒い立花さんの声が耳元から聞こえてきた。
「ねぇ〜景くん⋯⋯もう一回しよ」立花さんが甘く熱を帯びた声でしっとりと懇願してくる。
もう一回と言うか⋯⋯その一回目を全く覚えてないんです。なんて事は口が裂けても言えず、ゆっくり頷くと立花さんの唇と僕の唇が重なった。
そのまま何度もキスを重ね、舌を絡め続けていると、カチッとなにかが外された音が聞こえた。
立花さんが僕の手首を掴み、そのまま自分の双丘へと誘導する。
僕は導かれたまま、その豊潤な果実に手をかけた。まるで水風船を触っているかのように柔らかくて弾力がある。
そのまま僕と立花さんは、蕩けるように肌を重ね合い、時間が溶けていくほどのキスを重ね、気付くと空気中の酸素を吸うように自然と二回戦が始まっていた。
ただ、一つ気になるのは⋯⋯立花さんが小刻みにずっと震えていることだけだ。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯
『嘘だッ!!!!』
後日譚。
朝、目を覚ますとなにも着ていない僕と立花さんはお互いに見つめ合っていた。そんな中、やっぱり腑に落ちない点が多過ぎる。そう思った僕は、あくまで僕が浴室で体験した不可解なことを当たり障りなく訊ねてみる。
「立花さん、昨日お湯につかっている時に突然目の前が真っ暗になったのですが、あの時の事ってなにか覚えてます?」お互いが見つめ合ったまま僕が話を切り出すと、立花さんが目を明後日の方向に逸らした。
「あー、うん、あれね⋯⋯景くんのぼせちゃってさー、気を失っちゃったんだよねー」立花さんはそう言い終わると、空気が抜けているような口笛を吹き始める。
「そうなんですね⋯⋯それで目の前が真っ暗に⋯⋯介抱までしてもらって⋯⋯」でも待てよ? そんな状態で僕は貞操を失ったのか?
頭の中に疑問符の大群が押し寄せてくる。
そんな僕の様子を見た立花さんが目を泳がせながら「景くんそろそろ起きよっか?」と訊ねてきた。
明らかに様子がおかしい。そう思った僕が近くに置いてあった避妊具の箱を手に取り中身を確認しようとすると、「ちょっ、景くんなにしてるの?」と僕を制止させようとしてくる。
怪しすぎる。そう思った僕は箱の中身を強引に取り出して数をかぞえた。
九個⋯⋯十個入りの箱の中身は八個ではなく九個。これはつまり?
『テレテレッテッテッテー』
こうして、僕と立花さんのとの新たな一日が始まった。




