第九十一話 クリスマスイブに二人切りのお風呂
僕が立花さんに脱衣所まで連行されると、到着するなり半ば強引に水着を履くように言われた。仕方なく水着に着替えると、そのまま浴槽へと沈められる。
顎先まで湯船に浸かり横目で立花さんの様子を確認しようとするも、浴室の電気が消されているのと立ち込める湯気のせいで影が動いているようにしか見えない。
ここで一つ勘違いして欲しくないのは、立花さんをいやらしい目で見ているのではなく、次なにをしてくるのかがわからなくて警戒しているだけで決して、たわわに実った胸、程よく引き締まったウエスト、ツンと上がったお尻を見ているわけではない。
「景くん、体洗ってあげようか?」立花さんの声で肩が一瞬跳ね上がった。
「け⋯⋯、けこ⋯⋯結構です」僕がなんとか喉元に引っかかった言葉を押し出すと、立花さんはカエルか?と言ってキュッと蛇口を閉め身体を洗い始める。
シャワーの流れる音すらなくなると、浴室内で響き渡る音は僕の高鳴る心臓の音だけとなった。
立花さんには聞こえていないとわかってはいるものの、心臓の鼓動は早く、そして強くなっていく一方で静まる気配がしない。
流石にこのままではヤバイ、と思い目を閉じ瞑想をしてみると、
聞き耳を立てるつもりはないが、立花さんの身体を擦る音が聞こえてくる。恐らく真横から聞こえてきているので肩から下辺りを洗っている所だと思う。
突然フワッとボディーソープの匂いが鼻腔をくすぐった。今度はなんだろうと思い薄目を開けると、立花さんが立ち上がり腰の辺りを洗い始めていた。
その立ち姿に心臓が跳ね上がると、僕は目に皺を寄せ閉じる。
このままでは本当にヤバイ気がする、そう思った僕は3.14159265⋯⋯円周率を数え始める。
それを数えている内に身体を洗いおわったのか、キュッと蛇口が開かれる音が聞こえシャワーが流れ始めた。
身体を洗い終わってしまう。そうなると、次は頭を洗うのかな? その後は⋯⋯もう円周率を数える余裕すらない。そう思った僕は力いっぱい合唱をして、頭の中の雑念をなくそうと試みる。
身体を流し終わったのか? キュッと蛇口が閉められる音が聞こえ湯の中に何かがチャプンと入る音が聞こえた。
「景くんなに合唱してんの?」
その声で恐る恐る目を開くと、銀色の髪を大きめのヘアクリップで高めのお団子にした立花さんが僕の向かい側で湯に浸かっていた。
予想はしていた、だがもう少し猶予があると思っていた。心の準備すらできていない僕は、
「あ、僕出ますね」と言って立ち上がろうとした。
すると立花さんが「やだ」と言って、体を半回転させると、そのままゆっくりと僕の方に背中を向け近付いてくる。
今日一番のいや、生まれて初めてくらいに心臓が早鐘を打ち、喉を通り口から飛び出しそうになり咄嗟に口を押さえた。
そんな僕をよそに立花さんは、足と足の間に座って身体を僕に預けてきた。
これでは命がいくつあっても足りない。
「た、立花さん⋯⋯、少し離れて下さい」僕が語気を強め懇願するも立花さんは「絶対にいやよ」と言って離れようとしない。
それどころか、僕が立ち上がれないように全体重を身体に預け、足を押さえてきた。
この体制でここまでされたら万に一つも立ち上がれる気がしない。
僕は逃げ出すのを諦めて、頭を壁にもたれさせ天を仰いだ。
すると立花さんが僕の肩に頭をもたれさせ「景くん、拒絶してないってのは前に聞いたから知ってるけど、流石にずっと逃げられるとなんでかな? って不思議になるんだよね。なにか私に悪いところがあれば直したいと思うんだ。だから、何かあるなら教えてよ」
静寂が浴室を包み込んだ。それは単純に僕が立花さんの悪いところがあるかないか考えただけで、聞かれた事に固まったり故意に口を噤んだわけじゃない。
そもそも、考えても立花さんに悪いところなんてあるはずも無く、原因は完全に僕自身の問題だ。
「初めてだから自信がないんです。立花さんに幻滅されたらどうしようとか、嫌われたらどうしようとか⋯⋯そんな悲観的な考えが頭を巡っちゃって、それで余計に緊張しちゃって⋯⋯」発している言葉が物凄く弱々しいのに、浴室の中にいるせいで声が反響する。
それでも立花さんは僕のそんな気持ちをちゃんと理解してくれたみたいで、フゥーと一息ついてからゆっくりと話しだした。
「私も初めてよ。急ぎ過ぎたのかな? でもね、私も不安なのよ⋯⋯景くん押しに弱いじゃん? なんかその場の雰囲気で流されてとか、無理矢理にとか考え出したら止まらなくて⋯⋯私にとって景くんは最初で最後の人でいて欲しいから⋯⋯」
立花さんを不安にさせていたんだと思ったら、心臓の奥がキュッと締め付けられた。
軽薄な言葉で、僕も立花さんが初めてで最後ですって言うのは簡単だった。でもそれでは立花さんが抱えている不安を無くす事はできないんじゃないかと思う。
だから僕は、立花さんが不安に感じないように、もしくは抱えている不安を払拭してもらえるように、自分から立花さんの首筋にキスをした。
立花さんの身体が跳ね上がった。それでも僕は何度も何度も首筋にキスをする。
「ちょっ、景くん待って、急になによ?」
「立花さんに不安な思いをさせてすみませんって思ったら、言葉じゃなくて行動で示そうと思って⋯⋯」
「極端過ぎない? まぁ少しびっくりしただけで、実際は嬉しいからいいけど⋯⋯」立花さんはそう言って、顎先までお湯に浸かった。
照れ隠しだろうか? でも喜んでもらえたなら良かった。
そこで肩の荷が下り安堵した瞬間。視界がまるで珈琲にミルクを入れた時みたいにグニャっと歪んで見え始めた。
それになんか思うように身体に力が入らない。
「景くん? ちょっと聞いてる? 景くんってば⋯⋯ちょっと大丈夫!?」
なんか遠くの方で立花さんが大声で叫んでいる気がする。
「⋯⋯景くん!! ねぇ景くん⋯⋯」




