第四十八話 朱里と二階堂琴音
重苦しい空気が漂い始めると、喉が乾きうまく呼吸ができなくなってきた。これからうちは何を問い質されるのだろうか?それを考えただけで、目の前の光景が揺れ、ぼやけ始める。
リビングに到着するなり「朱里そこに座って」と声をかけられて、おば様の向かい側に座ると、より一層空気が重たくなって、息を吸う間隔が短くなっていく⋯⋯
おば様が、耳に髪の毛をかけると、うちをまっすぐに見ながら話し始めた。「ねぇ朱里、これから話すことは重く受け取らないで欲しいの。正直、貴方を責めたくて話すわけじゃないから⋯⋯そのうえで、訊きたい事があるの」
「はい⋯⋯」うちはか細い声で、一つ返事をして俯いた。『重く受け取らないでほしい⋯⋯』その言葉が、脳に重く伸し掛かってきて、震える手を無理矢理に抑え込む。
それを察したのか、おば様が優しい声音で話を続ける。「景が小学六年生の夏、毎日のように家に迎えに来ていた朱里が、突然来なくなったのはどうして?」
おば様にそう訊かれた瞬間、うちの心臓が締め付けられて縮こまっていく。全てを見透かし、逃げ場を塞ぐ残酷な問いかけ⋯⋯
うちは、込み上げる涙を抑えきれず、眉根を寄せて顔を上げた。
「朱里、もうそういうのはいいから」と怒気を含んだ声が、うちの耳に届いた瞬間。
涙を拭った。「やっぱりおば様は、欺けないですね⋯⋯」そう言ってうちは、口角を上げて肩の力を抜いた。
「相変わらずね⋯⋯まぁいいわ、で、私の質問には答えてもらえるのかしら?」
恐らく、はぐらかそうとしても、事実を嘘で塗り固めても⋯⋯おば様なら全てを見透かすだろう。だったら⋯⋯悪女を演じ切ってやる。
うちは、指組みをして天を仰ぎ、深呼吸をして、おば様に向き直り不敵な笑みを作って話し始める。
「景を誰かに取られたくなくて、うちだけの物にしたくて、ずっとうちだけが側にいられるように景を孤立させました。だけど失敗して、うまくできなくて、うちも側にいられなくなりました」
そう答えるとおば様が、「そう⋯⋯、景に好意を抱いてくれてありがとね」と目尻を下げ、うちを見ながら言った。
いや、違うでしょ?普通ここは怒る場所でしょ?親子揃って、なんで?なんでそんなに清らかにまっすぐでいられるの?
「朱里そんな顔しないで、正直ね⋯⋯何かに気付いたとしても、親にはやってあげられる限界があるのよ⋯⋯それがもどかしくて、悔しくて⋯⋯」そう言い終わると、おば様が顔に翳りを見せた。
それを見たうちは身を乗り出して、「おば様!心配しないで下さい!景のことはうちに任せて、今度こそ絶対に失敗しないから」と本音を漏らしてしまった⋯⋯
それを聞いたおば様が、「朱里⋯⋯任せる任せないも、それは私が選べる事じゃないの、相手を選ぶのは景自身じゃない?私が言いたいのは、それ以前の問題⋯⋯」
なに?おば様は何が言いたいの?それ以前の問題?うちはおば様の、物憂げな言い方にもどかしさを覚えて、眉間に皺を寄せると。
「身に覚えない?⋯⋯避けられたりとか?あれわざとやってるわけじゃないのよ、病気では無いと思っているけど⋯⋯景、女性苦手じゃない?」と言って、悲痛な表情を浮かべる。
え?あれ?うちが嫌われたから、避けられてたわけじゃなくて?女の子全員に同じ態度とっていたってこと?待って待って、辻褄合わないでしょ?事実、蒼と仲いいじゃん?とうちが怒りを露わにすると。
「蒼ちゃんとの事を疑問に思っているのよね?あれには私も驚いたのよ、それと同時に嬉しくも思った⋯⋯やっと、やっと少しだけ前に進めたのかなって⋯⋯」そう言って、おば様は俯く。
「それ明らかにうちの責任じゃないですか?なおさら責任取らないとですねー、まぁおば様は安心して見ててくださいよ!」と明るく話した瞬間。
「朱里⋯⋯」と呼ばれ振り返る。
『バチィィィィィィンッ』
一瞬、目の前で火花が舞い落ち、左頬が熱くなってきた。口の中で、錆びた鉄屑のような匂いが広がっていくと、うちは自分が何をされたのか気付いて、顔を上げた。
「蒼ちゃん!」と言って、おば様が視界の中に入ってくる。蒼?
遮られた視界の隙間を見ると、蒼が立っていた。「朱里、同じ人を好きになった者同士、あんたを認めていた部分もあった⋯⋯だけど、お義母さんの顔見てなにも感じないの?二階堂くんを傷つけておいてなにもないの?糞女だとは思っていたけど、今のあんたただのクズよ」
うちは蒼にそう言われて、蒼の顔とおば様の顔を交互に見た。二人とも、今にも泣きだしそうな顔をしながら、下唇を噛んでいる。
あ、うちまたやっちゃったんだ⋯⋯でも謝る気なんて毛頭ない。演じ切ったその先に、景をものにできるならなんだってする⋯⋯
そう思ってうちは、「今日は帰ります⋯⋯」そう呟いて、左頬を抑えながらその場をあとにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
母さんと朱里、何を話してるんだろう?それに立花さん⋯⋯遅いな、お菓子食べ過ぎちゃったのかな?薬あったかな?と何かと気が散り、勉強に集中できずにいると、突然部屋の扉が開けられた。
「ごめん景、うち今日は帰る⋯⋯」そう言って、自分の鞄を雑に取り上げると、そのまま出て行ってしまった⋯⋯
じょ、状況が飲み込めない⋯⋯そう思って僕は、立ち上がってリビングへと向かった。




