北の砦へ②
アドリアンはアリーナの理解に合わせて、ありとあらゆる戦いにおいて必要な知識を教えてくれた。
必ず全てが必要になる訳ではないが、知識はあればあるだけ考える材料になる。
「兄さま。兄さまは文官なのになんでそんなに戦うことに詳しいのですか?」
「うん。いいところに気づいたね。もし戦が起こったら、戦略を考えるのは文官の仕事なんだよ」
「なんで?文官の人は戦うのはお仕事ではないでしょ?」
「もちろん、文官だけではなくて、武官も一緒に考えるよ。誰がどれだけ戦えるかというのは武官の方が詳しいからね。だけど、戦争には兵站や外交、国全体の状況も関わってくる。だから、文官も戦略を考え、武官と協力して戦い方を決めるんだよ」
「ふーん…」
「アリーナは王女殿下の護衛になりたいんだろう?」
「うん!」
アドリアンの説明を少しつまらなさそうに聞いていたアリーナだったが、リオネッタの護衛になる夢のためだと思い出して、少し背筋を伸ばした。
「王女殿下の騎士になったとして、おそらく、実力的にも、身分的にも、アリーナは指揮官と同じことをすることになると思う。だから、いろんな戦略、戦い方、陣形、ありとあらゆることを知識として持っておかなければならないんだよ」
「なぜ?剣や魔法で姫さまを守るだけじゃダメなの?」
「うーん、そうだなぁ…。アリーナが普通に騎士団に入って、普通の騎士となるなら、ある程度知っていればいいとは思う。だけどな…。お前がなりたいのは王女殿下付きの護衛だろう。そうなると騎士団に所属していても、その司令系統が違うんだよ」
「どういうことなの?」
「王女殿下がお前の主人となる。何があっても、他の誰でもない王女殿下を一番に護ることが優先される。極端なことを言うと、王太子殿下と王女殿下が同時に危険に晒された時、王女殿下を優先する立場だ。それはわかるな?」
「うん」
「おそらく王国騎士団に所属する普通の騎士は、王太子殿下を優先する。次代の王と他国へ嫁ぐ王女であれば、国は非情な判断をしなければならない。でも、王女殿下付きの騎士となれば違う。何を犠牲にしても王女殿下を守らなければならない」
「それって王太子殿下を助けなかったって怒られないの?」
「怒られないよ。それが専属護衛騎士の仕事だからな。でも、そこにたくさんの騎士がいても、王女殿下を優先するのは圧倒的に数が少ない専属護衛騎士しか、王女殿下を助けられない。そうなった時、お前が他の護衛騎士にどうやって王女殿下を助けるか、というのを指示しなければならない。そのためには、ただ剣を振るうだけではなく、こうして頭を使った戦い方も知っておかなければいけないってこと。わかったかな?」
「はーい。わかりました」
「剣や魔法の方が楽しいのは、わかっているよ。でも、こうして勉強することで、剣や魔法の使い所がわかってくる。ただ覚えるだけではなく、自分だったらどうするか、どう戦うかを考えながら勉強しなさい」
優しく頭を撫でてくれる兄を思い出して、アリーナはふふ、と笑みをこぼした。
「どうしたのですか?お嬢様」
「こういう護衛計画考えたりするのを教えてくれた、アドリアン兄さまを思い出したの。最近は本当にお忙しくて、何かを教えていただくことは無くなってしまったけど、ちゃんと私の中に兄さまが教えてくれたことがあるって思うと、嬉しいわね」
「そうですね。アドリアン様は普段お嬢様にとても甘いのに、授業の間は結構厳しかったですよね」
あの頃はまだ侍女見習いであったが、乳母の子であったため、邸にいる間は常にアリーナのそばにいたため、リディアはアドリアンの授業を部屋の隅で見ていたのだ。
「あの…。アリーナ様。そろそろ…」
「ご就寝のご準備をなさいませんと、明日の朝の訓練に影響しますわ…」
イリーナとカリーナが、少し申し訳なさそうに声をかけた。
「え?もうそんな時間なの?」
椅子から立ち上がって時計を見れば、すでにいつもの就寝時間に近づいていた。
「お方様に怒られちゃう!イリーナ、カリーナ、ありがとう!」
「申し訳ありません。私たちも少々作業に集中しており、時間を失念しておりました」
「アリーナ様。こちらへ。今日は私が準備いたしました。リディア様の代わりにお手伝いいたしますわ」
「ありがとう!助かるわ」
アリーナはイリーナと一緒に浴室へ急いだ。
騎士を目指しているとはいえ、アリーナは公爵家の令嬢である。
ある程度は自由にさせてもらっているが、美容関係やマナーについては、セシリアに厳しく躾けられているのだ。
今この場にセシリアがいるわけでもないし、リディアとマルグリットがセシリアに密告するとは思っていないが、幼い時から染みついた生活習慣でもあり、アリーナはできるだけ生活のリズムを変えないように心がけていた。
「リディア様のように、うまくできるかはわかりませんが…」
そう言って、イリーナは湯船に浸かって一息ついているアリーナの腕を、優しく揉んでくれる。
「腕をしっかりほぐしておきますね」
「ありがとう〜嬉しい」
剣を振るうだけではなく、今は机に向かって護衛計画を考えるために色々書き物をしているので、利き手がいつもより鈍く重かった。
そこを、イリーナが優しくほぐしてくれるので、アリーナは気持ちよさにほうっと息をこぼした。
「あまり無理はされないでくださいね」
「心配してくれて、ありがとう。こうしてイリーナが気を遣ってくれるから、私、がんばれているわ!いつもありがとうね」
イリーナはアリーナが騎士になりたいという夢を持っていることを応援してはいるものの、やはり、公爵家の令嬢が、という思いもある。
リディアとマルグリットのように、応援だけはできなかった。
こうしてエメラルド皇国に来ている間についているだけであり、あくまでイリーナは皇后付きの侍女であるが、アリーナのことを二人目の主人であるように、とても大切に思っている。
アリーナもそれをわかっているから、あえて声に出してお礼を言うのだ。
「ありがとう。あなたとカリーナがいてくれるから、私はエメラルド皇国でも過ごしやすいわ」
「もったいないお言葉です…。ありがとうございます」
「心配もかけてごめんなさい。でも、やっぱり、やりたいこと、騎士になりたいっていう思いは、曲げられないの…」
「…」
少しの沈黙の後、イリーナが笑顔でアリーナの腕の一番凝っているところを、ぐりぐりと押した。
「痛い。痛い」
「皇国にいらっしゃる間は、私はアリーナ様の侍女です。快適にお過ごしいただけるよう、精一杯努めます」
「うん、ありがとう」
心強いイリーナの言葉に、アリーナの胸はじんわりと暖かくなったのだった。




