忍び寄る悪意③
ーー間に合え!
手のひらに魔力を集めて放つと、小さな風の刃が弓を構えている男の手に当たる。
「くっ」
弓を引くことに集中していた男が呻き、弓を落とした。
もう一度風魔法を発動させ、男が弓を拾えない位置まで吹き飛ばした。
ーーほんっとうに!
「最悪だわ」
アリーナが屋上での出来事を話すと、リオネッタとナナリーは血の気の引いた顔で口を押さえていた。
「そうか、分かった。よく生かしたまま捕らえたな」
「はい。生きたままでないと解決できないと思いましたので…」
死人に口なしという言葉がある。
皇后宮まで入り込めたのだ。何かしら権力を持っている者の策であるに違いないと、その場にいた全員が思っていた。
「ひとまず犯人が目を覚ましたら色々聞かないとね」
「はい。すでに皇后宮の騎士たちが段取りを整えております」
「では犯人の尋問は、そのまま皇后宮の騎士に任せよう」
「承知いたしました」
皇后宮の騎士がジークフリートの言葉を伝えるために、宮殿へ急いだ。
「皇太子殿下、発言よろしいでしょうか」
アリーナが手を挙げると、ジークフリートがゆっくりと頷いた。
「矢尻の形で犯人が所属する部隊が分かるのではないでしょうか?私もまだ知識が追いついていないのですが、確か北方で使われる形だったと記憶しております」
「確かに…」
屋上で回収した矢と弓はすでに皇后宮の騎士たちによって検分が始まっているので、いずれ犯人がどのあたりの出身であるかが判明するだろう。
「矢尻の形のことまで、よく覚えていたね」
「以前、祖父に聞いたことがあります。戦時中、矢で敵を倒した時に誰の手柄かわかるようにするために、地方によって矢尻の形を変えていたと…。羽の色や模様で個人を特定できるようにしていたとも聞いております。今では個人別ではないようですが、領ごとに違う矢尻を使う風習は残っていますよね」
「うん。よく学んでいるね。その通りだ。で、オスカー、もう分かっているのかい?」
ジークフリートがオスカーを見ると、オスカーはゆっくりと頷いた。
「はい。アリーナ嬢が言う通り、我が皇国の北方で使われる矢尻で間違いありません。しかも放たれた矢には毒が塗布されておりました。アリーナ嬢が気づいて椅子で弾いていなかったら、大変なことになっていたと思います」
「やはり、そうか…」
ジークフリートが眉を顰めた。
「私、もしくはリオネッタを狙ったとしたら、皇族を、狙ったことになる。アリーナ嬢、よく生きたまま捕らえてくれた」
確かに矢尻の形は北方で使われている形だが、だからといって、犯人が北の人間とも限らない。
もし犯人が死んでしまっていたら、何も情報を得られないまま、黒幕を探さなければならず、それは途方もないことだ。
「ひとつ気になることがあります」
オスカーがアリーナが弾いた矢の先を指さす。
「矢尻の先端が潰れています。これでは殺傷力がかなり落ちます。もし当たったとしても、打撲か、悪ければ骨折です。矢尻の先が尖っていないとせっかく塗った毒も意味がありません」
「確かに、そうだね…」
「犯人の目的が兄上やリオネッタ姫の命なら、こんな手の込んだことしないでしょう。何か別の目的があるのかもしれません」
矢じりに毒が塗ってあるのに、先端は潰されている。
相反する事象にその場にいる者は首を傾げた。
「リオネッタ。すまない。せっかく会えたのに、こんなことになってしまって…。君が来るから、万全を期したはずだったのだが…。せっかく楽しい時間だったのに、本当に申し訳ない」
皇族や王族は謝ったり頭を下げたりしてはいけない。
だが、この時のジークフリートは婚約者で隣国の第一王女へ頭を下げた。
「おやめください、皇太子殿下。これは誰も予想ができなかったことです。まさか皇后宮でこのようなことが起こるなんて…」
「しかし、君が危険に晒されたことは私の責任だ」
「皇太子殿下…。謝罪を受け取りました。もうお顔をおあげください」
そう。ここは皇后宮。主人である皇后でさえ、出入りの記録が残される。
その皇后宮に賊が入り込んだのだ。
おそらく今頃皇后の指揮のもと、皇后宮に入宮できる全ての者の身元の洗い出しが行われているのだろう。
まずは奇襲をしてきた男から…。
次にその男の後ろにいる人物の洗い出しまで、優秀な騎士や文官が対応するのだろう。
「ひとまず、部屋へ送るよ、リオネッタ。アリーナ嬢とナナリー嬢、すまないがしばらくリオネッタについていてくれ」
「承知いたしました」
ジークフリートのエスコートでひとまず部屋に戻ったリオネッタは、ジークフリートを見送った後、足の力が入らなくなり、ふらりと体が揺らいだ。
「姫さま!」
アリーナがしっかりとその小さな体を支えると、リオネッタの腕が小刻みに震えていた。
「あら、おかしいわ…」
震える自分の腕を見て、リオネッタの瞳が潤んだ。
未来の皇后として、命の危険に晒されるのは覚悟の上だ。
今の王女としての地位とて、騎士たちに守られているとはいえ、危険な地位にいることには違いないが、成人前であるため、こうして人の悪意を直に感じることがなかった。
「姫さま、リオネッタ様。もうここでは大丈夫です。私とナナリー様、そしてリオネッタ様の味方しかここにはいません。力を抜いて、大丈夫です」
リオネッタの震える体を支えながら、アリーナが優しく伝える。
「アリーナ様の言う通りです」
ナナリーがリオネッタの震える腕を優しく包み込む。
その温かさに、リオネッタの呼吸も体の震えも落ち着いていく。
「ありがとう…、少し落ち着いてきたわ」
ゆっくりと呼吸を繰り返していくうちに、リオネッタの体の震えがなくなり、呼吸も落ち着いてきた。
「王女殿下、温かいお飲み物を用意いたしました」
リオネッタの侍女が優しく声をかける。
その優しい声で、三人の緊張が解けていく。
そうすると、紅茶のいい香りに気がついた。
アリーナも知らず知らず、体に力が入っていたのだ。
ふうと、一度全身の力を抜いて、リオネッタを支えて立ち上がる。
「姫さま、改めて思いました。私はあなたをお支えすると共に、お守りしたいと…。だから、もっともっと心も武術も鍛錬して、精進いたしますね」
「私もです。私はアリーナ様のようにお守りすることはできませんが、必ずお近くでお支えします。それができるよう、私も精進いたします」
この場にいないオフィーリアも、きっと同じ気持ちだろうと、アリーナはリオネッタとナナリーを抱きしめた。
「さあ、王女殿下、アリーナ様もナナリー様も。美味しそうなお菓子もございますので、まずはゆっくりされてくださいませ」
リオネッタの侍女に促されて、三人はテーブルについた。
優しい紅茶の香りに、三人の強張っていた体から、少しずつ力が抜けていくようだった。




