エメラルド皇国への再訪④
次の日、朝食は部屋に運ばれたので、誰にも見られないのを良いことに、アリーナは食事を摂りながら、書類に目を落とした。
名前と顔は覚えるのは早いのだが、その二つの情報を結びつけるのが、少し苦手だった。
「お嬢様、今日だけですよ」
「わかってる」
とても令嬢としてマナーに欠ける行為ではあるが、今は時間がない。
とろとろのスクランブルエッグをスプーンで救って口に入れている姿は、とても他の人に見せられない。
セシリアがこの場にいたら、怒られていたことだろう。
手早く食事を終わらせて、移動用のドレスに着替える。
皇城に着いたらすぐに格式の高いドレスに着替えなければいけないので、リディアとマルグリットは荷物の最終確認を並行してやっている。
「はい。大丈夫ですよ」
マルグリットが髪を結い上げ、最後に父から贈られた、大きめのアメジストがはめられている髪飾りをつける。
かつてアメジリウス公爵家に誕生した、公女が好んで使っていた髪飾りを、レオンハルトがアリーナ用に直したものだ。
この髪飾りで、アリーナがアメジスト王国の高位貴族の令嬢だとわかるものだ。
いつもつけているものより格式の高い髪飾りで、アリーナの背筋が自然と伸びた。
「あら、今日は護衛が違うのね」
昨日はオスカーが同乗したが、今日はエメラルド皇国の女性騎士が同乗するらしい。
馬車の前で黒と緑の騎士服の女性が、リオネッタの姿を見つけると、深々と頭を下げた。
「彼女は皇后陛下付きの騎士の一人ですよ」
後ろからオスカーの声がして振り返ると、目元が少し暗かった。
おそらく彼も夜中にリオネッタの警備に加わっていたのだろう。
明け方バタバタと足音がしており、ただの見回りにしては騒がしかった。何かあったのかもしれないが、出発前の慌ただしい今、それを今確認する空気ではなかった。
「とても優秀な騎士なので、安心してください」
にっこり微笑むオスカーに、リオネッタは何も言わず、頼りにしてます。とだけ返した。
リオネッタが馬車に乗る際、アリーナが手を引き、その背中はアメジスト王国、エメラルド皇国の女性騎士が警戒する。
続いてナナリーが乗り込み、馬車がゆっくりと動き出した。
見送りも宿の主人をはじめ、スタッフ総出で盛大に送ってくれた。
アメジスト王国へ帰る時も使う予定なので、お待ちしていますと、深く頭を下げていた。
リオネッタが馬車から笑顔で手を振ると、手を振り返す者もいた。
宿屋のスタッフは馬車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれたのを、後方の窓から確認して、リオネッタが嬉しそうに微笑んでいた。
少しずつ、リオネッタの存在がエメラルド皇国の人々に浸透していく。
「到着次第すぐ皇后陛下の宮で謁見の準備ですから、姫さま少しでもおやすみください」
「そうですわ。目を瞑るだけでも休まりますから…」
「でも…」
ゆっくり休めたとはいえ、ここまでかなりの強行軍。そして皇城に着いてからも、かなりハードスケジュールになっている。
少しでも休める時に休まなければ体がもたない。
「わかったわ。少し休ませてもらうわね」
そう言ってリオネッタは深く座り直して、瞳を閉じた。
アリーナとナナリーも同じく瞳を閉じて、馬車の揺れに身を委ねた。
もちろん、アリーナは周りの様子に気を配っていた。
何かあればすぐに対処できるように…。
馬車に揺られて、しばらくして、アリーナはゆっくりと目を開けて、馬車の外を確認した。
宿屋を出た時はまだ山の中といった木々が並ぶ景色だったが、建物が立ち並ぶ皇都郊外に入ったことがわかった。
「まだお休みになられていても、大丈夫ですよ」
そう声をかけられたが、さすがに体が固まっていたので、アリーナはそのまま起きることにした。
完全に眠っていたわけではないが、体はだいぶ楽になっていた。
ジークフリートが用意してくれた馬車は広めで、座るところもクッション性があり、長距離の移動でも快適に過ごせるようになってる。
リオネッタの馬車も過ごしやすいが、ジークフリートの用意した馬車はそれを上回る。
おそらく今回の訪問に合わせて作られたものなのだろう。
リオネッタのために…。長距離移動の際、少しでも快適に過ごせるよう、心を砕いてくれたのだろう。
「道が綺麗に整備されてますね」
アメジスト王国も王都内はきれいに整備されており、馬車で大きく揺れることはないが、エメラルド皇国も同様に整備の手が行き届いていた。
「ええ。この大通りに続く道は少し前に整備が終わりました。あと、皇都の北、ノクスヴォルト伯爵領へ続く道も整備されてますから、お出かけになる際も快適だと思いますよ」
今回ノクスヴォルト領へ行くことはすでに護衛には伝わっているらしい。
皇太子とその婚約者が訪問するので、警備や出迎える準備があるのだろう。
しかし、またここでノクスヴォルトの名が出てきて、アリーナは違和感を覚えた。
なぜ、その北への道の整備が、どこよりも早くなされていたのか…。
西側のアメジスト王国への道も、まだ全て整備ができているわけでもないのに、なぜ、北への道が優先されているのかが、少し気になった。
ーー調べてみたほうがいいかもね。
「小石ひとつで馬が驚くこともありますしね…。姫さまも快適に過ごされていることと思います」
表情には決して出さずに、アリーナは当たり障りのない返事をした。
もちろん、本音である。
窓の外の景色が、少し懐かしく思える。
一年前に通った道。
「また無事にここに来れて、嬉しいわ」
リオネッタが目を覚まして、アリーナと同様に窓の外を見て小さく呟いた。
二人で街並みを見ていると、騎馬の騎士が目に入った。
馬車が安全に街道を走れるよう、交通整理をしていた。
もし誤って馬車の前に走り出してしまったら、怪我だけでは済まない。
ましてそれが皇太子紋が描かれたリオネッタが乗っている馬車であれば、厳しく罰せられても文句が言えない。
お互いにいいことがないのだ。
だからこうして騎馬で見回り兼、交通整備をしているのだろう。
「騎馬、カッコいいですね!」
アリーナが目をキラキラさせて窓の外を見る。
もちろん、乗馬の経験もあり、普通の貴族子息よりは乗りこなせているが、馬も騎士も甲冑をつけたまま、優雅に佇む姿は憧れる。
「皇国の騎馬隊は有名ですものねぇ」
話し声で目を覚ましたナナリーも、窓の外を見て、ほうっとため息を吐いた。
徐々に騎馬騎士の間隔が短くなり、馬車が通る幅を残してきれいに騎馬隊の道ができていた。
「圧巻ですね」
すっと馬も騎士も背筋を伸ばして、旗を掲げている。
エメラルド皇国の国旗、そして皇太子の紋が記された皇太子旗が風に揺られていた。
エメラルド皇国の国旗は深く美しいエメラルドグリーンの地に、黄金の双竜が左右に向き、その双竜の後ろには輝く太陽が描かれている。
国家の強さを表している素晴らしい国旗だ。
「輿入れまでまだ三年以上あるの、忘れそうだわ」
花嫁修行の訪問でこの歓迎ぶりなら、本当の輿入れの時はどうなるのか…。
アリーナは想像して苦笑いを浮かべた。
ーーこれだけの歓迎を見せなければならない人がいるってことなのね…。
同乗している二人の女性騎士に目配せをすると、二人が小さく頷いた。
アリーナも少し周りの気配に警戒をする。
「手を振ってもいいのかしら?」
「ぜひ、振り返してくださいませ。皆喜びます」
エメラルド皇国の女性騎士の言葉に、最初はそっと手を振ると、それに気づいた皇国民から歓声が上がった。
今日、皇太子の婚約者が来ることは周知されていて、その姿を一目見ようと駆けつけていたのだ。
「こんなに歓迎されるなんて…」
うっすらと涙を浮かべるリオネッタに、アリーナとナナリーが微笑みあった。
こうして主人が受け入れられているのを感じると、二人も嬉しかった。
騎馬隊と歓迎してくれる皇国民の姿が途切れると、大きな門扉が一行を迎える。
門番がゆっくりとその大きな扉をあけると、馬車の速度が落ちた。
皇城内へ入り、しばらく走ると、正門が見えてくる。
「あれは…」
正門の前に人だかりが見える。
その中にジークフリートの姿を見つけ、リオネッタの表情がぱあっと明るくなった。
「さすが、抜かりないですね…」
ここまでの高待遇で、最後にジークフリートがいなければ締まらないとは思っていたが、実際にその姿を見ると、よくやるなぁと感心した。
ゆっくりと馬車が止まり、御者が扉を開く。
まず、エメラルド皇国の女性騎士が降りて、周りを警戒する。
安全であることを確かめて、ジークフリートにひとつ頷くと、彼が馬車に近づいた。
リオネッタをエスコートするためだ。
「長旅、お疲れ様」
「お出迎えいただき、ありがとうございます」
ジークフリートの手を取って、リオネッタが馬車から降りる。
二人は見つめ合いながら門の中へ入っていった。




