第三話 街へ行こう
いつの間にか眠っていたらしい。
俺の体にはしっかりと布団が掛けられていて、ぐっすりと朝まで過ごすことができた。
それにしても昨日の夢は何だったんだろうか。ほとんど覚えてないが、多分、俺の中でこの出来事を誰かのせいにしたかったんだろうな。それがたまたま上田部長だったんだろう。
そして目が覚めたこの世界も、残念ながら夢でも幻でも無さそうだ。
まだ温もりが残る布団を後にし、俺は朝ごはんの匂いのする方へ歩いて行く。
「あ、早川さん。おはようございます。朝食、出来てますよ。」
「おはようございます。ありがとうございます。」
テーブルの上には目玉焼きに味噌汁、白飯だ。典型的な日本って感じだ。
俺はそれらをかき込みながら、ニッタの話に耳を傾ける。
「とりあえず、朝食を食べたら準備をして向かいましょう。少し険しい道のりですが、ま、何とかなるでしょう。」
「険しい…?」
思わず食べていた箸が止まる。
「ええ、この辺りは昼間は比較的安全とは言え、物騒な部類に変わりはありませんから。」
そう言ってニッタは笑う。物騒ってどの程度なのだろうか。昨日の犬の時点で、俺の理解の範疇は軽く超えてきているが。
と言うかこの初老は何故そんな所に住んでいるんだろうか。疑問は尽きない。
そんなことを思いながら、いつの間にか朝食を全て食べてしまっていた。
「さて、準備しましょうか。」
そう言うと、ニッタは部屋から出て行ってしまった。俺も慌てて後をついていく。
~~~~~
「早川さん、つかぬ事をお伺い致しますが、人、殺したことはありますか?」
いきなり何を言い出すんだ?唐突な質問に、思わずむせ返りそうになる。
「いえ、ありませんが。と言うか普通の人は無いでしょ。」
「でしょうね。」
ニッタはニヤリと笑い、続ける。
「恐らく向こうの世界では、それが“普通”なのでしょう。平和な世界ですよ。ですがね、ここは違うんです。弱肉強食の世界。“食う”か“食われる”か、なんですよ。」
そうだ。ここは違う世界。価値観や概念は違っていて当たり前だ。俺の居た世界みたいに、人殺しがどこか他人事のような、そんな生温い世界ではないのだろう。
「ですがね、殺さないに越したことは無いです。誰だって殺したくはありませんから。」
「ニッタさんは…あるんですか…?」
「ええ、でないと生きていけませんから。」
背筋が凍る。俺は今、殺人鬼を目の前にしているのだ。少なくとも俺の世界では、こんな平然と、まるで朝食を食べたかどうか答えるように、さも当たり前かのように、答える人間は一人もいないだろう。平気で人の命が奪われる世界で、真っ当な人などどこにいるのだろうか。
もしかしたら俺も殺されていたかもしれない。そんな思考が瞬間、頭をよぎる。
「あ、心配しないで下さい。私も殺したくて殺す訳でもありませんし、仕方なかったのです。私の身の安全が脅かされそうになったから応戦した、という感じです。」
「あぁ、そうですか…。」
それ以上は言えなかった。自身の危機の際は、相手を殺してしまっても構わない世界なのか。
まるで戦国時代だな。
「まあ、こんな世界なので、最低限自分は自分で守って頂こうという事でしてね…。」
そう言って、ニッタは俺に長い袋を手渡してきた。受け取るとズシリと重たい。それと同時に、金属の冷たさが袋を通してでもよく分かる。
「これは…?」
「早川さんの武器です。刀ですよ。少しオンボロですが、切れ味は保証します。」
袋から出すと、黒く光る鞘、柄は少しボロボロの刀だった。模造刀ではない、本物の刀だ。
殺すための道具を持つなんて、新婚旅行で行ったサイパン以来だな。
鞘から抜くと、真っ白に光る刀身が現れた。俺は刀なんて全く分からないけど、これは切れる。多分めちゃくちゃ切れる。多分。
「お気に召して頂けたようですね。よかったら差し上げますよ。」
「え、いいんですか?高そうですけど…。」
「要らなくなったら返してくださいね。」
本当にそう思う。要らない世界に早く帰りたい。
「さて、準備も終わりましたし、街へ向かいましょうか。」
俺たちは玄関から外へ出た。
~~~~~
今日が二月の終わりだという事を忘れてしまうような、とても天気のいい日だ。肌を伝う風は少し冷たいが、日差しに照らされて心地いい。
どうやら街までは一本道で、この草原にある獣道のような道路を延々と歩くらしい。
「どうですか。向こうの世界とは違いますか?」
「ははは、そうですね。こんな未舗装の道路なんて、何年ぶりに歩いてるんでしょうね。」
見渡す限り草原。草原。草原。慰安旅行で行った富良野を思い出す。
あの時は白井が牛に追いかけられてたっけか。懐かしいな。
少し肌寒いが、日差しはポカポカとしている。コンクリートに覆われていないからか、向こうの世界よりも少し暖かい印象だ。
「危ない‼」
その時だった。俺の横っ腹に何かが突進してきた。
「うぐぅッ‼」
痛い。痛い。痛い。
交通事故より遥かに重い衝撃だ。何が起こったのか全く分からなかった。
突然横の草木から何かが現れて、俺をハネやがったんだ。
「大丈夫ですか早川さん‼お怪我はありませんか⁉」
「何とか…大丈夫です…。」
見たところ骨が折れている事も無いし、擦り傷も無い。
「さあ、早く立ち上がって‼次が来ますよ‼」
俺はよろけつつ、何とか立ち上がる。
俺をハネた野郎の方を見ると、確かにイノシシだった。
想像の三倍は大きいが。
「イノシシの攻撃は単調です‼体制が整うまでは避けてください‼」
ニッタがそう言っている間に俺の方へ突進してきた。でも大きすぎるだろ。
例えるなら2トントラックが真っ直ぐ突っ込んで来るような感覚。
これに突進されて俺は無事だったのか。凄いな、俺。
「…ほっ‼」
なんとか二撃目は避けることができた。これをどれくらい続ければいいんだろうか。
「刀です‼刀を抜いて構えてください‼」
「え、あ、あぁ、刀…。」
今が有事の際なんだ。少しでも気を抜いていると簡単に倒されてしまう。
俺は気を引き締めなおし、刀を手にする。
キンッ‼という音と共に、刀身が露わになった。これが俺とこの刀の初仕事か。
「真っ向から切ろうとは思わないで‼少し左右に避けて横に振ってください‼さあ、来ますよ‼」
全く意味が分からない。ニッタの方を少し見ると、居合のようなジェスチャーをしていた。
要は向かってくる敵に対して真正面から振り下ろしても意味が無いって事か。そりゃそうだよな。たとえ切れたとしても、俺、死ぬだろうな。
そうじゃなくて、横に避けつつ刀を横から持ってくる。そうだ。それでいいんだ。
「もっと引き付けて…今です‼」
その合図に俺はサッと避け、刀を横から振りかざした。
フッ
刀は空を切る。当たった感触は全くしない。ヤバい、ミスったな、これは。
ドン、という音が後方から聞こえる。連撃に備えなくては。
「…やりましたね。一撃ですよ。」
「…え?」
後ろを振り返ると、巨体が血を流し横たわっていた。体は上下にパックリと開き、臓物をぶちまけていた。
その光景に思わず嗚咽が走る。
「いやぁ…早川さん、凄いですねぇ。」
「い、いやいや…。たまたまですよ…。」
しかし全く分からなかった。
どんな刃物でも多少の抵抗は残るはずだ。ましてや相手は突進してくる動物。
普通は弾かれたり、あるいは吹き飛ばされたり、良くても刺さる感触はあるはずなのに、どうしてなんだ。
「お見事ですね。真っ二つだ。」
「いや…当たった感触が…。」
「まさかまさか。早川さん、すごい特技をお持ちなんですね。」
特技でも何でもない。斬れたなんて微塵とも思っていない。
相変わらずニッタさんはニコニコしているが。
「それにしても早川さん、剣道か何かされてらしたのですか?」
「いや、何もしてませんよ。」
「またまた、ご謙遜を。先ほどの身のこなし、素人には真似の出来る芸当ではございません。」
本当に身に覚えがない。気が付いたら切れていて、相手は倒れていただけだ。
「それに初撃を受けた時の受け身。もしかすると、早川さんはこの世界で生きていく素質があるかも―――。」
「絶対嫌ですね。一刻も早く帰りたい。」
素質があろうと無かろうと、俺のやる事はたった一つだけだ。元の世界に戻る。それ以外に目的は無い。
「まあ、とにかく先を急ぎましょう。」
「そうですね。早く手掛かりだけでも掴みたいですから。」
そうして俺達は巨大生物を後に、歩き始めた。




