第二話-② パラレルワールド
廊下はひんやりと冷たい風が抜け、我々以外には誰も居ないのだと確信する程に静かだった。
いかにも現代風なフローリングに、窓の外には日本庭園が見える。俺の世界とそんなに違わないんだな、こういう部分は。
「ここです。」
廊下の突き当りには、ドアが一つ。壁と見間違うような、大きな大きなドアだ。開けるとギィ、と音が鳴り、瞬間、何かに襲われた。
「うわっ!何…何だっ…!」
毛むくじゃらの物体に全身を舐められる。巨大な舌で転がされる。幸いにも噛んではこないが、全身が唾液でベトベトになる。
「はっはっは!こら、やめなさい、ベス。」
主人の命令に忠実なのか、やめろの合図で俺は解放された。
「一体…何なんですか…。」
「これが犬ですよ。この世界の、と言うべきですかね。」
「犬…?」
それは犬と呼ぶにはあまりにも大きく、しかし姿かたちは柴犬そのものだった。
「四メートルはあるぞ…おい…。」
軽く軽自動車一台分の大きさの獣だ。噛まれなかった事を心の底から安堵した。
「これは私の飼い犬で、ベスといいます。こいつは小さい時からちゃんと躾けてありますので、人を襲う事はありません。まあ、人懐っこすぎるところも考え物ですが。」
どう考えてもこの世の者じゃない。何か幻想でも見ているような気分になった。
「まあ、簡単に言うとですね、ベスで普通犬サイズなんです。つまり、野犬もこのサイズから上になるんですね。言って理解するより、体験する方が早いと思いまして。」
マジかよ。これで普通サイズだって?これが?あり得ないだろ。秋田犬何匹分なんだ。
「どうしてこんなに大きくなるんだ…?」
素朴な疑問だった。常軌を逸したバカでかいサイズを目の前に、阿呆な質問をした、と瞬間的に理解した。
「大きくなる…?いいえ、元からこのサイズですが…。」
そりゃそうだろう。この世界ではこれがスタンダードなんだ。何当たり前の事聞いてるんだよ、俺。
「まあ、今夜はこの世界について、詳しくお話させて頂きましょう。」
「はい…。」
仕方ない。これを見せられたら黙って引き下がるしかない。ギィ、とドアを閉める瞬間、じゃあな、ベス、と囁いた。バフッ、と答えてくれたベスに、少しだけ愛着が湧いた。
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「ご馳走様でした。」
晩御飯は鳥の照り焼きだった。どうやらこの世界では、食に関しては俺の世界と同じと考えていいらしい。米もあった。味噌汁だってあった。ここは本当に別の世界なのか、と疑問がもう一度湧き上がるほどに、ここは俺の知っている日本だった。
そして晩御飯を食べながら、この世界について色々と聞いた。
どうやらこの世界は、白亜紀時代に隕石が衝突しなかった世界らしい。研究中でよく分からないそうだが、隕石衝突の際のエネルギーが磁場を乱し、異なる世界線を作ったのだろうと。
つまり恐竜が生きていた世界線なのだ。そしてその結果、この世界はどうやら人間が生物界の頂点ではないらしい。犬や狼、恐竜から進化した竜なんてのもいるらしい。人間はそんな他種族に抵抗しながら、今日まで生きてきているらしい。
またそんな世界だからか、全てにおいて俺の世界よりも発展が遅れているらしく、俺の今居る部屋もろうそくの明かりによって照らされている。いくらインフラを整備しようが、害獣に襲われたらひとたまりもない。だから大きな町は防護壁を設置したり、町独自の防衛システムを構築し、害獣対策に努めているそうだ。
そして俺の居る国、日本。現在は内紛中で、志村、桐田、岡林という三人の君主の国が、それぞれ治めている。
中でも俺の居る桐田国は、志村、岡林のそれぞれの国に反発した人々が半ば勝手に立ち上げた国で、領土や人口は他の二国に劣っている。そして両隣が敵国という事もあり、国境では絶賛戦争中なのだとか。
聞けば聞く程、考えれば考える程、頭がおかしくなりそうだった。違う世界だなんて、どこかの小説や漫画の話だろう。夢や幻ならどれだけ良かったか、なんて考える。いや、まだ夢とか幻かもしれない。俺は長い夢を見ているんだ、きっと。
そんな事を考えている間に、俺は眠ってしまった。
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「早川、すまねェなァ…。」
聞き覚えのある、気怠そうな話し方。目の前に上田部長がいる。
「すまないって、どういうことですか?」
「お前をこっちに呼んだのはな、俺なんだよ。」
何だって?上田部長が俺を呼んだ?
「訳あってな、お前の力が必要なんだよ…。おっと、今はその訳ってのは言えないぜ。」
「おい…ふざけんじゃねえよ…。」
怒りで声が震える。血圧が上がり、今にも血管が切れそうだ。
「てめえ…すまないって…ふざけてんじゃねえぞ‼お前にどれだけの俺の幸せが奪われたと思ってんだ‼それをすまないの一言で済まされる訳ねえだろうが‼」
「ああ…、わかってる…。でも仕方なかったんだよ…。」
「言い訳か?ふざけんなよ。お前に俺の人生が狂わされたんだよ。お前のせいなんだよ。仕方ないって何なんだよ…。」
最早怒りを通り越して呆れてくる。この期に及んで言い訳なんて聞きたくない。
「これは重要なんだ。いいか、早川。お前だって嫁と子供を守りたいだろ?」
「てめえのせいでその嫁と子供を守れなくなってんだろうが‼早く元に戻しやがれ‼」
「すまないが、まだそれはできない。いいか、少し俺の話を聞いてくれ。」
上田部長を見ると、気怠そうな雰囲気は無くなり、目つきは真剣そのものだった。
「この半年間、お前と何度もこうやって夢の中で相対してきた。それは、これから起こる出来事に備えるためだ。その為にお前を鍛え上げてたんだよ。」
「これから起こる事…?」
「ああ。何が起こるのかは今はまだ言えない。でも、俺たちが止められなかったら、それは確実に起こるんだよ。」
何を言ってるんだ…?話が全く読めない。
「お前のイメージトレーニングは終わっている。多分、今は何を言ってるか分からないと思うが、これからは実践編なんだ。」
「実践…?なんだ…?」
「時間がないから手短に言うぞ。お前はこれから何度も何度もピンチになることがあるだろう。その時は何も考えるな。体が動きたいように動かしてやれ。お前自身は覚えてなくても、お前の体は覚えてるはずだ。」
だんだんと視界がぼやけてくる。さっきまで明瞭に見えていた上田部長の姿が、ピントがボケたように霞んでくる。
「これはお前の家族を救う、唯一の方法なんだ。頼むぜ、俺たちの最終兵器———。」




