第一話 45歳の苦悩
「ハッ…!」
最近、変な夢をよく見る。変な世界を俺と息子で歩き、変なモンスターに遭遇し、負けそうになる。そこで現れる上田部長。助けられた所で夢が終わる。
上田部長が謎の失踪を遂げてから早半年。未だに何の音沙汰も無く、皆は心配している。俺を除いて。
居なくなって清々しているのは多分俺だけだ。ソリの合わない上司であり、度々嫌な気持ちにさせられることがあった。俺がなるはずだった部長のポストだった。取られたんだ。気持ちいいワケがないだろ。
鳴り物入りで入社した、同業他社のスーパーエリート様。もちろん仕事は完璧で、部下の心もあっという間に掴んだ。そして入社三年にも拘らず部長ポストへ。そんなの、面白くないだろ。
そんな上司だが、毎晩のように夢に現れるせいか、あまり離れた気がしないでいた。
「はあ…。恋焦がれているのか…俺は…。まるで思春期じゃねえか。」
ゆっくりとベッドから出ると、リビングへ向かう。リビングでは息子と娘が朝食を食べ、妻は洗い物をしていた。
「おはよう、お父さん。」
「おはよう。」
業務的な朝の儀式を済ませ、俺も食卓へ向かう。
ご飯に味噌汁、卵焼き。毎日同じの、和食好きな俺のルーティーンだ。
「ママ、今日部活で遅くなるから晩御飯いらないよ!」
高2になる娘は剣道部で女だてらにキャプテンを務めているらしい。
「美希、どうだ。部活の調—————」
「まぁまぁ。」
食い気味に返事をされるが、返ってくるだけ今日は気分がいいことが伺える。
「宗一郎、勉強はどうだ?」
「チッ…」
反抗期真っただ中の中3の息子は舌打ちで返答。悪くない朝だ。
二人の子供は俺を嫌っているが、そんな中でも最低限返事をしてくれるところを見ると、やっと戻りつつあるんだなと安堵する。
「あ、もうこんな時間か。行かないと。」
俺は朝飯をさっさと食べ終わり、出社準備を始める。
「今日の帰りに電球買ってきてね。玄関のところ、切れてるから。」
「ああ、わかった。」
妻とも普遍的な会話をこなす。今朝のミッションは完璧にクリアした。
家庭内のギクシャクした雰囲気も改善されてきた。だんだんと風通しは良くなってきている。俺の人生の。
そんなことをふと思う。仕事一辺倒で家族を蔑ろにしてきた罰だ。
しかし、そんな人生にも、ようやくチャンスが巡ってきた。嫌いな上司は行方不明で、次期部長の下馬評は俺。家庭内不和も解消されつつある。つまり、人生の波が今来ている。大逆転のチャンスなんだ。
会社へ行く足取りは軽い。もうすぐ部長だぞ。やっとこさ「代理」という肩書きが取れるんだ。
~~~~~
「早川君、ちょっといいかね?」
次長に呼ばれたのは、その日の午後になってからの事だった。一通り朝の業務を終え、昼休憩をとったところだ。
「次期部長についての事なんだがね、やはり上田君の抜けた穴というのは大きくてね。そんな中、君は代理としてよく頑張ってくれたと思っているよ。」
「いえいえ、滅相もございません。」
「そこでだ。君には引き続き、部長として頑張ってもらいたいんだ。代理じゃなく、部長としてね。」
「は、はい!ありがとうございます!」
キタ!キタキタ!俺の時代だ!
今まで頑張ってきた分がやっと返ってきたんだ。と言っても、上田部長が居なくなってから、ようやく頑張って、ただ上のポストが空いただけだが。でもだ。ようやく、ようやく頑張り始めた俺の、第二の人生の幕開けだ。
「これからも、よろしく頼むよ。上は皆、君に期待しているぞ。」
「はい!精一杯務めさせて頂きます!」
俺はニヤニヤする顔を精一杯我慢しながら、次長室を後にした。
大手広告代理店に大卒で入社してから早二十数年。同期の中には仕事のキツさに嫌気がさして辞めていったヤツもいる。些細なミスで飛ばされたヤツもいる。自殺したヤツもいる。病気になったヤツもいる。
色んなヤツを見てきた。そんな中、俺は“逃げる”という事でその呪いを避けてきた。そして”諦める”という事で戦ってきた。
そんな中で俺も色んな経験をした。結婚、子供もできた。家も買った。車も何台も乗り換えた。一通りの人生の幸せは享受した。大した努力もせず。避けて、逃げて、隠れて、諦めながら。
努力をしなかったから、せっかくのポストを上田部長に取られ、家庭内不和になり、俺は人生を失いかけた。
それが嫌で、やっと努力するという事を覚えたのだ。頑張れば報われる、この歳でやっと理解できたのだ。
もう逃げない。諦めない。戦うんだ。正々堂々と、真正面から。
そんなやる気を胸に、俺は自身のデスクに戻った。
「早川さん、何の話だったんですか?もしかして…。」
俺はニヤニヤしそうな顔を必死で抑えながら、何も言わず頷く。
「ついに正式に早川部長の誕生ですね!おめでとうございます!」
「まあまあ待て、白井。まだ正式な辞令は出てないんだから。」
白井は自分の事のように嬉しそうにはしゃぐ。
コイツも十何年と俺の下でついてきてくれた。俺の嫁以上に俺の事を知っている、数少ない人間の一人だ。そんな白井が自分の事のように嬉しく思っている。それだけで十分なんだなと、それで良かったんだと、今になって思えてきた。こんな事にさえ今まで気付いてこれなかった俺は大バカ者だよ。
「これからも、よろしく頼むな、白井。」
ぎゅっと握った手は、嬉しさで震えていた。
「その嬉しさは、正式な辞令が出た時まで取っておいてくれよな。」
ふっ、と笑い、俺はトイレへ向かった。
~~~~~
ポケットからスマホを取り出し、嫁に連絡だけしておこう。
大便器に座りながら、{部長になった。正式な辞令はまだだけど}と送った。
すぐに{おめでとう、よかったね。今夜はごちそうだね}と返ってきた。
こんなに帰るのが楽しみな日はいつ以来だろうか。
俺はウォシュレットのスイッチを入れ、尻に当たる生暖かい水流を楽しんでいた。
「うっ…。」
急に眩暈だ。頭がぐわんぐわんする。足の感覚がない。手の感覚もない。視界が暗くなっていく。
だめだ、まだ倒れられない。これからなんだ。脳梗塞か、脳卒中か。嫌だ。死にたくない。
俺は助けを呼ぶつもりでドアをドンドンと叩いた。
「どうしました?どうかしました?」
薄れゆく意識の中で、誰かの待ってて下さいねと言う声が、最後に聞こえた。
~~~~~
「待ってて下さいね!今開けますから!」
「おい、返事が無くなってんぞ!急げ!ヤバいぞ!」
ガチャリ、と半ばこじ開けるように開けられたトイレのドア。
しかし、その中は無人だった。
「お…おい…。さっきまで…この中…。」
「ああ…。確かに…居たよな…。」
「これ…ほら…スマホ…。」
男が拾ったスマホの画面には{改めておめでとう}の通知だけが、怪しく光っていた。




