第19話:絶望の夜明け
暗い意識の底で、黒い蛇が蠢いている。
そして蛇の視線の先にはリリンがいた。
『呪印を持つ者と出会ったか、小娘よ。』
蛇は機械音にも似た不気味な声を響かせ、リリンへと語りかけながら、その大きく、長い胴体でリリンの周りを囲む。
『くくく……それにしても、お前も憐れな奴だ。彼の悪名高き背神の国へ、花嫁として連れて行かれるとはな。悲劇を通り越して、喜劇とも言える。』
そんな皮肉を口にし、蛇は笑みを浮かべる。
この蛇は呪いの象徴だ。
リリンに忘却の呪いがかけられてからというもの、時々、リリンの意識下に現れては、彼女に語りかける。
この蛇がリリンに対してどのようなことを思っているのかは分からない。何も思っていないかもしれない。
ただ一つ言えることは、決してこの蛇はリリンの味方などではない、ということだけだ。
『……』
蛇の言葉は響きこそすれ、リリンからの応答はなく、その声は虚しく虚空へと溶けて消えていく。
『ふん、返ってくる言葉は無しか……つまらんな、実につまらん。なんだ?怯えているのか?恐れているのか?これから自らに訪れようとする未来に。』
答えが返ってこないのを知りつつも、蛇は構わずに話を続ける。むしろ自分の声だけが静寂に響くこの状況を愉しんでいるようにさえ見える。
『それとも、あの小僧がお前を助けにくるのを期待しているのか?自分から手を振り払っておきながら、虫が良すぎると思うがな?』
嘲笑混じりのその蛇の発言に、沈黙に徹していたリリンが鋭い眼光で蛇の方を睨みつける。
『怖い怖い。惚れた男のことでムキになる気持ちは分からんでもないが、我が言っていることは真実だろう?』
『あんたには関係ない。黙ってて。』
『やっと口を開いたと思えば、出てきた言葉がそれか……本当に生意気な小娘だ。』
蛇は不機嫌そうな言葉を吐きながらも、愉快そうに体をくねらせている。
『仮にだ、あの小僧がお前を助けに来たとして、お前を守っているのは、あの背神の国の将だ。万に一つもお前が助かる保証はない。』
地べたを這いずり、蛇はその石炭のような黒い頭部をゆっくりとリリンへと近づける。そして爛々と光る瞳で彼女の表情を覗き込むようにして見る。
『無意味な期待など抱くな。儚い夢など見るな。淡い奇跡など信じるな。全ては無駄だ。無価値なものだ。』
リリンの怒りを誘うように、わざと挑発的な口調で否定的な言葉を並べ立てていく。その口元は歪んで見える。
『お前はずっと『悲劇の少女』のままだ。神に背いたあの時から、お前が進む道は変わっていない。』
『何が……言いたいの?』
『脆い希望など捨ててしまえということだ。お前は悲劇の道を歩むしか無い。抗えば、それは地獄への道となる。』
リリンの耳元、蛇は小さくそう囁く。
『悲劇の道……』
蛇の言葉を自分の口で反芻し、その言葉の意味を頭の中で懸命に思案する。答えは既に出掛かっていた。
『諦めて背神の国のお姫様になれってこと?』
『どうだろうな?』
リリンの質問に蛇が返したのはそんな一言だけ。
『我はお前の味方などでは無いが、敵というわけでも無い。だから、助言くらいはくれてやろう。まぁ、無意味だとは思うがな?』
リリンを見下ろすように頭を持ち上げ、さらに体をくねらせる。その蛇の様子はとても愉快そうだ。
『選択肢は二つだ。全てを諦め、運命の流れに従って、悲劇の道を歩んでいくか、その運命に抗って、足掻いて、地獄の道を進むかのどちらかだ。』
『どの道、私に楽な道なんてないってわけね。』
提示された二つの選択肢に不満をこぼすリリン。そして蛇のことを憎らしそうに睨む。
そんなリリンを見て、蛇は軽口を叩く。
『ああそうだな。これに関しては諦めてもらうしかない。我も非常に心苦しいのだがな。』
『気持ち悪い嘘はやめて。』
蛇を睨みつけるリリンの眼光が一層強まる。
蛇はそんなリリンの眼圧に気圧されることなく、平然と、リリンの青く澄んだ宝石のようなその瞳を見つめ返す。
『お前のことだ、選ぶ道は一つしかあるまい。せいぜい死なないように用心することだ。忘れるなよ?お前の体に刻まれた忘却の呪いをな。』
崩れ始める空間とともにリリンの意識も遠のいていく。
意識が遠のいていくというよりかは、覚醒し始めていると言った方が正しい。
『あんたなんかに言われなくてもそんなこと、分かってるわよ。』
二人の会話は、リリンのそんな捨て台詞を最後に、終わりを告げたのだった。
ーー赤竜の国 城下町
「さてお客さん、背神の国の将ともう一度闘う前に、あなたに渡しておく素晴らしい〜物があります。」
ジンの体の回復が完了仕掛けた頃、レギアスがジンへとそんな言葉をかけながら、またどこからか、何かを取り出す。
「それは……剣か?」
レギアスがジンの目の前へと差し出したのは、簡素な装飾の施された鞘に納められた、一振りの剣。
「これは『黒血の剣』、その名の通り、刀身が黒くなっているのが特徴的な名剣でございます。」
レギアスが鞘から少しだけ剣を引き抜くと、闇夜に溶けそうな漆黒の刀身がその姿を覗かせる。
「背神の国の将が操っていたあの魔力の糸。あればの糸の硬度と鋭利さは相当なものです。並の硬度では切ることも、受け止めることも出来ません。」
「確かにな……」
ジンが視線を移した先には、サマエルの糸よって折られ、使い物にならなくなってしまった剣がある。
滑らかに入れられたその切断面は、サマエルの糸の鋭利さを非常に物語っている。
「この剣なら、あの糸に対抗できるのか?」
「ええ、黒血の剣はあらゆる物を切り裂くと言われるほどの斬れ味と硬度を持っています。あっしの店の目玉商品ですよ。」
目玉商品と言うだけあって、レギアスは自慢げに剣を高々と掲げる。
そんなレギアスにジンは淡々と言葉を返す。
「それで、俺はそんな自慢をされてどうすればいいんだ?」
「お客さんは相変わらず冷めていらっしゃる。そんなお客さんに、特別大サービスです。はい、どーぞ。」
先ほどの自慢はなんだったのか、レギアスは目玉商品と謳っていた黒血の剣をジンの方へと放り投げる。
「お、おい……いいのか?俺はそんな金は持ち合わせてないぞ?」
戸惑いながらも、投げられた剣を見事にキャッチしたジンは、レギアスにそんな質問を返す。
「先行投資ですよ、先行投資。あなたに力を制御する術を与えたことも、その剣を授けることも、全ては私の為なんですよ。ですから、お気になさらずに。」
「お前がそう言うのなら俺は気にしないが……」
にこりとしているレギアスを見つめ、ジンは先ほどから頭の中で渦巻く疑問を口にする。
「なぁ、お前の望むものは何なんだ?背神の国の撲滅か?この国の平和か?それともただ自分の為か?」
唐突なジンの質問。だが、レギアスはその笑顔を崩すことはなく、ただただおどけてみせる。
「さぁ〜て、何でしょうかね〜お客さんには、あっしはなにを望んでいるように見えますか?」
「誤魔化すな。お前のことは信用しているつもりだが、それくらいのことを聞く権利くらいあるだろ?」
レギアスの茶化しを振り払い、真剣な顔で問いただすジン。
そんなジンに、レギアスの表情も真面目になる。
「そうですね……あなたには話してもいいかもしれませんね……あっしの秘密を……」
心なしか声色も真摯な感じを帯びており、いつもの胡散臭い薄ら笑いも全くしていない。
そしてそのまま言葉を続ける。
「あっしは……神に仕えし、罪を裁く正義の使者なのです!!」
高々と叫ばれるレギアスの言葉。
だが、それはその場の空気と緊張感をを台無しにする、だけだった。
「……嘘だよな。」
直後にジンがレギアスへと向けたのは、冷めきった眼差しと、どこまでも冷静な言葉だけ。
「そんな氷のように冷たい目を向けないでくださいよ〜。冗談です。ほんの冗談じゃないですか〜」
そんなジンに構わずにレギアスはあくまでおどけた態度を続ける。その顔にはいつもの笑みが戻っていた。
「あっしはあまり自分の過去を知られるのが嫌でしてね〜。それに、今ここで話しても、死んでしまったら意味がないでしょう?」
「それは俺がもう一度あいつに負けるって言いたいのか?」
レギアスの言葉に少し苛立ちを覚えながら、ジンは言葉を返す。その顔には負ける気などさらさら無いと言 いった様子だ。
「おお、頼もしいお言葉ですね〜。自信があるのは素晴らしい〜ことです。」
「お前の秘密を聞くのはあいつを倒してからにする。その時は、きっちりと話してもらうからな。」
「ええ、そうなるように期待していますよ。」
そして会話は終わり、ジンは自身の体の状態を確かめる体の麻痺は完全に無くなっており、力もしっかりと入るようになっている。
どうやら準備は万端のようだ。
「もう大丈夫そうだ。動きも問題は無い。」
「いよいよですね。細かいことは移動しながら話します。それでは、行きましょうか。」
そして二人は夕日が沈み、暗くなった夜の街道を走り出した。
ーー赤竜の国 某所
「ああ、もうすぐだ。もうすぐ最高の……」
どこかの薄暗い家屋の中で、一人の男が恍惚とした笑みを浮かべ、その影を伸ばしている。
燕尾服のような服装は、まるでどこぞの執事のようであり、白い手袋や程よく伸びた髪などが、その整った顔立ちと合わさり、非常に清潔な印象を与えている。
「陽が落ち、この国には夜が訪れました。最後の安息の夜です……夜が明ければ……最高の悲劇が幕をあけます。」
男は口元を歪め、視線をゆっくりと動かす、そしてその先には体の自由を奪われたリリンがいた。
「お目覚めですか花嫁?大変申し訳有りませんが……もうしばらくあなたの体を拘束させていただきます。」
「ここは……どこなの?」
家屋の中は外を覗く窓などの類が無く、外の状況はほとんど分からない。よって、リリンには今の現在地が全く把握できない。
「残念ながら、まだここは赤竜の国なんですよ。本当ならすぐにでも我が国へと帰還したいところなんですがね。僕にもやるべきことがございまして。」
「やるべきこと?何を企んでるのよ。」
憎き男の顔を睨みつけ、その言葉の真意を知ろうとする。たが、サマエルはただ笑っているだけで、何も答えない。
「なんとか言いなさいよ。一体何をしようと…….!?」
続いてサマエルに迫ろうとした時、リリンサマエルのその背後に二つの人影があることを視認する。
暗い室内ではその姿を詳しく知ることはできないが、サマエルの後ろには、確かに人影が存在していた。
「……誰?」
「おや?お気づきになられましたか?我が同胞たちに。」
目を見開き、驚いているリリンの表情を見つめ、嘲笑を浮かべるサマエル。リリンが後ろの人影に気づいたことを察したらしい。
「同胞?あんたの、背神の国の人間ってこと?」
「ええ、そうですよ。紹介しましょう。我が国が誇る従順なる兵たちです。」
サマエルの言葉とともに、人影の一つがリリンの目の前へと歩みを進め、その姿を露わにする。
「キャハハハッ、お初にお目にかかります。禁忌の花嫁様♪」
一人はフリルの付いた服を着た、リリンと歳の変わらないぐらいの、箱入り娘のような少女だ。炎の灯ったような赤い瞳を持ち、人形のように綺麗な顔立ちをしている。見た目だけなら背神の国の兵などには到底見えない。
「私は背神のさ国の兵士が1人、名をジズ・ホロルストアと申します。どうぞよしなに♪」
ジズと名乗る少女はそのセミロングの白い髪を揺らし、サマエルと同じようなどこか不気味な笑みを浮かべている。
「では交代しま〜す♪」
軽い会釈をし、ジズはもう一つの人影と入れ替わるように後ろへと下がる。そして、かわりに現れたのは、黒いフード付きの装束を身に纏った痩せぎすの男。
「背神の国の兵士が一人、ロノウェ・ジオ……」
消え入りそうな声で話すその男も、ジズと同じく、兵という見た目では無かった。骨の浮かぶ手や、首筋からは貧弱そうな印象を受ける。だが、その瞳は鈍い灰色の光を宿している。
「……あ、あ……」
リリンは言葉が出なかった。サマエルだけでも手に負えないというのに、さらに二人の背神の国の兵が、その両脇にいる。もう逃げ場はどこにも無いと徹底的に頭に刻み込まれるようだ。
しかもそれだけでは無い、サマエル達はこの国で何かをしようとしている。それが何かは分からないが、それは確実に、この国に重大な被害を与えることになるだろう。
私は……どうすれば……ジン……
リリンが思い浮かべているのは、自ら手を振り払った少年のことだった。このままではジンにも被害は及ぶことだろう。
「僕が陛下より承った指令は二つ。禁忌の花嫁となる人間の選出、そして……背神の国の復活の狼煙を上げることです。」
「何よそれ……?復活の狼煙を上げるってどういうこと?」
「ここ赤竜の国にて、世界中に響き渡る大惨劇を引き起こす。それこそが……背神の国の復活の狼煙。」
夢でも語るかのように嬉々とした表情でそう話すサマエル。後ろの二人はただ黙ってその話を聞いている。
「花嫁、先の城下町での騒動の時、何か違和感などを感じませんでしたか?」
「違和感……?」
突然投げかけられた質問。
初めは何のことか分からなかったが、思い返すうちに、やがてリリンは一つの答えに辿り着く。
それはなぜ住民が一人もあの騒ぎに気づかなかったのかということだった。さらに夕暮れ時にも関わらず、あの通りには誰もいなかった。
「まさか……あんた……城下町の人達を……」
導き出された一つの答え。
それに悪魔は邪悪な笑みで肯定の意を示す。
「くくく……気づきましたか?」
「キャハハハッ、大正解、ですね♪」
サマエルと後ろのジズはとても楽しそうに笑っている。ロノウェだけが一人、沈黙を徹していた。だが、この男もこれから起こることに加担しようとしていることは間違えないだろう。
「今、この城下町の人間の三分の二程が、僕の支配下にあります。先ほどの通りの人間もその一部です。」
「何でそんなこと……」
「決まってるでしょう?悲劇を生み起こすためですよ!!突如として城下町の三分の二の人間が、夜明けと共に集団的な自害を行う……まさに大惨劇!!」
サマエルの言葉にリリンは言葉を失う。自身の体から血の気が引いていき、体温が下がっていくのが分かる。
この男は、自分の支配下に置いてある罪もない大勢の人間の命を一晩にして奪うつもりなのだ。
「その表情……たまらないですね。甘美なほどの絶望の表情……実に良い。最高だ。素晴らしい。」
「キャハハハッ、本当に最高ですね♪」
一言も喋らないリリンを尻目に、サマエルとジズの興奮は最高潮に達していく。その様はまさに狂気そのものである。
「しかし……僕の存在は、あの忌々しいよろず屋の手によってこの国に知れ渡っていることでしょう。僕が死ねば、『人繰』の能力は解除され、悲劇は起こりません。」
笑うことを止め、冷静な面持ちで現在の状況を分析し始めるサマエル。しかしそれも束の間であり、暫しの間の後、彼の口は再び歪み始める。
「なので、一つ手を打っておくことにします。」
「ええ〜何ですか?何ですか〜?」
笑いを絶やさないサマエルに、その言葉に合いの手を入れるジズ。両者ともその笑みは邪だ。
「あと一時間後、この城下町に僕の従順な操り人形、百体を攻め込ませます。そうすれば、国の兵はそちらに手間取って僕にまで手は回らないでしょう。」
「百体……!?そんな大勢、一体どこから……」
以前として驚きが隠せないリリンは、サマエルの常識外れた発言に唖然としている。
当然だろう、一晩で大勢の人間の自害と、百人の人間の襲撃を同時に行うなど、常識で考えられることではない。まさに悪魔の所業だ。
「だから僕が直接何かをするという事はありません。強いて言うならば、あなたの護衛くらいなものです。まぁ、誰かが来るとは到底考えられませんが……」
「は〜い、私達はどうすれば良いんでしょうか?戦闘ですか?それとも、護衛ですか?」
ジズの質問に、サマエルは二人の方向へと振り返る。
「もちろん戦闘です。あなた達には不安因子の足止めを頼みますよ。必要なら僕の操り人形を幾らか持っていっても構いません。」
「了解で〜す♪」
「……了解……任務を開始する……」
指示の出された二人は、短い返事を返した後にその姿を再び暗闇の中に消していく。不安因子と呼ばれる者のところへと向かったのだろう。
部屋へと残ったのは、リリンとサマエルの二人。
「……どうすれば……」
「どうしようもありませんよ。あなたにできる事はこの悲劇をただ見ている事。それだけです。」
聞こえて来る悪魔の嘲笑。それは薄暗い部屋に木霊し、次第に渦を巻き始める。
「さあ、あなたも一緒に楽しみましょう。この最高の悲劇を……夜明けと共に……」
こうして絶望の夜明けのカウントダウンが始まる。




