第18話:鎖は千切れた
静かな街中に、二人の男の影だけが伸びている。
一人は地に足をつけて立ち、もう一人はなんとか上半身だけを起き上がらせている。
「あなたの神獣の力を制御するために必要なものは、その巨大な力が収まるだけの器です。」
立っている方の男、レギアスは、ジンへとそんなことを言いながら、服につけられた多くのポケットの内の一つに手を伸ばす。
「あなたが神獣の力を発動させる時、あなたの体の細胞は、人間のものから神獣のものへと変換されています。」
説明を続けながら、ポケットの中から何やら怪しげな飲み薬のようなものを取り出す。
「しかし、元から流れる血が人間のままである以上、細胞との拒絶反応がどうしても起きてしまいます。拒絶反応を無くすためには、あなたの体の中の血を取り換える必要があります。」
そう言って、レギアスは取り出した薬をジンの目の前へともっていき、その瓶を軽く振る。
「この薬は、人間の体内の血液を、他の生物の血液に換える薬です。これを使えば、あなたの血液を神獣のそれと同じにすることができます。」
「どのくらいの割合で血を換えるんだ?」
「恐らくですが、半分は神獣の血液と換えないと、制御は難しいでしょうね。」
瓶の蓋を外し、ジンの元へとそっと置く。
そして、改めてジンへとレギアスは問う。
「くどいとは思いますが、もう一度聞きます。覚悟は、もう決まっていますか?」
「何度だって言ってやる。俺はリリンを救いたい。その為の覚悟なら……とっくにできている。」
そしてジンは差し出された薬に手を伸ばす。
瓶の中に入った鮮血のように赤い液体。
お世辞にも安全そうとは言えないその見た目は、服用する者に、少しの不安を与える。
たが、ジンは臆することなく、一気に飲み干す。
「ーー!?」
直後にジンを襲ったのは、凄まじい眠気。
瞼が次第に重くなり、思考が止まり出す。
ドクン、ドクン、ドクン、ゆっくりとした心臓の拍動だけがジンの聴覚を刺激する。
奥底へと沈んでいく意識。やがてその意識は精神の深層へと到達する。
何もない真っ白な空間で、ジンを待っていたのは鎖に繋がれた一匹の、いや、一人の銀髪の少女がいた。
「待ってたよジン。さ、ゆっくりとお話しようか。」
少女は髪と同じく、銀に輝くその瞳をジンへと向け、口を開く。
少女の声は、真っ白な空間に響き渡り、ジンの耳へとしっかりと届く。
「ケイ……か……その姿で会うのは久しいな。」
「驚いたかい?小さい頃はこの姿で、まだ小さかった君とよく会話してたっけ。……本当に懐かしいね。あの頃がまた戻って来たみたいだ。」
銀髪の少女、つまり、ジンの中の神獣の因子として生きる神狼のケイは、そっと微笑む。
「ケイ、俺はお前と話すことは何もない。黙って俺に力を貸せ。」
「いいじゃないか。ここには君と僕の二人だけ、聞かせてよ、君の本音。」
二人の間に沈黙が流れる。だが、言葉などなくとも、二人の思いはそれぞれの胸に届いていた。
「ねぇジン、僕はいつだって君の、君だけの味方さ。この言葉に嘘はないよ。」
先に口を開いたのは、ケイのほうだった。
「君はどうして、僕のことをそんなに嫌ってるのかな?」
「……そんなこと、俺が言わなくても、お前なら分かってるんだろう?」
「僕は君の口から、君の言葉で聞きたいんだ。それがたとえ、僕を拒絶する言葉でもね。」
「……分かった。それでお前が納得するならな。」
ケイは優しい声でジンに語りかける。
ジンもそんなケイの言葉に閉じていた口を開く。
「俺は今から、この胸の思いをすべてお前にさらけ出す。決していいものじゃない。お前に対する思いは、そんなに単純なものじゃないんだ。」
「それでもいい。聞かせてよ。君の思いを。」
ジンは目を閉じ、少年時代のことを思い出す。
それは後に師となる一人の男に連れられ、西の辺境の孤児院で暮らし始める前、神獣の因子を投与されて間も無くのこと。
ジンはその研究所で、思いの外楽な暮らしを送っていた。
行動は制限されているが、衣食住はきちんと提供され、研究員達もジンに優しく接してくれていた。
苦痛だったことといえば、毎日二時間ほど行われる、『適合検査』と呼ばれるものだけだった。
そこでは、初めに少量の細胞を取られた後、複雑そうな機器を頭につけられ、とある少女と対面させられる。
そう、ケイだ。といっても、この頃にはその名はまだつけられてはいなかったが。
初めは遠くにうっすらと見える程度だったが、日を追うごとに、姿ははっきりと見えるようになり、一ヶ月も経つ頃には、会話もできるようになっていた。
その会話自体は嫌いでは無かった。会うたび、会うたび、目の前の友とたわいのない会話をして楽しむ。そんなゆっくりとした時間が楽しくもあった。
しかし、ケイとの会話が終わり、意識が現実へと引き戻された時、ジンはいつもそれを目にする。
それは『適合検査』を終えた後のジンを見つめる研究員達の眼差しだった。
とある者は畏怖の眼差し、またある者は嫌悪の眼差し、さらに違う者は無機物な、物を見るような眼差しをジンへと向けていた。
ジンはそれが、堪らなく嫌だった。
『俺は……人間じゃないのかな?』
その眼差しを見るたびに、自分が普通ではないということを突きつけられる。
『俺のせいじゃない……全部こいつが悪いんだ。俺の中にいるこいつが……こいつだけが……』
検査を受けては例の眼差しを注がれ、また検査を受けては注がれる……そんな日々を繰り返すうちに、ジンはケイのことを拒絶するようになっていったのだった。
ーーつらい過去を振り返った少年は目を開き、12年間、共に生きてきた運命共同体ともいえるケイに対して今まで言えなかった思いを告げる。
「俺はずっとお前のことが怖かった。いつかお前に自我を奪われるんじゃないかって……怖かったんだ。そして同時に嫌だった。お前が俺の中にいることが……まるでお前は人間じゃないと誰かに言われてるみたいで、胸の中にずっと嫌悪感を抱いていた。」
ゆっくりと、だが真っ直ぐに、ジンはケイへと自分の素直な気持ちを伝えていく。
「俺はそんな自分もたまらなく嫌いだった。お前に優しく接してやらないことが苦痛だった。お前に名前をつけたのもそれが理由だ。名前をつければ、接しやすくなるかと思った。けど、それでもだめだった……」
吐き出される自責の念。今まで押し込まれていたものを全て吐き出すように、ジンは次々と言葉を並べていく。
「結局、俺はお前から目を背けた。お前を鎖で縛り付け、干渉することを避け続けてきた。俺は、卑怯者だ。」
「大事なのは過去じゃない。大事なのは今をどう生きるか……どこかの偉い人もそう言ってたよ。」
吐き出されたジンの思いに応えるように、ケイもまた、自らの胸の内をジンへと伝える。
「僕は神獣、神狼として何百年という年月を生きてきた。人生長く生きてるといろんなことがあるものだね。まさか、人の子の中に因子として入ることになるなんて思わなかったよ。」
「お前は、どう思ってたんだ?俺の中で生きていることをどういう感情で受け入れたんだ?」
それはジンが、ケイを自らの内に縛り付けていることに対しての罪悪感からきた質問だった。
ケイもそれに気付いていた。そのうえで、自分の思いを真摯に、はっきりと口にする。
「負の感情がなかったと言えば嘘になる。けど、僕は強く生きようとする君を見ているのが大好きだった。あの孤児院で笑っている君が大好きだった。あのリリンの横で楽しそうにしている君が大好きだった。」
楽しそうにそう話すケイ。ジンには心なしかその表情に笑みが浮かんでいるように見えた。
「君が喜べば、僕も胸が温かくなる。君が悲しめば、僕の心も冷たくなるんだ。僕と君は運命共同体なんだろうね。だから、君の願いは僕の願いでもある。」
「俺の願い……」
思い浮かべる少女の笑顔。
その輝く笑顔をもう一度見たい。彼女の笑顔を守りたい。そんな欲求がジンの心を満たす。
「俺の願いは自分の力で大切なものを守ることだ。だが、俺の力だけじゃ、あいつを、リリンを守ることができない。お前の力が必要なんだ。俺だけじゃない、俺たちの力で大切なものを……守りたい。」
「少し話さない間に結構素直な性格になったね。これも、彼女の影響かな?それだけ君にとってあの子の存在は特別だってことなんだね。」
ケイの笑顔は輝いていた。嬉々として笑うその姿は、本当に一人の少女そのものだった。
「ジン、君は自分のことを化け物だって思ってるかもしれないけど、それは違うよ。君は紛れも無い人間さ。化け物っていうのは、悩むことをやめて、悲しみも喜びも感じなくなった奴のことを言うんだ。だから君は人間だ。昔も、今も、これからも。」
ケイはゆっくりとジンへと歩み寄る。
ジンもそれを拒絶することなく、穏やかな表情で自らもケイへと向かって歩き出す。
近づいていく二人の距離、それは二人の心の距離を表している。拒絶した少年と、拒絶された獣。二人の心の距離は確かに縮まっていた。
「これからも俺は、お前と共に生きていく。もうお前を鎖で縛りはしない。だから、俺と一緒に戦ってくれ。神獣の因子としてじゃなく、一人の友として。」
ジンが差し出した右手。
真っ直ぐに伸びたその手に迷いはもう無かった。
「これからも僕は、君と共に生きていく。もう君を一人で戦わせはしない。だから、僕の力を君の大切なものを守る為に貸そう。ただの、一人の友として。」
差し出された右手は、もう一つの右手に握られる。
その握り合った二つの手には、友情が宿っていた。
「よろしく頼む、ケイ。俺は必ずリリン救う。」
何度目かの決意の言葉を目の前の友へと伝えた少年は、自分の体が熱くなっていくのを感じる。
おそらく、血液の変換が始まったのだ。
これで少年は、新たな力を手にするのだろう。
その力を見た誰かが、少年のことを化け物と呼ぶかも知れない。しかし、それでも少年は、人間として、人間のジン・マクレインとして、これからも生きていくだろう。
「任せてよ。僕は、いつだって君だけの味方さ。」
決意を伝えられた獣もまた、今一度、自分の気持ちを少年へと伝える。
もうその体に鎖など、つけられてはいない。
新たにその心に結ばれたのは、少年との友情の糸だった。
「ーー!?」
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ジンの心臓の拍動が、また大きく高鳴っていき、その鼓膜を刺激し始める。
見ると、光が頭上から差している。
その光に導かれるように、ジンの意識は、どんどんと覚醒へと向かっていく。
「お話の時間は終わりらしいね。けど、またいつでも話に来てよ。僕はいつでも待ってるからさ。」
「ああ、いつだってくる。リリンにも、お前の事をちゃんと話してやらないとな。」
互いに別れの言葉をかけ、一人と一匹は握った手を離す。
そして、ジンの意識は、現実へと引き戻されたのだった。
ーー「お客さん?大丈夫ですか?」
そんなレギアスの声を聞いたジンは、自分の意識が戻ったことを改めて認識する。
立ち上がろうと足に力を込めるが、痙攣をおこし、感覚が麻痺している。到底立ち上がることはできない。
「血の変換の影響で、あなたの体は一時的に麻痺しています。回復には少し時間がかかります。」
そう話すレギアスの背後には、夕焼けの空に沈む太陽が橙色の光を放ち、煌々と輝いていた。
「あいつは、サマエルは今どこにいる?」
「彼の魔力はまだこの国に残っています。何故かは分かりませんが、彼はこの国のどこかにいます。」
「あいつがまだこの国のどこかに……」
拳を握り、歯を噛みしめる。
体の中で力が滾ってくるのが分かる。一人だけのものではない、二人分の力が、そこには詰まっていた。
「俺が、俺たちが、あいつを倒す。待っていろ……サマエル・インヘイト、お前を必ず裁く。」
間も無くその斜陽は途切れ、赤竜の国には夜が訪れようとしていた。反撃の狼煙は、落日ともに上がる。




