第14話:背神の国
「私、何やってんだろ……」
王城から宿への帰り道、1人で寂しげに歩く少女はポツリとそんな言葉を漏らす。少女の目元は泣いたせいか少し腫れている。
その赤くなった目元が少女が残しているの幼さをより際立たせている。
「少しはぶかれて、邪険にされたくらいで、怒鳴って、泣いて、逃げて、なんで私こんなにムキになってるんだろ……別にあんな奴どうでもいいのに。」
少女は気を紛らわすためにそんな悪態をつく。しかし、それは虚勢に過ぎない。彼女の本心は全く違うものだ。
その本心はとても単純。そう、少年のことをちゃんと知りたい、彼にもっと頼って欲しい、彼と肩を並べて歩いていたい。そんな単純なものだけだ。ただそれだけ。
しかしそれはここ数日でさらに高まってきているのをリリンは感じていた。その原因の中心にあるのは、ジークフリードとの会話、そして彼がリリンへ向けた質問。
『嬢ちゃんとにいちゃんはどんな関係なんだ?』
その時は、きちんとした答えは出せていなかった。だが、その質問に対する本当の答えをリリンはずっと考えていた。
そしてジークフリードの言葉を聞き、ジンとアルトとの勝負を見たとき、リリンは自分の心の中にジンに対するある思いがあることを自覚する。
私はジンに『憧れ』を抱いていたんだ。
ジンの強さに憧れた。ジンの諦めない心の強さに憧れた。ジンの努力をし続ける姿に憧れた。ジンの時折見せる不器用な優しさに憧れた。
ジン・マクレインという1人の少年と行動をともにする内に、リリンの心には彼に対するそんな気持ちが生まれていたのだ。
そしてそれは、一種の恋慕とも言える感情だ。だが、リリンはそれを『憧れ』と捉えた。いや、もしかしたら恋心と分かっていながらも、分からないふりをしているのかもしれない。
しかしその感情は今日の先ほどに見事に否定されてしまった。
『お前には関係ない』
この日、リリンが心の底で密かに憧れや、恋慕の情を抱いていた少年は、リリンが1番望んでいない言葉を彼女へとかけた。
それは優しさゆえのものだろう。彼女に知られたくないことを隠すためだろう。彼女に心配をかけさせたくないからだろう。
そんなことはリリンも分かっていた。だが、そんな理性とは裏腹に、体は、心は、正直だ。彼の言葉でその心は悲しみ、彼の言葉でその瞳は涙を流した。
「私って重い……こんなの私の勝手な気持ちなのに……けど、その気持ちを抑えられない、隠しきれない。だから、私は……後悔しない道を選ぶ。」
けれども、いつまでも落ち込んでいるほどリリンは後ろ向きな性格ではない。彼女の心の火にはいつも薪がくべられている。
その薪は心が沈むほどに火へと入れられる。それが彼女の心の強さの源だった。ならばその薪は何なのか?それは彼女にしか知りえない。
彼女の取れる選択肢は二つ、このまま心の溝を作ったまま、拒絶されて傷つかないように、互いに深く干渉しないようするか、玉砕覚悟で自分の胸の内を吐き出し、相手の本音も聞き、それを受け止めるかのどちらかである。
リリンはどちらを選ぶか、しかし彼女は逃げるということを決して選ばない。ならば、選べる選択肢は決まっている。
「ジンが返ってきたら謝らないとね。あいつのことだからまた何か言ってきそうだけど……ちゃんと私の気持ちも話さなくちゃ。」
どうやら少し歩くことで頭と気持ちの整理がついたようだ。まだ微かに目に残っていた涙を拭い、両の手で自らの頰を叩く。覚悟は決まったらしい。
「泣いてたってしょうがないよね。くよくよしてるなんて、私らしくないし。早く宿に帰って、ジンが帰ってくるのを待たなきゃ。ジンの奴、覚悟してなさいよ!」
いつも通りの強気な発言を宿への帰路に響かせる。
周りから見れば、これはただのすれ違いに過ぎない。時間をかければ少しずつ改善されていくだろう。もしかすれば、リリンの思いの強さによっては今夜にでも和解へと向かうかもしれない。
そう、これは大したことのない話だ。将来、何年も経った後にはこんなこともあったと、笑って思い返すような人生の経験の一つなることだろう。
このままリリンが宿へ帰り、ジンが宿に帰ってきてから2人で話し合えば済むはずのことだった。
だが、運命は告げる。『そんな簡単には終わらせない。』
廻り始めていた運命の渦はすでにジンとリリンの2人を巻き込み、離さなかった。そしてそのまま何処かへと連れ去ろうとするように、勢いを増し始める。
ーー「で?お前の考えはどうなんだ?」
「そんなこと言いながらも、大方の予想はあなたもついておられるのでしょう?」
時は少し遡り、城下町のとあるよろず屋、その店内で二人の男が椅子に腰掛け、密談を交わしている。一人は不敵な笑顔で、もう一人は胡散臭い笑顔を貼り付けて。
「聖王様は、背神の国については知っていますかね?数百年前に世界連合軍との戦争で滅んだ国ではありますが、その悪行の数々は後世にも伝わっているはずですよね?」
運ばれてきた茶を啜りながら、よろず屋の店主であるレギアスはこの国の王であるジークフリードに笑みを浮かべたまま話しかける。ジークフリードに親しく話しかけることのできる人物は彼の臣下以外では、この男ぐらいなものだ。
「やっぱり今回の事件は背神の国の奴らの仕業か?俺も多少なら奴らについての知識はある。復活したっていう噂は一応耳には入ってたけどよ……」
「まだ確定というわけではありませんが、今までの情報を信じるならば、その可能性が1番高いと思いますね〜」
ニヤニヤしているレギアスの表情は、いったい彼が何を考えているのかをまったく悟らせない。だが、ジークフリードの次の一言で彼の笑みは曇る。
「いいのか?お前の目的の奴も背神の国にいるんだろ。このまま静観決め込むつもりかよ?お前も動くべきなんじゃねぇのか。」
「……なるほど、一理ありますな〜。しかし……今回の事件の首謀者と、私が追っている者は同一人物ではございませんよ。同じならば、とっくに私も血眼で国中を探し回ってその首を斬り落としております。」
何かを思い出したレギアスは笑顔を曇らせ、ほんの一瞬だが感情を表へと出した。心の底で煮えたぎる憤怒の激情を。
「その気持ちはあんまり出さねぇ方が良いぜ。連れの子供たちが泣いちまう。いつも通りの胡散臭い笑顔してろよ。」
「ロアもセケルもそんなことで泣きはしませんよ。あの二人は強いんですよ。私と違ってね。」
レギアスの感情の変化に気づいたのか、ふざけたようにそんな冗談を口にするジークフリード。それに対してレギアスは皮肉めいた言葉を返す。
「……話を戻すか。で、相手がお前の探してる奴じゃないとして、他に心当たりはあるのか?」
店内に漂い始めた静寂を打ち消すために、わざと手を叩いてレギアスへと話を振る。
「おそらく、この件の犯人は背神の国の五凶将の一人だと思われますね。人を操るという力、一致しない目撃情報、この2つの点から、その可能性が高いと判断できます。」
「五凶将……背神の国の皇帝に忠誠を誓う悪魔どもか。」
『五凶将』、それがどのような者たちなのか、それはその言葉を聞いたジークフリードの顔を見ればわかる。
「皇帝より賜わった呪印の力で隣国の五カ国を単騎で打ち滅ぼした背神の国の五人の将です。しかし、皇帝も、五凶将達も、数百年前の戦争によって命を落としたはずですがね〜」
「同一人物か、違う奴かなんてどうだっていい。俺の国に手を出した奴は誰であろうと、俺が叩き潰す。それが神さんでもな。」
「あなたのその不敵な態度の方が、よほど背神だと思いますが、まぁ、油断はなさらないように。彼らもあなたと同じで人知を超えた力を手にしています。手を抜けば、死にますよ。」
レギアスの忠告にジークフリードはいつも通りの不敵な笑みで返す。まるで自分は無敵だとでも言いたげに。
「それは楽しみだな。殺せるもんなら殺してみやがれ。全部返り討ちにしてやるよ。」
「素晴らしい〜意気込みですね。期待しておりますよ。聖王様、あなたにはまだまだやってもらわないといけないことがたくさんあるのですからね。」
そして二人の男は密談を終える。いったいこの二人の関係とは何なのだろうか?そしてこのレギアスという男はいったい何者なのだろうか?全てはあの日交わした契約の中に秘められているのだった。
「また来るぜ。そん時はお前の店の商品も買ってやる。俺とお前がまだ死んでなかったらな。せいぜい善良な商人を演じてろよ。」
そんな皮肉をレギアスへと向け、ジークフリードは出された茶を飲み干す。そして腰掛けていた椅子から立ち上がると、出口へと歩いていく。
「あっ、お帰りですか聖王様?またのお越しをお待ちしております!!今後ともこの店をご贔屓にお願いしますね。」
セケルと共に店番をしていたロアが中から出てきたジークフリードに元気よく声をかける。その笑顔は明るく輝いている。
「相変わらず元気だなお嬢ちゃんは。茶、美味かったぜ。お嬢ちゃんはいい嫁になれるな。」
「えへへ、嬉しいです。じゃあ聖王様が私をお嫁さんに貰ってくださいね?」
ジークフリードに褒められ、ロアは嬉しそうに頬を赤らめる。そして天真爛漫な笑顔でそんなことを言う。どうやらジークフリードのことをかなり好いているらしい。
「俺との恋はライバルが多いぜ。何ってたって俺は世界中の女から愛されてるからな。あと10歳は大人にならねぇとな。それまで俺が生きてたら考えてやる。」
「が、頑張ります!!」
無邪気なロアをからかいながら、再び彼女の頭を撫でる。ロアの頰がさらに赤くなる。それはまるで赤々と熟れた林檎のようだ。
「姉ちゃんをあんまりからかわないでもらえませんか?正直に言って不愉快な気持ちです。帰るなら早く帰ってくださいよ。おじさん。」
セケルは不機嫌そうな顔でジークフリードとロアの間に割って入る。ロアとジークフリードが親しくしているのが気にくわないらしい。
「お前は本当にお姉ちゃん大好きだな坊主。そんなにお姉ちゃんにべったりしてたら、他の女の子からモテねぇぞ。」
「余計なお世話だよ。おじさんには関係ないでしょ?そんなことより早く帰ってよ。仕事の邪魔だよ。そんなに聖王様って暇人なんですか?早く戻って国のための仕事をして下さいよ。」
いつも通りの悪態をつき、セケルは言葉のナイフに毒を塗りたくってジークフリードへと投げ飛ばす。
「会うたびに可愛げのないことばっか言いやがって。年上の人には丁寧な言葉遣いをしろって、そこの胡散臭い店長から習わなかったのか?」
そんなセケルの悪態を笑って受け流しながら、ジークフリードはセケルの頭も撫でようとするが、その手は跳ね除けられてしまう。
「やめて下さい。僕を子供扱いしないでもらえませんか?」
「随分と嫌われたもんだな。ちょっと悲しいぜ。」
「こらセケル!!聖王様に失礼なことしないの!!」
セケルをロアが叱りつけてるのを微笑ましく見つめた後に、ジークフリードは再び帰城への歩を進め始める。
「じゃあ、俺は坊主の言う通りに仕事をするかな。未来ある子供達を守る為にもな。」
「頑張って下さいね!!私もできることならお手伝いしますから!!」
「まぁ、当たり前ですけど頑張って下さいよ。後、子供扱いはしないで下さい。」
二人からの激励の言葉を背に受け、右手を軽くあげてそれに答える。『俺に任せておけ』そう言いたげな背中は二人からどんどんと離れ、小さくなっていく。
「そんなこと言われたら、王様として、やるしかねぇよな。」
小さく呟かれたその言葉には、聖王としての覚悟が込められていた。
ーー 「あれ?」
時は戻り、王城から宿への帰路、心機一転し、迷いを捨てて街路を歩いていたリリンの目に一つの人影が、映った。その人影はリリンの歩く道を遮るように突っ立っている。
この距離なら相手もリリンに気づいているはずだ。だが、一向に道を開けようとはしていない。仕方なくリリンの方が少し横へとずれる。すると、それはリリンと同じ分だけ同じ方向へとずれた。
同時、というわけでもない。明らかにリリンが横へと動くのを確認してから向こうも横へと移動した。つまりわざと道を遮ろうとしているのである。ただの嫌がらせのようなものだろうか?少し警戒しながらも、リリンは構わずにその人影の方へと歩いていく。
距離が縮まろうが、なおもリリンの道を遮る人影は道を開けようとはしない。体格的にどうやら男のようだ。身につけている衣類は、この城下街では珍しい清楚感のあるもので、程よく伸びた黒い髪にも清潔感がある。歳は20かそこらといったところだ。顔立ちも整っている。まるでどこぞの貴族に仕える執事のようだ。
だが、それは見た目だけだ。その整った顔を大無しにするように、男は不気味なまでの笑みを顔に貼り付けている。つり上がる口角と爛々と光る瞳がその怪しさを増長させている。
「お一人様ですかお嬢さん?お名前は何というのでしょうか?」
突然男がリリンへと声をかける。やはりリリンの存在に気付いついていながらも、わざと道を遮っていたらしい。どうやら最初からリリンに話しかけるつもりだったようだ。
「あなたはどちら様ですか?知り合いってわけじゃなさそうですけど……一体何のようですか?」
男のその不気味な笑みに警戒心を高めながら、恐る恐る言葉を返すリリン。男の挙動、一つ一つに注意の目を向け、何かあればすぐに逃げられるように体勢をを整える。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。あなたに危害を加えようなんてつもり、僕にはまったくございませんよ。ただあなたと少しずつお話がしたいだけでして。」
そういうと男は一歩、二歩、とリリンへと歩みを進める。その間にも口角はつり上り、不気味な笑みは顔に張り付いたままだ。
「悪いんですが、急いでいるので、そこを通してください。」
男の不気味さに危険を感じたリリンは男から逃げようと、その横を通り過ぎようとする。だが、その行動は横へと伸びた男の腕によって阻止される。清潔感のある白い手袋をはめた手は真っ直ぐに伸び、リリンの動きを抑えている。
「怖がらないでくださいよ。邪険にしないでください。僕も傷ついてしまいます。少し、少しだけでいいので。」
「……あなたいったい誰なんですか……?」
逃げられないと悟ったリリンは恐る恐る口を開く。その心臓は男の放つ不気味さによって拍動を速めている。ドク、ドク、ドク、と忙しく体の中で波打つのがリリン自身にもわかる。
「ああ、僕としたことが、なんという無礼を。そうですよね。名も知らない者にいきなり話しかけられれば、誰でもそのようになってしまいますよね。すいません失礼しました。」
リリンが男のことを警戒しているのは名前が分からないからだけではないのだが、男はそんなことには気づきもせずに自身の名を口にする。とある言葉とともに。それは絶望の呼び言。
「僕は背神の国《エデン》、五凶将が一柱、『人繰』のサマエル・インヘイト……以後お見知り置きを、禁忌の花嫁。」
笑う、嗤う、嘲笑う、その悪魔の笑みは途切れることなく続く。
「さぁ、共に行きましょう。我が皇帝陛下の元に。」




