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王城にて

王城の大広間は、荘厳な柱と煌びやかな装飾に彩られ、王国の権威を静かに物語っていた。


高い天井から吊り下げられたシャンデリアの灯りが、磨き抜かれた大理石の床へ、幾重にも光の粒を落としている。表彰式を控えた広間には、既に多くの貴族や王族が集い、抑えた話し声が、天井の高い空間に柔らかく反響していた。


シンクレアは、深紅の礼服に身を包んだまま、扉をくぐる直前で、一瞬だけ足を止めた。


この場所を訪れるのは、婚約破棄を告げられたあの日以来だった。記憶の底に沈めていたはずの光景が、鮮明に脳裏へ蘇ってくる。石畳の冷たさ、注がれた無数の視線、そして毅然と背を向けた自分自身の足取り。


「大丈夫か」


隣に立つオーレリアンが、そっと声をかけた。軍装を丁寧に整えたその姿には、これまでの戦いを乗り越えてきた者だけが持つ、確かな風格が滲んでいる。


「ああ」


短く答えながら、シンクレアは深く息を吸い込んだ。過去の記憶に呑まれるわけにはいかない。今日この場所へ立つのは、あの時とは違う、確かな自分自身の意志によるものだった。


広間の奥へ進むにつれ、視線が自然と集まってくる。黒狼旅団討伐の英雄として名を馳せた二人への関心は、隠しきれないものがあった。


その視線の群れの中、シンクレアの足が、僅かに強張った。


広間の中央付近、王族の一団の中に、見覚えのある人影がある。金髪に整った顔立ち、王家の血筋を示す華やかな衣装。第二王子リカルドだった。


視線が、一瞬だけ交錯する。


リカルドの表情に、明らかな動揺が走った。気まずさを隠しきれないまま、素早く視線を逸らす。


シンクレアもまた、同じように視線を逃した。婚約を破棄されたあの瞬間の記憶が、鋭く胸を掠める。だが、そこに宿るのは、以前のような痛みではなかった。むしろ、過去を過去として静かに見送る、確かな距離感だった。


オーレリアンは、その様子を横目で見つめていたが、やがて、真っ直ぐにリカルドの元へと歩み寄っていく。


「殿下」


丁寧な礼を執りながら、オーレリアンは静かに口を開いた。


「オーレリアン・エルフレイムです。此度は、お招きいただき光栄です」


その挨拶に、リカルドは僅かに戸惑いを見せながらも、礼を返した。


「此度の功績、見事であった。王国を代表して、感謝する」


儀礼的な言葉のやり取りが交わされる中、オーレリアンはふと、口調を僅かに変えた。


「殿下」


改まった声に、リカルドは僅かに眉を寄せる。


「貴方が手放された女性は、素晴らしい実力の持ち主で、大変美しい方ですよ」


その一言に、リカルドの表情が、目に見えて硬くなった。周囲の貴族たちの耳を憚るように、僅かに声を潜める。


「それは……」


言葉に詰まるリカルドを、オーレリアンは静かに見つめていた。皮肉を込めたつもりはない。ただ、事実を、真っ直ぐに告げただけだった。


しばしの沈黙のあと、リカルドは僅かに肩を落とした。


「その通りだ」


搾り出すような声だった。


「シンクレア嬢の実力は、俺よりも上だった。剣の腕も、状況判断も、何もかも」


その告白には、これまで隠してきたであろう本音が、静かに滲んでいる。


「正直に言えば、俺は……嫉妬していた」


続けられた言葉に、周囲の空気が、僅かに張り詰めた。だが、リカルドは、もう止まらなかった。


「王族として、誰よりも優れていなければならないという焦りがあった。だが、隣に立つ婚約者が、自分よりも遥かに優れているという事実に、耐えられなかった」


その独白は、これまで誰にも打ち明けたことのない、深い後悔を伴っていた。


離れた場所で成り行きを見守っていたシンクレアは、思わず息を呑んだ。予想もしていなかった告白に、動揺を隠しきれない。


「あの時」


リカルドは、ゆっくりとシンクレアの方へ視線を向けた。


「自分のことばかり考えていた。きみの気持ちを、一切考えていなかった」


真っ直ぐな眼差しが、シンクレアを捉える。


「あの場で、あんなことを言うべきではなかった」


搾り出すような謝罪だった。婚約破棄を告げたあの瞬間、多くの人々の前で告げられた心無い言葉。その重みを、今になって、ようやく理解しているようだった。


「すまなかった」


深く頭を下げるリカルドの姿に、広間の一角が、僅かにざわめいた。王族としての矜持を持つ者が、公の場で頭を下げる光景は、決して珍しいものではない。


シンクレアは、しばらくの間、言葉を失っていた。


これほど率直な謝罪を、受けるとは思っていなかった。婚約破棄という出来事は、既に過去のものとして、心の中で整理をつけていたつもりだった。それでも、こうして本人の口から真意を聞かされることには、確かな衝撃がある。


「殿下」


ようやく紡いだ声は、僅かに震えていた。だが、そこに込められた響きは、怒りでも恨みでもない。


「顔を上げてください」


静かに告げると、リカルドはゆっくりと頭を上げた。


「あの日のことは、既に過去のことです」


シンクレアは、真っ直ぐにリカルドを見つめながら続けた。


「殿下の謝罪、確かに受け取りました」


その言葉には、決して強がりではない、確かな穏やかさが滲んでいる。剣を握り、戦場を駆け抜けてきた日々を経て、そして今、隣に立つ者を得たことで、過去の傷は、既にその輪郭を大きく変えていた。


リカルドは、僅かに目を見開いた。それから、安堵とも取れる、静かな息を吐く。


「感謝する」


短い言葉だったが、そこには確かな誠意が込められていた。


「エルフレイム殿と、末永く幸せであってほしい」


その言葉に、オーレリアンは満足げに頷いた。


「ありがとうございます」


短いやり取りを終え、リカルドは静かに一礼すると、その場を後にしていく。残された二人の間に、これまでとは違う、静かな空気が流れていた。


「大丈夫か」


改めて問いかけるオーレリアンに、シンクレアは小さく頷いた。


「ああ」


短い返答だったが、その声には、これまでにない軽やかさが滲んでいる。長く胸の奥に居座り続けていた過去の棘が、今、ようやく静かに抜け落ちていくような感覚だった。


「終わったんだな」


呟くように告げるシンクレアに、オーレリアンはそっと手を握った。


「ああ。もう、過去に囚われる必要はない」


その言葉に、シンクレアは静かに頷く。


大広間には、これから始まる表彰式を待つ、穏やかな喧騒が満ちていた。過去との対峙を終えた二人の間には、これまで以上に強く、確かな絆が結ばれている。


シャンデリアの灯りが、二人の姿を柔らかく照らしていた。婚約破棄という始まりから続いてきた長い物語は、今、また一つの区切りを迎えようとしていた。


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