表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
93/97

隣に立てる者

秋の陽射しが柔らかく差し込む午後、エルフレイム邸の庭園には、静かな時間が流れていた。


色づいた木々の間を縫うように、小さな噴水が涼やかな音を立てている。石造りのベンチに腰掛けたエメリンとシンクレアの傍らには、湯気の立つ紅茶が置かれ、風に運ばれる香りが、二人の間を穏やかに包んでいた。


薬草園での仕事の合間、エメリンはこうしてシンクレアの元を訪れることが増えていた。恋敵として意識していた頃には、想像もできなかった関係が、今は自然な形で根付いている。


しばらくの他愛ない会話が続いたあと、エメリンはふと視線を庭木の彼方へ向けた。色づいた葉が、風に揺れて散っていく様子を、しばらく無言のまま見つめている。


「シンクレア様」


改まった声に、シンクレアは湯気の立つ紅茶から視線を上げた。


「少し、聞いていただきたいことがございますの」


真剣な響きに、シンクレアは静かに頷く。庭園を渡る風が、二人の髪を柔らかく揺らした。


「わたくし」


言葉を選ぶように、エメリンはしばらく沈黙する。膝の上で重ねた手に、僅かな力が込められた。


「確かに、リアン様のことを、ずっとお慕いしておりました」


その告白には、これまでのような羞恥や動揺ではなく、静かな落ち着きが滲んでいた。過去の想いを、既に整理し終えているような、そんな響きである。


「けれど」


一度言葉を切り、エメリンは真っ直ぐシンクレアを見つめた。


「もし、時を巻き戻せたとしても……何度やり直したとしても、きっと、あの方はわたくしを選ばなかったと思いますの」


その言葉に、シンクレアは僅かに眉を寄せた。


「なぜ、そう思う」


「あの方が本当に望んでいたのは、わたくしのような者ではございませんでしたわ」


静かに、しかし確かな重みを持って、エメリンは続けた。


「守られるだけの令嬢ではなく、隣に立って、共に歩んでくれる相手。それが、リアン様の求めていたものですもの」


庭園に吹き抜ける風が、色づいた葉を一枚、二人の足元へと運んだ。エメリンはそれを見つめながら、僅かに微笑む。


「わたくしは、剣を握ったこともなければ、戦場に立つ覚悟もございません。守っていただくことしかできない者ですわ」


自嘲めいた響きではなく、事実を淡々と語るような、落ち着いた声だった。


「けれど、シンクレア様は違いますわ」


視線を上げ、エメリンは真っ直ぐにシンクレアを見つめた。


「剣を握り、戦場に立ち、ご自分の身は、ご自分で守れる。あの方の隣に立って、共に歩める強さを、シンクレア様は最初から持っていらっしゃいましたもの」


その言葉には、羨望とも敬意ともつかない、複雑な想いが込められていた。だが、そこに滲む響きは、決して暗いものではない。むしろ、確信めいた明るさが、その声には宿っていた。


「だから」


エメリンは、静かに、けれどはっきりと告げた。


「シンクレア様でないと、駄目だったのですわ」


その一言に、シンクレアはしばらく無言のまま、エメリンの横顔を見つめていた。紅茶の湯気が、二人の間で静かに揺れている。


「私は」


ようやく紡いだ声には、僅かな戸惑いが滲んでいた。


「自分がそこまで特別な存在だとは、思っていない」


謙遜ではなく、素直な本音だった。剣を握って生きてきた自分に、そこまでの価値があるのかどうか、正直なところ、シンクレア自身も測りかねている。


「特別かどうかは、関係ございませんわ」


エメリンは静かに首を横に振った。


「リアン様が望んだのが、シンクレア様だった。それだけで、十分ではございませんの」


その言葉に、シンクレアは僅かに口元を緩めた。込み上げる感情を、うまく言葉にできないまま、代わりに小さく頷く。


「感謝する」


短い返答だったが、そこには確かな想いが込められていた。エメリンの過去の恋心と、それを乗り越えた末に辿り着いた、この率直な言葉への、深い敬意だった。


エメリンは、僅かに目を細めながら微笑んだ。


「それに」


続けられた声には、明るさが戻っている。


「今のわたくしは、お二人の一番の応援団ですもの。過去の恋心を、いつまでも引きずっているわけにはいきませんわ」


その言葉に、シンクレアは思わず小さく笑った。


「随分と、切り替えが早いな」


「薬師は、過去に囚われている暇はございませんの」


胸を張るように答えると、エメリンは紅茶のカップを手に取った。湯気の向こうから覗く表情には、これまでの葛藤を乗り越えた者だけが持つ、清々しさが浮かんでいる。


「それより、シンクレア様」


話題を変えるように、エメリンはやや悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「最近、リアン様との仲が、随分と深まったと伺いましたわよ」


その一言に、シンクレアの表情が僅かに強張った。頬に、じわりと熱が広がっていく。


「誰から、そんな話を」


「エレノア様が、嬉しそうにお話しくださいましたわ」


悪びれる様子もなく答えるエメリンに、シンクレアは小さく息を吐いた。


「あの人は、少し口が軽すぎる」


「愛する息子夫婦のことですもの。話したくなるのも、無理はございませんわ」


からかうような口調に、シンクレアは僅かに視線を逸らした。だが、そこに滲む表情には、拒絶よりも、むしろ気恥ずかしさが強く浮かんでいる。


その様子を見つめながら、エメリンは満足げに微笑んだ。


「お二人が幸せそうで、わたくしも嬉しく思いますわ」


心からの言葉だった。過去の恋心を乗り越え、今は友人としての立場から、夫婦の幸せを願う。その想いに、一切の偽りはない。


庭園を渡る秋風が、二人の間を優しく吹き抜けていく。色づいた葉が舞い落ちる中、二人の女性の間には、恋敵という関係を超えた、確かな友情が、静かに根付いていた。


「これからも」


紅茶を飲み干しながら、エメリンは穏やかに告げた。


「良き友人として、そして、お二人の一番の応援団として、傍にいさせてくださいませ」


その言葉に、シンクレアは静かに頷いた。


「ああ、頼りにしている」


短い返答だったが、そこに込められた信頼の重みは、決して軽いものではなかった。


秋の陽射しが、二人を柔らかく照らし続けている。恋敵として始まった関係が、今や、かけがえのない友情へと育っていた。婚約破棄から始まったこの物語は、多くの人々の想いを織り込みながら、確かな温かさを紡ぎ続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ