俺と結婚してください 4
会える。
その事実は、剣を手に勝利した時とも、功績を認められた時とも違う喜びだった。
胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
焦がれるような熱ではない。
冷えた身体へ少しずつ温かい湯が満ちていくような、不思議な感覚だった。
一年。
長かったようにも思えるし、あっという間だったようにも思える。
あの日、王城の大広間で見送った銀色の背中は、今でも驚くほど鮮明に思い出せた。
最後まで振り返らなかったこと。
堂々と歩き続けたこと。
けれど、その右手だけは強く握られていたこと。
ほんの僅かに浅くなった呼吸。
あれほど離れた場所から見ていただけなのに、どうしてそんな細かなところまで覚えているのか、自分でも不思議だった。
それほど強く印象へ残ったのだろう。
オーレリアンは自然と拳を緩めた。
知らず知らずのうちに力が入っていたらしい。
指先へ爪の跡が薄く残っている。
その手をぼんやり見つめながら、小さく息を吐いた。
「……良かった」
声になったのは、それだけだった。
飾る言葉は何も出てこない。
ただ、会える。
それだけで十分だった。
レオンはそんな弟を静かに見つめている。
表情は穏やかなままだ。
しかし、弟の様子を細かく観察していることは伝わってきた。
喜び方。
息遣い。
視線。
そこから何を考えているのか読み取ろうとしているのだろう。
カイルは机の上へ置いた封書をゆっくり指先で押さえた。
返書は短い。
面会を許可する旨と、日時、それから最低限の挨拶が書かれているだけだった。
しかし、その短い文面を受け取るまでに、ローゼンタール公爵家がどれほど考えたかは想像に難くない。
婚約破棄から一年。
ようやく静かになり始めたところへ、辺境伯家から面会の申し出が届いたのだから。
警戒して当然だった。
だからこそ、この返事には意味がある。
「公爵閣下は、お前と一度話してみたいと書いている」
カイルが封書へ目を落としたまま告げる。
「こちらがどういう意図で面会を望んだのか、それを直接聞きたいそうだ」
オーレリアンは頷いた。
当然だと思う。
もし自分が父の立場でも、同じように相手を見極めようとするだろう。
「俺ならそうします」
自然と口から出た。
レオンが静かに頷く。
「私もそう思う」
短い一言だった。
そのあと、再び部屋へ静寂が落ちる。
窓の外では枝葉が風に揺れ、さらさらと優しい音を立てていた。
春の終わりらしい穏やかな風だった。
けれど、この部屋にいる三人の間には、少し違う緊張が流れている。
話はまだ終わっていない。
レオンは机の上で組んでいた両手をゆっくり解く。
指先を重ねる癖は、何か大切な話を切り出す前によく見せる仕草だった。
「リアン」
呼ばれる。
オーレリアンは自然と背筋を伸ばした。
「今回の面会だが、父上が先に公爵閣下と話をされる」
「はい」
「お前が呼ばれるのは、そのあとだ」
オーレリアンは静かに頷いた。
それは事前に聞かされていた通りだ。
「向こうは、まだこちらの本当の目的を知らない」
レオンの声は落ち着いていた。
「だから父上も、最初から縁談の話を切り出すつもりはない。まずは互いに話をして、信頼できる相手かどうかを見極める。そのうえで、お前を紹介する流れになる」
オーレリアンは封書へ視線を落とした。
自分はまだ、公爵家にとって素性も考えも分からない若者に過ぎない。
求婚どころか、公爵と言葉を交わす資格があるかどうかさえ見定められる立場だ。
だからこそ、焦るつもりはなかった。
「分かっています」
短く答える。
「今回は、会っていただけるだけで十分です」
その言葉に、レオンはゆっくり頷いた。
「その考えでいい」
横で聞いていたカイルも口元をわずかに緩める。
「最初から全部うまく運ぶと思うな」
「一歩ずつだ」
「はい」
オーレリアンは素直に返事をした。
その横顔には焦りはない。
あるのは、ようやく踏み出せるという静かな決意だけだった。
書斎には再び静寂が戻る。
柱時計の針が、規則正しく時を刻み続けていた。




