表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
87/97

決着

黒狼の踏み込みが、地面を鋭く抉った。


振り下ろされる両手剣の軌道を、オーレリアンは薄れゆく意識の中で懸命に追いかけていた。視界は絶えず歪み、二重に映る刃の残像が、判断を鈍らせようとしてくる。それでも、これまで積み重ねてきた実戦の勘だけは、まだ完全には消えていなかった。


避けろ──そう体が叫んでいる。


震える足に力を込め、オーレリアンは横へ大きく身を投げ出した。刹那、頬のすぐ側を刃が通り過ぎる。切り裂かれた空気が肌を打ち、地面が轟音とともに割れた。


「まだ、避けられるか」


黒狼が僅かに驚きを滲ませながら、両手剣を引き戻す。連撃を仕掛けようと構え直したその瞬間、オーレリアンは地面に転がったまま、素早く体勢を立て直していた。


膝をつき、荒い息を吐きながらも、剣を握る手は決して緩めない。込み上げる血の味を飲み下し、視線だけは真っ直ぐに黒狼を捉え続けている。


「今度は、こちらの番だ」


掠れた声で告げると、オーレリアンは地を蹴った。


毒に蝕まれた身体には、本来の速さなど残っていない。それでも、これまでの戦いで見極めてきた黒狼の癖──両手剣を振り下ろした直後、僅かに生まれる隙。そこへ、残された力の全てを注ぎ込む。


踏み込みの勢いのまま、オーレリアンは低く身を沈めた。振り抜かれたばかりの両手剣が再び構え直されるより早く、その懐深くへ滑り込む。


黒狼の反応が、僅かに遅れた。


「なっ──」


驚愕の声が漏れる間もなく、オーレリアンは渾身の力を込めて剣を突き上げた。狙いは、鎧の継ぎ目、心臓の位置からわずかに逸れた脇腹の隙間。


手応えが、確かに伝わってくる。


刃が肉を貫く感触とともに、黒狼の巨躯が大きく仰け反った。


「ぐああっ……!」


これまで一度も聞かせなかった、苦悶に満ちた咆哮が響き渡る。両手剣を握る腕から力が抜け、重い得物が地面へ落下した。鈍い音を立てて転がるそれを横目に、黒狼は片膝をつく。


オーレリアンもまた、渾身の一撃を放った反動で、その場に崩れ落ちそうになった。剣を握る手だけがどうにか力を保ち、体を支える最後の支柱となっている。


「まさか……この俺が」


膝をついたまま、黒狼は信じられないというように呟いた。仮面の奥から覗く瞳に、これまでにない動揺の色が浮かんでいる。


「終わりだ」


搾り出すような声で告げると、オーレリアンは剣先を、崩れゆく黒狼の喉元へ向けた。震える腕を叱咤し、切っ先を保ち続ける。


黒狼はしばらく無言のまま、突きつけられた刃を見つめていた。傷から流れる血が、地面へ黒い染みを広げていく。


「国は、人を守らないと言ったな」


搾り出すような声で、オーレリアンは続けた。


「だが、俺は今日、守るべきものを守れた」


その言葉に、黒狼は僅かに目を細めた。反論する気力すら、既に失われているようだった。


崩れかけた石壁の傍らでは、シンクレアがゆっくりと身を起こしていた。負傷した肩を押さえながらも、その瞳には、決着を見届けようとする確かな光が宿っている。


膝をついたまま動かない黒狼を前に、オーレリアンはしばらく剣先を下げなかった。


震える腕の奥で、鼓動だけが激しく脈打っている。喉の奥から込み上げる血の味と、視界を絶えず歪ませる毒の侵食。全身が悲鳴を上げる中でも、最後の一線だけは、決して緩めるわけにはいかなかった。


「もう、抵抗する力もないようだな」


搾り出すように告げると、オーレリアンは剣を握り直す。切っ先の先には、片膝をついたまま項垂れる黒狼の姿があった。


「言い残すことは」


問いかけた声に、黒狼は暫し沈黙していた。仮面の奥から覗く瞳には、これまでの威圧感とは異なる、静かな諦観の色が滲んでいる。


「国は、人を守らない」


低く、けれど確かな重みを持って、黒狼は繰り返した。


「その考えは、今も変わらない」


「そうかもな」


オーレリアンは剣を構え直しながら、静かに答えた。


「だが、俺は、俺の周りにいる人を守れる。それで十分だ」


その言葉に、黒狼は僅かに笑みを浮かべたように見えた。仮面越しでは、その表情の真意までは読み取れない。それでも、そこに宿る何かが、確かに伝わってくる。


「エルフレイムの、四男坊」


掠れた声で告げると、黒狼はゆっくりと顔を上げた。


「お前の生き方は、俺とは違う。それだけは、認めてやろう」


その言葉を最後に、黒狼は静かに目を閉じた。抵抗する意志は、もはや欠片も残されていない。


オーレリアンは剣を握る手に、残された最後の力を込めた。


守るべきものがある。共に戦ってきた仲間たちがいる。婚約破棄から始まった物語を、ここで終わらせるわけにはいかない。その想いだけを胸に、オーレリアンは剣を突き出した。


切っ先が、確かな手応えとともに、黒狼の胸を貫く。


くぐもった呻きが、一度だけ響いた。それから、巨躯はゆっくりと、地面へと崩れ落ちていく。動かなくなったその姿を、オーレリアンはしばらくの間、無言のまま見つめ続けていた。


拠点を包んでいた重い緊張が、少しずつ和らいでいくのが分かる。剣を握っていた手から、ようやく力が抜けていった。


「終わった……のか」


呟くと同時に、視界が急速に暗く沈んでいく。毒の侵食が、限界を迎えたのだろう。地面が近づいてくる感覚だけを最後に、オーレリアンの意識は、そこで途切れた。


崩れ落ちる音に気づいたシンクレアが、痛む身体を引きずりながら駆け寄ってくる。


「リアン……!」


叫ぶ声が、静まり返った拠点の中に響き渡った。倒れ伏す身体を抱き起こしながら、シンクレアは震える指先で、その頬に触れる。微かに感じられる呼吸に、辛うじて安堵の息をついた。


「エメリンを……早く」


搾り出すように叫びながら、シンクレアはオーレリアンの身体を強く抱きしめた。


拠点の各所で続いていた戦闘の音も、次第に静まりつつある。ガイアスが黒蛇を制し、シンクレアが白狼を下し、そして今、オーレリアンが団長を討った。長く続いた黒狼旅団との決戦は、ようやくその終わりを迎えようとしていた。


だが、目の前で意識を失ったオーレリアンの姿に、シンクレアの胸には、まだ拭いきれない不安が渦巻いている。毒がどこまで身体を蝕んでいるのか、今はまだ、誰にも分からなかった。


秋の陽が、崩れかけた拠点の上空を、静かに照らし続けていた。決戦の終わりと共に、新たな不安の種が、静かに芽生え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ