兄たちの静かな夜
決戦から数日が過ぎた夜、辺境伯邸の書斎には、三人の兄弟が集まっていた。
暖炉の炎が控えめに揺れ、壁に映る影が緩やかに形を変えている。窓の外では、既に秋の深まりを告げる冷たい風が、木々の梢を鳴らし続けていた。長机の上には、戦後処理に関する書類が幾つも積み重なっている。
レオンは羽根ペンを置き、疲れたように目頭を揉んだ。連日続いた事後処理──捕虜の扱い、王家への正式な報告書作成、そして周辺領地への説明──が、次期辺境伯としての肩に、確かな重みを乗せていた。
「捕虜の白狼と黒蛇の身柄は、王家の裁定を待つことになった」
淡々と告げる声に、カイルが書類をめくりながら頷いた。
「黒蛇の証言から、旅団の資金源についても、かなりの情報が得られたな。これで、残党の掃討もいくらか楽になるだろう」
書類を捲る指先には、文官らしい冷静な分析が滲んでいる。だが、そこには、これまでの緊張が僅かに緩んだような、微かな安堵の色も見て取れた。
ガイアスは暖炉の傍らに立ったまま、腕を組んでいた。他の二人よりも幾分か口数が少なく、その表情には、まだ拭いきれない翳りが残っている。
「蒼鷹のことは、報告書にどう書いた」
低く問いかける声に、レオンは静かに書類を手に取った。
「戦死、とだけ記した。過去の経緯までは、深く触れていない」
その答えに、ガイアスは僅かに目を伏せた。かつて部下だった男の最期を、公的な記録の中で、どう扱うべきか。答えの出ない問いが、その胸の内で今もなお、静かにくすぶり続けているのだろう。
「お前が気に病む必要はない」
カイルが静かに言葉を挟んだ。
「あの時の判断は、状況を鑑みれば妥当なものだった。それは、記録を見返せば誰でも分かることだ」
「頭では、分かってる」
ガイアスは低く答えながら、暖炉の炎へ視線を落とした。
「だが、あいつが最後に見せた表情が、まだ頭から離れない」
言葉少なに告げられたその一言には、指揮官としての重責と、かつての戦友への複雑な想いが、幾重にも折り重なっていた。レオンとカイルは、しばらく無言のまま、その横顔を見つめていた。
やがて、レオンが静かに口を開く。
「お前が背負う必要のない罪まで、背負い込むな」
兄としての、静かな気遣いが滲む声だった。
「あの戦いで、お前は多くの部下を救った。その事実も、忘れるべきじゃない」
その言葉に、ガイアスは小さく頷いた。すぐに気持ちが晴れるわけではないだろうが、それでも、兄からの言葉は、確かな支えとなっているようだった。
しばしの沈黙が、書斎に流れる。暖炉の薪が爆ぜる音だけが、静かにその隙間を埋めていった。
「王都からの返答は、どうなっている」
話題を変えるように、ガイアスが問いかけた。カイルは手元の書類を整理しながら答える。
「王家は、今回の一件を重く受け止めているらしい。辺境伯家の功績を称える書簡が届いてるが……同時に、王国全体の防衛体制の見直しを求める声も、既に上がり始めてる」
「面倒なことだ」
ガイアスが小さく息を吐くと、レオンも同意するように頷いた。
「旅団の残党や、背後にいたかもしれない協力者の捜索も、まだ終わっていない。当面は、気を抜けない日々が続くだろう」
次期辺境伯としての言葉には、これから訪れるであろう困難への、確かな覚悟が滲んでいる。だが、その声音には、決して悲観だけではない、静かな決意も込められていた。
カイルは書類を一つにまとめると、ふと視線を上げた。
「それにしても」
やや口調を和らげながら、続ける。
「今回の一件で、改めて実感したな。オーレリアンも、随分と頼もしくなったもんだ」
その言葉に、レオンとガイアスの表情が、僅かに緩んだ。
「昔は、稽古のたびに泣き言を漏らしていた奴だったがな」
ガイアスが懐かしむように呟くと、レオンも小さく笑った。
「シンクレア嬢と出会ってから、変わったな。守るべきものができたことで、あいつなりの覚悟が固まったんだろう」
兄弟の間に、静かな温かさが広がっていく。厳しい戦いの記憶がまだ生々しく残る中でも、こうして家族の成長を確かめ合う時間には、確かな安らぎがあった。
「侍医からの報告は」
ふと、ガイアスが真剣な声で問いかけた。オーレリアンの容態に関する話題に、書斎の空気が、再び僅かに引き締まる。
「峠は越えたと聞いている」
レオンが静かに答えた。
「エメリン嬢の処置が、迅速だったのが幸いした。あとは、本人の回復力次第だろう」
その報告に、ガイアスは小さく息をついた。安堵とも取れる、静かな吐息だった。
「あの馬鹿弟のことだ。すぐにでも、剣を握りたがるだろうな」
呆れたように零す声に、レオンとカイルも、揃って苦笑を浮かべる。
「その時は、お前がしっかり止めてやれ」
からかうように告げるレオンに、ガイアスは肩を竦めた。
「俺の言うことなど、聞く奴じゃないだろう」
「だが、シンクレア嬢の言葉になら、素直に従うかもな」
カイルが静かに付け加えると、書斎に、控えめな笑いが広がった。
暖炉の炎が、三人の顔をそれぞれ柔らかく照らしている。決戦の傷跡はまだ深く残っているものの、それでも家族としての絆は、静かに、しかし確かにこの場所に息づいていた。
窓の外では、秋の夜風が、変わらぬ調べを奏で続けている。困難な日々はまだ続くだろう。だが、支え合う家族がいる限り、乗り越えられないものではないと、三人はそれぞれ、静かにそう信じていた。




