吐血の刃
黒狼の巨躯から放たれる圧力は、傷を負ってもなお、衰えを見せなかった。
オーレリアンは剣を構えたまま、荒い呼吸を繰り返している。肩を大きく上下させるたびに、ぜぇぜぇと掠れた音が喉の奥から漏れた。毒の侵食は着実に進んでいるのだろう、視界の端が絶えず滲み、地面の感触すら朧げに感じられる。
込み上げてくる不快感に、オーレリアンは咄嗟に口元を押さえた。堪えきれず、指の隙間から赤い血が滴り落ちる。喉の奥から広がる鉄錆の味に、思わず眉根を寄せた。
「大丈夫か」
短く問いかけるシンクレアの声に、オーレリアンは血の付いた口元を拭いながら、無理やり笑みを浮かべた。
「まだ、動ける」
強がりだと分かっていても、それ以外の答えは、この場に相応しくなかった。剣を握る手は震えていたが、握力だけは、決して緩めていない。
黒狼は二人の様子を見比べながら、両手剣を構え直す。負った傷から流れる血は既に止まりつつあったが、その巨躯に宿る闘志は、依然として衰えを見せていなかった。
「そろそろ、限界だろう」
低く告げると、黒狼は地を蹴った。狙いを定めたのは、明らかに消耗しきったオーレリアンだった。
咄嗟に剣を構えるが、朦朧とする意識のせいで、反応が僅かに遅れる。振り下ろされる刃の速さに、避けきれないと悟った瞬間、シンクレアが横合いから割り込んだ。
「させるか」
叫ぶと同時に、シンクレアは渾身の一撃を放つ。剣先が黒狼の両手剣と激しく交差し、火花にも似た音が辺りへ響き渡った。
だが、押し返す力は、これまでとは比べ物にならないほど強かった。負傷した肩からくる痛みと、積み重なった疲労が、シンクレアの踏ん張りを僅かに鈍らせる。
「甘い」
低く告げると、黒狼は剣を握る両腕に、渾身の力を込めた。押し合っていた均衡が、一気に崩れる。
弾き飛ばされたシンクレアの身体が、宙へ舞った。受け身を取る間もなく、崩れかけた石壁へ叩きつけられる。鈍い音とともに、砕けた石片が周囲へ飛び散った。
「クレア……!」
叫ぶオーレリアンの声が、掠れながらも辺りへ響く。だが、すぐに駆け寄ることはできなかった。目の前には、まだ黒狼が両手剣を構えたまま立ち塞がっている。
「一人になったな」
低く告げる黒狼の声には、これまで以上の圧力が滲んでいた。負傷しながらも、標的を確実に絞り込もうとする冷静さが、その言葉には表れている。
オーレリアンは震える足を叱咤し、どうにか剣を構え直した。視界は依然として歪み、立っているだけで平衡感覚を保つのが精一杯だった。
「クレアに、手を出すな」
搾り出すような声だった。喉の奥から込み上げる血の味を堪えながら、それでも意志だけは、微塵も揺らいでいない。
黒狼は僅かに首を傾げた。
「守ろうとする相手が、既に動けないというのに」
「関係ない」
即座に答えると、オーレリアンは剣を構え直す。腕に力が入らず、切っ先が僅かに震えていた。それでも、退くという選択肢は、頭の中に存在しなかった。
離れた場所では、ガイアスがまだ黒蛇との攻防を続けている。こちらの状況に気づく余裕は、まだ生まれていない。援護を期待できない状況の中、オーレリアンは一人、圧倒的な敵と対峙し続けていた。
「その状態で、まだ立ち向かうか」
黒狼は両手剣を担ぎ直しながら、静かに問いかけた。
「愚かとも言えるが……嫌いではない、そういう頑固さは」
言葉とは裏腹に、黒狼の構えに手加減の色は見られなかった。むしろ、これまで以上の速さで、その巨躯が地を蹴る。
オーレリアンは咄嗟に剣を構えた。振り下ろされる一撃を真正面から受け止める余力はない。だが、それでも、剣を手放すわけにはいかなかった。
崩れかけた石壁の傍らで、シンクレアが微かに呻き声を漏らす。意識はまだ完全には失っていない。霞む視界の中、彼女は必死に身体を起こそうと試みていた。
決着への道のりは、まだ険しいままだった。




