毒と刃
黒蛇との距離を保ちながら、ガイアスは油断なく剣を構えていた。
正面から斬り結ぶだけの相手ではないと、既に見て取っている。毒針、短剣、そして煙幕。搦め手を得意とする者との対峙は、正攻法の剣術だけでは太刀打ちできない。呼吸を整えながら、相手の一挙一動を注意深く観察していた。
黒蛇は懐から数本の毒針を取り出しながら、静かに口を開いた。
「辺境軍第一遊撃隊、隊長ガイアス・エルフレイム」
淡々とした声には、感情の起伏がほとんど感じられない。
「噂は聞いている。実戦での判断力に長けた指揮官だと」
「お前のことは知らん」
短く答えながら、ガイアスは剣先をわずかに下げた。誘いに乗るつもりはない。相手の出方を見極めることに、まず意識を集中させる。
黒蛇は手にした毒針を、指先で軽く弄びながら距離を詰めてきた。
「知らなくていい。ただの元軍医だ」
その一言には、自嘲とも取れる響きが混じっている。
「命を救うための知識を、今は命を奪うために使っている。それだけの話だ」
言葉と同時に、黒蛇の腕が鋭く振るわれた。宙を裂いて飛来する毒針を、ガイアスは剣で正確に弾き落とす。金属同士の触れ合う乾いた音が、瓦礫の間に短く響いた。
「読みやすいな」
低く告げると、ガイアスは一気に間合いを詰めた。だが、その踏み込みの先、黒蛇の姿が不意に揺らぐ。
足元で、白い煙が音もなく噴き上がった。
「くっ……」
視界を奪われ、ガイアスは咄嗟に呼吸を止めながら後方へ跳び退く。煙幕の向こうから、鋭い殺気が右手から迫ってきた。
剣を横薙ぎに振るい、迫る気配を斬り払う。手応えはなかったが、確かに何かを弾いた感触が伝わってくる。
「小癪な真似を」
低く呟きながら、ガイアスは風上へ向けて素早く移動した。煙が薄れる方向を的確に見極め、視界を確保する。
煙幕が晴れた先に、黒蛇が短剣を構えて立っていた。
「搦め手ばかりでは、褒められたものじゃないぞ」
皮肉を込めて告げるガイアスに、黒蛇は薄く笑った。
「褒められるために戦っているわけじゃない」
答えると同時に、黒蛇は素早く踏み込んできた。短剣の切っ先が、喉元を狙って鋭く突き出される。
ガイアスはそれを半身で躱しながら、返す刀で相手の腕を狙った。だが、黒蛇の動きは意外なほど俊敏で、紙一重で刃を躱される。
「毒だけが武器ではないようだな」
剣を構え直しながら、ガイアスは相手の身のこなしを注意深く見極めた。軍医としての知識だけでなく、実戦における身体の使い方にも、確かな鍛錬の跡が見える。
「命を救う現場でも、時には自らを守る技が必要だ」
黒蛇は短剣を構え直しながら、静かに答えた。
「戦場の軍医は、丸腰では務まらない」
その言葉を最後に、二人の間合いが再び詰まっていく。剣と短剣が交錯し、鋭い金属音が幾度となく響いた。
打ち合いの中、ガイアスは黒蛇の動きに、ある共通した癖を見出し始めていた。攻撃を仕掛ける直前、必ず一瞬だけ、足の重心が僅かに沈む。おそらくは、毒針を投げる動作から染み付いた癖なのだろう。
「そろそろ、見極めがついた」
低く呟くと、ガイアスは剣を構え直し、あえて隙を見せるように半歩後退した。
案の定、黒蛇はその隙を突こうと踏み込んでくる。足の重心が沈んだ、その一瞬。
ガイアスは剣を鋭く跳ね上げた。振り下ろされる短剣の軌道を弾き飛ばし、そのまま流れるような動作で、黒蛇の懐へ踏み込む。
「なっ……」
驚愕に目を見開く黒蛇の胸元へ、剣の柄が叩き込まれた。息を詰まらせる衝撃とともに、黒蛇の身体が後方へよろめく。
体勢を崩したその一瞬を逃さず、ガイアスはさらに踏み込んだ。握った剣の柄頭を返し、鳩尾へ鋭く打ち込む。
「が……っ」
くぐもった声とともに、黒蛇の膝が折れた。崩れ落ちる寸前、ガイアスは追い打ちをかけるように、首筋へ手刀を叩き込む。
一切の抵抗を許さない、正確な一撃だった。黒蛇の身体から力が抜け、そのまま地面へ崩れ落ちる。荒い呼吸だけが、意識を失った身体から漏れ続けていた。
ガイアスは剣を鞘へ収めながら、荒い息を整える。倒れ伏す黒蛇の姿を一瞥し、腰の縄を手早く取り出すと、意識のないその両手を後ろ手に縛り上げた。
「これで、いい」
短く呟くと、ガイアスは周囲を見渡した。拠点の奥では、まだ激しい戦闘の気配が続いている。オーレリアンとシンクレアが対峙しているであろう団長との戦い。その決着が、いよいよ近づきつつあった。
拘束を終えた黒蛇をその場に残し、ガイアスは剣を握り直す。息を整えながら、次なる戦場へ向けて、静かに足を踏み出していった。




