剣士の矜持
崖を下りたシンクレアとオーレリアンは、拠点の外縁に沿って身を屈めながら進んでいた。
物資庫の裏手を抜けたところで、二人は目配せを交わす。ここから先は、それぞれが受け持つ戦場へ向かう手筈だった。
「私は東の見張り塔から様子を探る」
短く告げるシンクレアに、オーレリアンは頷きながら剣の柄を握り直した。
「俺は、本陣へ向かう」
団長の姿を捜すためだった。だが、その足取りは、拠点の混乱を利用しながら、あえて回り道を選んでいる。正面から突入すれば、警戒された分だけ被害が大きくなる。慎重に、しかし確実に距離を詰めていく必要があった。
「無事でいろ」
「お前もな」
短いやり取りを最後に、二人は反対方向へと駆け出していく。
物資庫の脇を抜けたところで、シンクレアの行く手を阻む影が現れた。白銀の狼面を着けた男である。長剣を携えたその立ち姿には、騎士としての規律が色濃く滲んでいた。
「待っていたぞ」
落ち着いた声だった。敵意というより、むしろ歓迎するような響きがある。
「エルフレイム家に嫁いだ剣士がいると聞いて、興味があった」
剣を構えるその所作には、一切の無駄がない。かつて近衛騎士として鍛え上げられた技量が、静かな佇まいの中に確かに息づいていた。
シンクレアは油断なく剣を構えながら、相手を見据えた。
「名を聞いておく」
短い問いに、男は静かに一礼するような仕草を見せた。
「白狼と呼ばれている」
その名乗りには、騎士としての最後の矜持が滲んでいるようだった。名も無き賊としてではなく、一人の剣士として相対したいという意志が、その一言に込められている。
「では、遠慮はいらないな」
言葉と同時に、白狼が地を蹴った。鋭い踏み込みから繰り出される一撃を、シンクレアは咄嗟に受け流す。金属の弾ける音が、崩れかけた物資庫の周囲へ鋭く響き渡った。
「見事な太刀筋だ」
打ち合いながら、白狼が感心したように呟いた。
「男顔負けと聞いていたが、噂以上のようだな」
「褒め言葉として受け取っておく」
短く応じながら、シンクレアは相手の剣筋を注意深く読み取っていた。近衛騎士として鍛えられた正統な剣術。派手さはないが、一撃一撃に確かな重みと精度が宿っている。
「なぜ、こちら側に立った」
打ち合う合間に、シンクレアは問いを投げかけた。
「王国には失望した」
短い答えだったが、そこに込められた重みは軽くない。
「だが、俺の剣だけは、誰にも裏切られたことがない。だから、こうして今も振るい続けている。ただ、それだけの理由だ」
騎士としての矜持を捨てきれないまま、復讐の道を歩む男。その姿には、単純な悪意とは異なる、屈折した誇りが滲んでいた。
「正々堂々と、行くぞ」
宣言するように告げると、白狼は姿勢を低く構え直す。搦め手を弄することなく、真っ向から刃を交える意志が、そこには明確に表れていた。
シンクレアもまた、姿勢を正す。相手が正道を選ぶのなら、自分もまた、それに応える覚悟だった。
踏み込みざま、白狼の長剣が鋭い弧を描く。シンクレアはそれを半歩引いて躱すと、返す刀で相手の胴を狙った。だが、白狼はその一撃を的確に受け止め、力任せに押し返してくる。
拮抗した力の応酬が、しばらく続いた。互いに一歩も譲らぬ攻防の中、白狼の剣筋には、実戦で鍛え上げられた確かな重みが滲んでいる。近衛騎士としての誇りを胸に、今もなお磨き続けてきたのだろう、その太刀筋には一切の澱みがなかった。
「王都の噂は、耳にしていた」
打ち合いながら、白狼は静かに続けた。
「婚約破棄されても、涙一つ見せなかった令嬢がいると。その話を聞いた時、俺はどこか、お前に共感していたのかもしれない」
その言葉に、シンクレアは僅かに眉を寄せた。
「共感、だと」
「王国に裏切られた者同士だ、とな」
白狼の声には、自嘲めいた響きが混じっていた。
「だが、お前は違う道を選んだ。剣を捨てず、それでも人を守る側に立ち続けた。俺には、その選択ができなかった」
言葉を交わす間も、剣先は絶えず互いを狙い続けている。踏み込み、受け、また距離を取る。息の詰まるような攻防が、幾度となく繰り返されていった。
「今からでも、遅くない」
シンクレアは剣を構え直しながら、静かに告げた。
「その剣を、正しい場所へ戻せ」
その言葉に、白狼は一瞬、動きを止めた。仮面の奥に隠された表情は窺えないが、僅かに揺れる気配だけは確かに伝わってくる。
「もう、遅すぎる」
搾り出すように答えると、白狼は再び踏み込んだ。これまで以上に鋭い一撃が、シンクレアめがけて振り下ろされる。
刃と刃が激しく交差し、火花にも似た音が辺りへ響き渡った。互いに一歩も引かぬ攻防の中、シンクレアは相手の剣筋に潜む一瞬の隙を、鋭く見極めようとしていた。
騎士としての矜持を貫きながらも、選んだ道を後悔しているかのような、その複雑な戦いぶり。単純な敵ではない、深い葛藤を抱えたまま剣を振るう男との対峙は、これまでの戦いとは異なる重みを、シンクレアの胸に刻み込んでいった。
決着はまだ見えない。物資庫の周囲には、二人の刃がぶつかり合う音だけが、絶え間なく響き続けていた。




