託された文書
執務室を出たオーレリアンは、足早に廊下を進んだ。
昨夜の疲れが未だ抜けきらぬ身体に鞭を打つように、廊下を曲がるたびに歩調を速める。窓から差し込む朝の光が、石畳の床に長い影を落としていた。シンクレアがいるはずの部屋へ向かう道のりが、いつもより長く感じられる。
目当ての部屋の前まで辿り着くと、扉を叩く間もなく、勢いよく開け放った。
「クレア」
呼びかけた声に、机に向かっていたシンクレアが顔を上げる。手にしていた書類を置き、怪訝そうな表情でこちらを見つめてきた。
「どうした、そんなに慌てて」
問いかける声には、既に何かを察したような緊張が滲んでいる。オーレリアンの只ならぬ様子から、良くない報せであることを直感したのだろう。
オーレリアンは手にしていた書状を、無言のまま差し出した。受け取ったシンクレアが、その内容へ目を通していく。
文面を追う瞳が、次第に見開かれていった。
「これは……」
掠れた声で呟くと、シンクレアはもう一度、書状の内容を確かめるように読み返す。
「ローゼンタール家の書庫から、機密文書が持ち去られた」
淡々と告げる声には、隠しきれない衝撃が滲んでいた。数日前に未遂に終わったはずの侵入が、今度は成功していたという事実。何を狙われていたのか、これまで判然としなかった疑問が、今ようやく明確な形を持って迫ってくる。
「王国北部の軍事配置と、辺境防衛の詳細な計画書だ」
オーレリアンは静かに続けた。
「王都と辺境、両方の情報が、旅団の手に渡ったことになる」
その言葉に、シンクレアはしばらく黙り込んだまま、書状を握り締めていた。
脳裏に浮かぶのは、王都に残してきた家族の顔である。父も母も兄も、皆それぞれの立場でこの事態に対処しようとしているはずだった。だが、機密文書が奪われたという事実は、単なる侵入未遂とは比較にならない重みを持っている。
「父上は」
問いかける声には、抑えきれない不安が滲んでいた。
「無事だ。狙われたのは、あくまで書庫にあった文書だけらしい」
その答えに、シンクレアは僅かに肩の力を抜いた。それでも、胸の奥に渦巻く不安が完全に消えることはない。
「なぜ、その文書がそこにあったんだ」
疑問を口にすると、オーレリアンも同じ違和感を抱いていたのか、小さく頷いた。
「公爵家として、軍事に関する情報を扱う立場にあったんだろう。詳しい経緯は分からないが、いずれにせよ、こちらの手の内を知られたことに変わりはない」
深刻な事態だった。辺境防衛の計画が旅団に筒抜けになったとすれば、これまで積み重ねてきた対策の多くが、意味を失いかねない。
シンクレアは書状を丁寧に折り畳むと、静かに机の上へ置いた。
「義兄上たちは、どう判断している」
「王家への報告を急ぐ方針です」
丁寧な口調で答えるオーレリアンに、シンクレアは僅かに目を細めた。
「随分と、しっかりした物言いになったな」
からかうような響きに、オーレリアンは照れくさそうに頭を掻いた。
「兄上たちの前だと、こうなる」
短く答えながらも、その表情には、確かな成長の色が滲んでいる。実戦での剣技だけでなく、こうした場面での立ち居振る舞いにも、少しずつ自信を持ち始めているようだった。
シンクレアは窓の外へ視線を移した。秋の陽射しが降り注ぐ庭では、いつもと変わらぬ日常が続いている。だが、その平穏な光景の裏側で、確実に事態は深刻さを増していた。
「私が、王都へ戻るべきかもしれない」
呟くように漏らした言葉に、オーレリアンは僅かに眉を寄せた。
「危険だ。旅団の狙いが、まだはっきりしていない状況で動けば、何が起きるか分からない」
「だが」
反論しようとするシンクレアを、オーレリアンは静かに遮った。
「兄上たちも、王家への報告を進めてる。今は、ここで情報を集めることに集中すべきだ」
冷静な判断だった。感情に流されず、状況を見極めた上での提言。その言葉には、これまでの成長を裏付ける確かな重みがあった。
シンクレアはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。
「分かった。今は、ここでできることをする」
その答えに、オーレリアンは僅かに安堵の息をついた。
「義父上とは、手紙でやり取りを続けろ。何か動きがあれば、すぐに知らせてもらえるように」
「ああ、そうする」
短いやり取りの中に、互いへの信頼が確かに滲んでいる。剣を交わす戦友として、そして夫婦として、困難な状況においても支え合う関係が、着実に築かれていた。
窓の外から、練兵場の掛け声が微かに聞こえてくる。日常の営みが続く一方で、王都と辺境を巻き込む脅威は、着実にその規模を拡大しつつあった。
「これからも、忙しくなりそうだな」
小さく息を吐きながら、シンクレアが呟く。
「ああ。だが、乗り越えられないものじゃない」
オーレリアンの言葉に、シンクレアは静かに頷いた。互いに交わした確信が、これから訪れるであろう困難への、確かな備えとなっていく。
机の上に置かれた書状を、二人はもう一度見つめた。そこに記された脅威の輪郭は、まだその全貌を見せていない。だが、それに立ち向かう覚悟だけは、着実にその強さを増していた。




