蒼鷹の影
辺境軍の詰所へ戻ったオーレリアンとシンクレアを、ガイアスが険しい表情で迎えた。
執務机には広げられた地図が置かれ、いくつもの印が書き込まれている。北の森、廃坑跡、そして辺境領の各拠点。これまでの襲撃事件の場所を繋ぎ合わせると、ある一定の傾向が浮かび上がっていた。
「昨夜の捕虜から、聞き出せたことがある」
ガイアスは地図の一点を指で叩きながら、低い声で切り出した。
「黒狼旅団の本拠地は、もっと北の山岳地帯にあるらしい。今回の廃坑は、あくまで一時的な拠点に過ぎなかったようだ」
淡々と告げられた情報に、シンクレアは地図を覗き込んだ。指し示された場所は、辺境領の中でも最も険しい地形が続く一帯である。容易には近づけない場所を選んだあたりに、旅団の慎重さが窺えた。
「それだけじゃない」
ガイアスは腕を組み、僅かに眉根を寄せる。
「捕虜の話じゃ、幹部の一人が、この一帯の地理に妙に詳しいらしい。まるで、元々ここで軍務についていたかのように」
その言葉に、オーレリアンの表情が僅かに強張った。
「辺境軍の元将校、ってことか」
「可能性はある」
短く答えたガイアスの声には、複雑な感情が滲んでいた。かつて共に肩を並べていたかもしれない者が、今は敵として牙を剥いている。その事実の重みを、静かに噛み締めているようだった。
「捕虜は、名前までは知らないと言っていた。ただ、仮面の意匠に青い一本線が入っていたとだけ」
その特徴を聞いた瞬間、シンクレアの脳裏に何かが引っかかった。以前、王都で見かけた不審な影のことを思い出す。あの時見た仮面にも、確か似たような意匠があった気がする。
「王都でも、似たような話を聞いたことがある」
呟くように告げた言葉に、ガイアスが鋭い視線を向けた。
「詳しく聞かせろ」
シンクレアは記憶を辿りながら、婚約破棄からしばらく経った頃、王城の裏手で見かけた不審な人影について語り始めた。闇に紛れて動くその者の仮面に、確かに一本の線が走っていたことを。
黙って耳を傾けていたガイアスは、話を聞き終えると、しばらく思案するように黙り込んだ。
「王都にまで、旅団の影が及んでいるとすれば」
低く呟く声には、これまで以上の警戒が滲んでいる。
「辺境だけの問題じゃなくなる。もっと大きな組織的な動きがある可能性がある」
その言葉に、部屋の空気が一段と重くなった。単なる盗賊団の跳梁ではなく、王国全体を揺るがしかねない脅威が、静かに広がりつつあるのかもしれない。
オーレリアンは腕を組み、険しい表情のまま地図を見つめていた。
「これからどうする、兄上」
問いかけに、ガイアスは地図上の山岳地帯を指でなぞる。
「まずは、本拠地の正確な位置を掴む必要がある。それまでは、迂闊に大規模な動きは取れない」
慎重な物言いだったが、そこには確かな決意も滲んでいた。相手が組織的な集団である以上、感情に任せた突撃は自滅を招くだけである。着実に情報を集め、機を待つ。それが、部隊を預かる者としての判断だった。
「それに」
ガイアスは一度言葉を切り、シンクレアとオーレリアンを交互に見やった。
「お前たち二人も、しばらくは通常の任務に専念しろ。今回の一件で、旅団もこちらの動きを警戒してるはずだ。焦って動けば、向こうの思う壺だ」
その指示に、二人は揃って頷いた。逸る気持ちを抑え、まずは足元を固めることが、今できる最善の選択だと理解している。
執務室を出たところで、オーレリアンはふと足を止めた。
窓の外に広がる練兵場では、いつもと変わらぬ様子で兵士たちが訓練に励んでいる。剣を打ち合わせる音、号令をかける声。日常の営みが続いているその光景が、どこか儚く感じられた。
「なあ」
隣に立つシンクレアへ、オーレリアンは静かに声をかける。
「王都に、まだ旅団の影が残ってるかもしれないって話、気になるな」
「ああ」
短く答えながら、シンクレアもまた練兵場の様子を眺めていた。
「もし本当に王都まで繋がっているなら、ローゼンタール家にも危険が及ぶ可能性がある」
その言葉に、オーレリアンの表情が僅かに翳る。
「実家の方は、大丈夫なのか」
「分からない」
正直な答えだった。婚約破棄という因縁を抱えた身として、思わぬところから狙われる可能性は否定できない。だが、今この場でできることは限られていた。
「手紙で、注意を促しておく」
静かに告げると、シンクレアは腰の剣に手を添えた。冷たい鋼の感触が、確かな覚悟を思い出させてくれる。
「それに、私たちがここで足元を固めることが、結局は皆を守ることに繋がる」
その言葉に、オーレリアンは小さく頷いた。焦る気持ちを抑え、今できることに集中する。その姿勢こそが、これから訪れるであろう大きな戦いへ向けての、確かな備えになるはずだった。
練兵場から吹き抜ける秋風が、二人の髪を揺らす。剣を交わす音が絶え間なく響く中、それぞれの胸には、静かな決意が新たに芽生え始めていた。
黒狼旅団という影は、まだその全貌を見せていない。だが、着実に迫りくるその脅威へ向けて、シンクレアとオーレリアンは、夫婦として、そして戦友として、共に立ち向かう覚悟を固めていた。




