応援団の誕生
坑道を出てから館へ戻るまでの道のりは、思いのほか長く感じられた。
夜明け前の森は深い闇に包まれ、月明かりだけが頼りの帰路となる。エメリンに肩を支えられながら歩くシンクレアの足取りは、傷の痛みのせいでいつもより幾分か遅かった。それでも弱音を吐くことはなく、ただ黙々と一歩ずつ進み続けている。
ガイアスの指示で急遽組まれた簡易の担架には、拘束した賊の一人が乗せられていた。他の兵士たちは油断なく周囲を警戒しながら、隊列を組んで進んでいく。
キララはシンクレアの傍らを片時も離れず、時折心配そうに顔を覗き込んでは、労わるように鼻先を擦り寄せていた。
エルフレイム邸へ辿り着いた頃には、東の空がようやく白み始めていた。
門をくぐった瞬間、待ち構えていた使用人たちが一斉に駆け寄ってくる。エレノアも寝間着のまま飛び出してきて、負傷したシンクレアの姿を見るなり顔を青ざめさせた。
「シンクレアさん、すぐに手当てを──」
「大丈夫だ。傷は浅い」
答える声には、疲労の色が滲んでいたが、確かな落ち着きもあった。それでも、エレノアは有無を言わさず、侍医を呼びに使用人を走らせる。館の中は瞬く間に慌ただしさに包まれていった。
手当てを終えたシンクレアが与えられた寝室で身体を休めている間、エメリンは隣の客間で身なりを整えていた。汚れた衣服を着替え、乱れた髪を丁寧に結い直す。鏡に映る自分の顔には、拉致された恐怖の名残がまだ僅かに滲んでいたが、それ以上に強く浮かんでいるのは、別の感情だった。
助け出された瞬間の記憶が、繰り返し脳裏へ蘇る。
牢の格子を切り裂いて差し伸べられた手。自分を庇いながら剣を振るい続けた背中。脇腹から血を流しながらも、決して怯むことのなかった強い眼差し。恋敵として意識していたはずの相手が、命を懸けて自分を守り抜いてくれた。その事実が、エメリンの胸の奥で、これまでにない熱を持って渦を巻いていた。
身支度を終えると、エメリンは居ても立っても居られず、シンクレアの寝室へと向かった。
扉を叩く手が、僅かに震えている。返事を待って中へ入ると、寝台に横たわるシンクレアの姿があった。包帯の巻かれた脇腹を気遣うように、浅い呼吸を繰り返している。傍らの椅子には、看病のために残っていたオーレリアンが腰掛けていた。
「エメリン」
顔を上げたオーレリアンが、安堵の滲む声で名を呼ぶ。まだ本調子には遠いその顔色にも、ようやく血の気が戻り始めていた。
「よく、無事だったな」
「リアン様……」
答えようとした声が、思いがけず震える。だが、エメリンの視線は、すぐにシンクレアの方へと向けられた。
寝台の脇まで歩み寄ると、エメリンはしばらく無言のまま、包帯に包まれた傷口を見つめていた。自分を守るために負わせてしまった傷。その事実の重みが、改めて胸へ押し寄せてくる。
「シンクレア様」
呼びかける声には、これまでにない切実さが滲んでいた。
シンクレアがゆっくりと目を開け、視線をエメリンへ向ける。その瞬間、堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出した。
「わたくし……」
声が震え、次の言葉を紡ぐまでに、僅かな間があった。
「わたくし、シンクレア様のことも、好きになってしまいましたわ!!」
叫ぶように告げられた一言が、静まり返った寝室に響き渡る。
涙がぼろぼろと頬を伝い、エメリンはそのまま寝台へ縋りつくようにシンクレアに抱きついた。
恋敵として意識していた相手への感情が、命を懸けて守られたという事実によって、まったく別の形へと変質していく。それは恋情とは異なる、けれど確かに深い想いだった。
「お、おい──」
突然の抱擁に、シンクレアは目を見開いたまま硬直する。傷に響く痛みも忘れ、戸惑いだけが表情を占めていった。
「やめろ! 私はそんな趣味はない!!」
慌てて身を離そうとするが、痛む脇腹のせいで思うように動けない。抱きついたまま離れないエメリンに、シンクレアはますます困惑を深めていく。
その様子を見ていたオーレリアンが、堪えきれずに噴き出した。
「あっははははは!! クレア、やっぱりあんた最高だわ! だっはははははは!!」
腹を抱えて笑い出すオーレリアンに、シンクレアは恨めしそうな視線を向ける。だが、その笑い声には、張り詰めていた空気を和らげる温かさがあった。
「お前、笑い事じゃないだろう」
「いや、悪い……でも、その反応が」
言葉を続けられないほど、オーレリアンは笑いを堪えきれずにいた。安堵と可笑しさが入り混じり、これまでの緊張が一気に緩んでいくような、そんな笑いだった。
涙を流し続けていたエメリンは、しばらくしてようやく身を離す。目元を拭いながら、恥ずかしそうに視線を伏せた。
「その、恋愛的な意味ではございませんの。ただ……」
言葉を選びながら、エメリンは続けた。
「命を懸けて守ってくださった方を、心から尊敬いたしますわ。こんなお方が、リアン様の奥様なんて……」
そこまで言うと、エメリンの表情が一変する。涙の跡が残る頬に、今度は興奮の色が浮かび始めていた。
「お二人は、本当にお似合いですわ!」
両手を胸の前で組み合わせ、瞳を輝かせながら続ける。
「命懸けで想い人を守るシンクレア様と、そんな彼女に一途な想いを寄せるリアン様。まさに、理想の夫婦ですわ!」
突然の熱量に、シンクレアとオーレリアンは顔を見合わせた。困惑と可笑しさが同時に浮かぶその表情に、エメリンはさらに勢いを増していく。
「これからは、わたくしがお二人の一番の味方ですわ! 何かお困りのことがあれば、いつでもおっしゃってくださいませ!」
意気揚々と宣言する様子に、オーレリアンは再び笑いを漏らした。
「頼もしいな、それは」
「頼もしいですとも!」
胸を張って答えるエメリンの表情には、これまでの恋敵としての陰りが、すっかり消え失せていた。代わりに宿るのは、心からの敬意と、この夫婦を応援したいという純粋な想い。
シンクレアは呆れたように息を吐きながらも、その変わり身の早さに、思わず小さな笑みを零していた。
窓の外では、朝の光がようやく本格的に差し込み始めている。長い夜を越えた安堵と、新たに芽生えた奇妙な絆が、寝室の中に穏やかな空気を広げていった。
キララが寝台の脇からひょいと顔を出し、小さく尾を振る。まるで、この賑やかな結末を祝福するかのような仕草だった。




