疑念の行方
エメリンと別れたあと、シンクレアはアスター家の敷地を出て、街道をゆっくりと歩いていた。
秋の陽は既に傾き始め、木々の影が長く伸びている。隣を歩くキララは、先ほどの重い空気を察してか、いつになく静かに歩調を合わせていた。
胸の内では、拭いきれない違和感が渦を巻いている。
エメリンが、オーレリアンを害する理由などどこにもない。幼い頃から想いを寄せ続け、看病にも寝食を忘れて付き添ってきたあの姿を思えば、毒を仕込む動機など見当たらなかった。アスター家にしても、代々薬師として王国に仕え、辺境軍とも長年の信頼関係を築いてきた名家である。今更、辺境伯家の四男を狙う理由など考えにくい。
だが──。
ふと、思考の方向を変えてみる。
本当に、狙われたのはオーレリアンだったのだろうか。
森での戦闘を思い返す。矢が放たれたのは、魔物の群れとの交戦が最も激しさを増していた瞬間だった。乱戦の最中、狙いを定めて矢を放つには、相応の集中力と冷静さが要る。混乱に乗じて、確実に仕留めたい相手を狙う。そう考えれば、標的は必ずしもオーレリアンでなくてもよかったはずだ。
あの場にいた人間を、シンクレアは一人ずつ思い浮かべた。
ガイアス。王国軍第一遊撃隊隊長として、辺境軍の指揮を執る重要人物である。彼を排除できれば、辺境軍の統率そのものに大きな打撃を与えられる。黒狼旅団にとって、これ以上ない標的になり得た。
そして、自分自身。
ローゼンタール公爵家の令嬢であり、辺境伯家へ嫁いだ立場。王都の政治にも影響を及ぼしかねない存在として、狙われる理由は十分にある。婚約破棄という過去の因縁を思えば、王家や貴族社会の裏側で、自分を疎ましく思う者がいてもおかしくはなかった。
矢は、オーレリアンの肩に当たった。だが、それは狙いが正確に定まった結果なのか、それとも混戦の中で狙いが逸れた結果なのか、今となっては判断がつかない。
もし本来の標的が別にいたのだとすれば──今回の事件の構図は、まるで違う姿を見せ始める。
そう考えた時、シンクレアの脳裏に、もう一つの疑念が浮かび上がった。
アスター家の毒草区画から毒が持ち出された。その事実だけを見れば、エメリンやアスター家に疑いの目が向くのは当然の流れである。だが、もし何者かが意図的に、疑いをアスター家へ向けさせようとしていたのだとすれば。
黒狼旅団は、軍隊のような統率力を持つ集団だと聞いている。ただ闇雲に矢を放ち、逃げるだけの盗賊とは訳が違う。ならば、毒の出所をわざと辿れるように仕向け、辺境軍とアスター家の信頼関係へ楔を打ち込もうとした──そう考える方が、むしろ筋が通っているように思えた。
軍と薬師の家系が反目し合えば、辺境の防衛体制そのものに綻びが生じる。負傷者への薬の供給が滞れば、それだけで戦力は大きく削がれるはずだった。
シンクレアは足を止め、傍らのキララを見下ろした。
「もう一度、確かめる必要があるな」
呟いた声に、キララが小さく鳴いて応える。まるで同意するかのような響きだった。
館へ戻ったシンクレアは、その足でガイアスの元へ向かった。詰所の執務室では、書類に目を通していたガイアスが、思案げな表情のまま顔を上げる。
「毒草区画まで匂いを辿ったと聞いたが」
「ああ」
短く答えたシンクレアは、これまで巡らせてきた考えを、順を追って伝えた。標的が本当にオーレリアンだったのか。ガイアスや自分自身が本来の狙いだった可能性。そして、疑いをアスター家へ向けさせるための策謀ではないかという推測。
黙って耳を傾けていたガイアスは、話を聞き終えると、腕を組んだまま低く唸った。
「筋は通ってる」
認めるように頷きながら、ガイアスは机の上の地図へ視線を落とす。森での交戦地点に指を置き、そこから辺境の各拠点へ向かって視線を巡らせた。
「黒狼旅団が、それだけ狡猾な連中だってことなら――今回の一件は、まだ序章に過ぎないかもしれん」
低い声に滲む緊張が、事の重さを物語っていた。
窓の外では、既に日が沈みかけている。橙色に染まる空を背景に、シンクレアはこれから調べるべきことの多さを、静かに胸へ刻み込んでいた。エメリンへ向けた疑いを、今すぐには晴らせない。だが、真相はまだ、この先に眠っているはずだった。




