銀色の背中を追いかけて
午後の訓練は、散々だった。
もちろん、傍目にはそう見えなかっただろう。
オーレリアンはいつもどおり剣を振るい、向かってきた兵士の刃を受け流し、そのまま懐へ潜り込んで柄頭を鳩尾へ押し当てた。次に踏み込んだ相手の足運びを読み、身体を半歩だけ捻って斬撃を避ける。空を切った剣が勢いを失う前に、相手の手首へ自分の刃を添えた。
寸止め。
あと僅か力を入れれば、剣を握る腱を断てる位置だった。
相手の兵士は喉を鳴らし、降参を示すように両手の力を抜いた。オーレリアンはすぐに剣を引き、いつもの人懐っこい笑みを浮かべる。
「今の踏み込み、速かったぞ。ただ、右肩が先に動いてた」
息を整えながら伝えると、兵士は悔しそうに顔を歪め、それでも素直に頷いた。周囲で見ていた者たちから感嘆の声が上がる。十七歳になったばかりの少年に、経験を重ねた兵が次々と崩されていく光景は、いまだに彼らを驚かせるらしい。
だが、本人だけは納得していなかった。
足の運びが僅かに遅い。
相手の刃を流した角度も浅かった。普段なら剣筋を見た瞬間に数手先まで身体が動くのに、今日は一度だけ判断が遅れた。遅れたといっても、周囲が気づかない程度のものだ。それでも、オーレリアンには分かる。
意識の一部が、訓練場にない。
剣を握りながら、頭の奥では朝から同じことばかり考えている。
シンクレアは今、どこにいるのか。
婚約しているのか。
結婚しているのか。
誰かの隣で笑っているのか。
あるいは、あの夜のように一人で立っているのか。
次の相手が前へ出てきても、視界の端には銀色の髪がちらついた。乾いた剣戟の音へ、編み上げのブーツが大理石を踏む響きが重なる。汗と土の匂いに満ちた訓練場で、なぜか一年前の広間に漂っていた香水の甘さまで蘇った。
集中しろ。
何度言い聞かせても、思考はすぐに戻ってしまう。
「今日はここまでだ」
訓練を見ていた副官の声が響き、兵士たちが一斉に剣を下ろした。
オーレリアンも刃を鞘へ収める。
金属が擦れ合う硬い音が、妙に大きく耳へ残った。額から流れた汗が頬を伝い、顎先から落ちる。呼吸は乱れていない。身体にも十分な余力がある。それなのに胸の内側だけが落ち着かず、走り続けたあとのようにざわついていた。
水桶のそばへ向かい、柄杓を取る。
冷たい水を頭からかぶると、熱を持った髪と皮膚が一気に冷えた。黒髪から滴が流れ、訓練着の襟を濡らしていく。目を閉じれば、耳へ届く音が鮮明になる。兵士たちの笑い声。剣を片づける音。馬の嘶き。遠くで鍛冶師が槌を振るう、一定の響き。
普段なら好きな音ばかりだった。
今日は、そのどれも心を引き戻してくれない。
顔を上げ、濡れた前髪を掻き上げたところで、訓練場の入口に立つ人影へ気づいた。
黒い礼服を隙なく着こなした、細身の男。
エルフレイム家の執事だった。
彼は急かす素振りを見せず、兵士たちの訓練が終わるまで静かに待っていたらしい。オーレリアンと目が合うと、胸元へ片手を添えて浅く頭を下げる。
その所作を見た瞬間、心臓が強く跳ねた。
返事が来た。
そう直感した。
オーレリアンは手にしていた柄杓を桶の縁へ戻し、濡れたままの髪も気にせず歩き出す。最初の数歩だけは平静を装っていたが、執事との距離が縮まるにつれて足が速くなった。
「カイル兄上からか?」
声が僅かに弾んだ。
執事は表情を変えないまま頷く。
「書斎でお待ちです」
それだけだった。
婚約しているのか。
していないのか。
今ここで聞きたい衝動が喉まで上がったが、執事へ尋ねても答えは返ってこないだろう。彼は主人の言葉を正確に運ぶ者であり、勝手に内容を漏らす人間ではない。
オーレリアンは短く礼を告げると、兵舎の方へ向かった。
訓練着を着替える時間さえ惜しかった。
だが、汗と土にまみれた姿で兄の書斎へ入れば、まず身なりについて注意される。最低限だけ身体を拭い、濡れた髪を布で乱雑に乾かし、新しい上着へ腕を通した。紐を結ぶ指先が思うように動かず、一度やり直す。
焦っている。
自覚した途端、余計に呼吸が浅くなった。
戦場へ出る前でさえ、ここまで落ち着きを失ったことはない。
敵の数が分かれば対処できる。
地形が分かれば戦い方を組み立てられる。
だが、知らない誰かの人生は、剣のように読み取れなかった。
屋敷へ戻る道を、オーレリアンはほとんど駆けるように進んだ。
石造りの廊下へ入ると、靴音が壁と天井へ反響する。途中で使用人とすれ違い、そのたびに歩調を落とそうとしたものの、角を曲がればまた速くなった。窓から差し込む午後の光が床へ長い四角を作り、その上を踏み越えていく。
カイルの書斎は、屋敷の東側にあった。
扉の前で立ち止まり、息を整える。
乱れてはいない。
それでも、一度深く吸い込んでから拳を上げた。
「入れ」
叩く前に、内側から声がした。
気配で分かったのだろう。
オーレリアンは扉を開ける。
書斎には紙とインク、乾燥させた革の匂いが満ちていた。壁一面を埋める書棚。領地の地図。分類された書簡の束。窓際には細長い机が置かれ、その向こうでカイルが一枚の文書を読んでいる。
レオンもいた。
長兄は窓辺の椅子へ腰掛け、組んだ手を膝の上へ置いている。二人とも普段と変わらない表情だったため、そこから答えを読み取ることはできなかった。
オーレリアンは扉を閉め、兄たちの前まで進む。
「分かりましたか?」
挨拶より先に問いが出た。
カイルはすぐには答えなかった。
文書の最後まで目を通し、机の上へ置く。紙が木の表面へ触れる乾いた音が、静かな書斎へ薄く広がった。
わざと焦らしているわけではない。
内容をどこまで、どのように伝えるべきか考えているらしい。普段なら兄の慎重さを信頼できる。だが今は、その短い沈黙すら長く感じられた。
オーレリアンは机の前で立ったまま、カイルの口が開くのを待つ。
やがて兄は椅子の背へ身体を預けた。
「シンクレア・ローゼンタール嬢は現在、未婚だ」
胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどけた。
息が抜ける。
肩も僅かに落ちた。
自分がどれほどその答えを望んでいたのか、聞いたあとになって初めて分かった。誰かの妻ではない。婚約者もいない。自分が会いに行く余地が、まだ残されている。
その安堵を見逃す兄たちではなかった。
レオンが静かに目を細める。
カイルは弟の反応を観察しながら、続けた。
「正式な婚約もない。婚約破棄のあと、いくつか縁談は持ち込まれたようだが、すべて断っている」
「本人が?」
「ローゼンタール公爵家を通じて、という形だ。公爵夫妻の判断も含まれているだろう。ただ、本人が再婚約を望んでいないという話は複数の筋から一致している」
喜びかけた気持ちへ、すぐに重さが加わった。
望んでいない。
その言葉は、予想していた以上にはっきりと響いた。
王子との婚約を終えたばかりなのだから、当然かもしれない。十一年近く将来を定められ、その最後を公衆の面前で踏みにじられた。次の縁談へ簡単に心を向けられるはずがない。
オーレリアンは机の上へ視線を落とす。
そこには数枚の文書が重ねられていた。紙面を埋める細かな文字は、距離があって読み取れない。だが、その一枚一枚がシンクレアの現在へつながっていると思うと、無意識に目で追ってしまう。
「今は何をしているんですか?」
カイルの指先が、一番上の紙を軽く叩いた。
「公爵領の屋敷で暮らしている。社交界へはほとんど出ていない。領内の警備隊へ加わり、剣術指南や魔物討伐を手伝っているらしい」
オーレリアンは顔を上げた。
驚きと、納得が同時に胸へ広がる。
やはり剣を捨てていなかった。
婚約破棄の理由として侮辱されたものを、恥じて手放すこともなかった。あの男装に似た礼装と同じように、彼女は自分を曲げずに生きている。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
頬が自然に緩む。
「そうですか」
短い言葉しか出なかった。
だが、声に滲んだ安堵と喜びは隠しきれない。
カイルは僅かに眉を上げた。
「お前は、剣を振っている女性なら誰でもいいのか?」
「違います」
即答した。
考える必要すらなかった。
女性が剣を扱うこと自体は珍しくても、王国に一人しかいないわけではない。軍にも女性兵士はいる。幼い頃から共に鍛錬した者もいる。それでも、彼女たちを思い出すことはなかった。
シンクレアだから気になるのだ。
彼女が剣を振っていると知って嬉しかった。
自分の好きなものを、誰かの言葉で捨てていなかったことに安心した。
「一年前に見た、あの人だからです」
オーレリアンは兄たちを見返した。
言葉にしながら、胸の中を確かめていく。
「あの場で、誰よりも酷いことを言われていたのに、最後まで自分を崩さなかった。怒鳴り返すことも、泣いて縋ることもなくて……でも、傷ついていないわけじゃなかった」
あの夜に見た、指先の僅かな動き。
浅くなった呼吸。
床を強く踏んだ一歩。
遠くから見ただけの変化が、今も鮮明に残っている。
「俺には、あんなふうに立てるか分かりません。だから格好いいと思った。ずっと忘れられなかったわけじゃないです。軍務をしている間は思い出さない日もあった。でも結婚する相手を考えろって言われたとき、最初に浮かんだのがシンクレア嬢でした」
飾らずに話した。
自分を良く見せるために、恋をしていたと言い切るつもりはない。一年間毎日想い続けていたわけでもなかった。彼女のことを何も知らない以上、深く愛しているなどと言えば嘘になる。
それでも、心に残ったのは事実だった。
彼女を知りたいという気持ちも、本物である。
言葉を終えると、書斎へ沈黙が降りた。
レオンは弟の顔をじっと見ている。
カイルも皮肉を挟まなかった。机上で組んだ指先を動かさず、何かを量るような眼差しを向けていた。
窓の外で鳥が鳴く。
遠くの庭から、兵士たちの掛け声が風に乗って届いた。午後の陽光が窓硝子を通し、カイルの机へ斜めに差し込んでいる。紙の縁が白く照らされ、細かな埃が光の中を漂っていた。
やがてレオンが口を開く。
「会って、どうするつもりだ?」
問われて、オーレリアンは黙った。
朝から考えていたことではある。
会いたい。
話したい。
知りたい。
その先を、まだ明確に言葉へしていなかった。
結婚相手として気になったのだから、縁談を申し込む。それが貴族として正しい手順なのだろう。家同士で話を進め、何度か顔を合わせ、互いに問題がなければ婚約する。
だが、それでは遅いような気がした。
なぜ遅いのかは分からない。
シンクレアは婚約を望んでいない。見知らぬ年下の少年から縁談を持ち込まれても、断られる可能性が高い。それでも、家を通して遠回しに意向を探るだけでは、自分の気持ちが伝わらないと思った。
まず会って、自分の口で話したい。
一年前から覚えていたことを。
彼女の生き方を格好いいと思ったことを。
結婚を考えたとき、一番に顔が浮かんだことを。
そこまで思い至った瞬間、答えは驚くほど簡単な形で胸へ落ちた。
「求婚します」
書斎の空気が固まった。
レオンの瞳が大きく開く。
カイルは表情を変えなかったが、組んでいた指が一度だけほどけた。二人の兄が同時に言葉を失う光景は珍しい。
オーレリアンは、自分が何かおかしなことを言ったのかと目を瞬かせる。
「会ったこともない相手へか?」
先に声を取り戻したのはレオンだった。
「見たことはあります」
「会話をしたことは?」
「ありません」
「彼女の性格は?」
「詳しくは知りません」
「好みは?」
「これから聞きます」
一つ答えるたび、レオンの眉間に皺が深くなる。
カイルは額へ片手を当てた。
その反応を見て、オーレリアンもようやく自分の発言が一般的ではないらしいと気づいた。だが、求婚しようと思った気持ちは揺らがなかった。
むしろ、問われるほどに自分の中で形を整えていく。
「だから、会いに行くんです」
オーレリアンは机へ両手をつかなかった。身を乗り出すこともせず、まっすぐ立ったまま兄たちへ向き合う。
「会って、話して、シンクレア嬢のことを知りたい。その上で、俺と結婚する気がないか聞きます」
「順序が逆だ」
カイルが低く告げた。
「普通は知ってから求婚する」
「でも、俺が会いに行く理由は結婚したいと思ったからです。それを隠して近づく方が不誠実じゃないですか?」
カイルの口が閉じる。
言い返せないというより、弟の思考があまりにも真っ直ぐすぎて、どこから修正すべきか迷っているらしい。
オーレリアンは言葉を続けた。
「俺は恋愛がよく分かりません。シンクレア嬢を愛しているのかって聞かれても、まだ分からないです。あの人のことをほとんど知らないから。でも、妻になってほしいと思った相手は初めてです」
口にすると、胸の奥が熱くなった。
照れはなかった。
自分の気持ちを伝えることを恥ずかしいとは思わない。好きなら好きと言う。助けられたらありがとうと伝える。家族へも仲間へも、ずっとそうしてきた。
曖昧に濁す方が、ずっと難しかった。
「俺と結婚して、嫌な思いをさせないって約束はできません。俺は軍人だし、家を空けることも多い。怪我をして帰るかもしれない。でも、あの王子みたいに、好きなものを捨てろとは絶対に言わないです」
一年前の広間が蘇る。
女らしくない。
可愛げがない。
剣ばかり。
騎士まがいの服装。
あの言葉の一つひとつを思い出すたび、胸へ鈍い怒りが戻ってきた。
「剣を振りたいなら、一緒に振ればいい。男みたいな服が好きなら着ればいいし、笑いたくないときに笑わなくてもいい。俺は、あの人があの人のままでいてくれる方がいい」
静かに言い切ったあと、兄たちの顔を見る。
レオンはもう驚いていなかった。
代わりに、弟の内側を確かめるような深い眼差しを向けている。カイルも額から手を下ろし、椅子の背へ身体を預けていた。
しばらくして、カイルが小さく息を吐く。
「お前は時々、考えなしなのか、本質だけを見ているのか分からなくなるな」
「褒めてます?」
「半分は」
残り半分については答えなかった。
レオンは立ち上がり、窓辺から机のそばへ歩いてくる。弟の前で足を止め、その肩へ片手を置いた。
長兄の手は大きく、温かかった。
「求婚は、お前が思っているほど軽い言葉ではない」
声音は穏やかだった。
叱るのではなく、責任の重さを渡そうとしている。
「相手の人生を引き受け、自分の人生を差し出す約束だ。断られたときに傷つくのはお前だけではない。過去の傷を抱える彼女へ、再び結婚の選択を迫ることにもなる」
オーレリアンは頷いた。
理解できるすべてを、逃さず受け取ろうと兄の言葉を聞く。
「分かっています」
「本当に分かっている顔には見えないが」
「これから分かります」
レオンの眉が僅かに動く。
オーレリアンは真剣だった。
経験していないことを、理解していると装うつもりはない。夫婦になる責任も、誰かと人生を共にする重さも、今の自分には分からない部分が多い。
だから学ぶ。
分からないまま逃げるのではなく、彼女と向き合いながら知っていけばいい。
「でも、分からないから何もしないっていうのは嫌です」
肩へ置かれた兄の手を、まっすぐ見返す。
「一年前も、俺は何もできませんでした。今度もただ見ているだけにはなりたくない」
その言葉に、レオンの表情がゆっくりと変わった。
厳しさが消えたわけではない。だが、弟を止める者の顔ではなくなった。
カイルが机上の文書を揃えながら告げる。
「ローゼンタール公爵家へ正式な面会を申し込む。いきなり縁談として持ち込めば、門前払いされる可能性が高い。名目は父上から公爵への挨拶と、領地警備に関する情報交換あたりが妥当だろう」
オーレリアンの目が明るくなる。
「会えるんですか?」
「公爵令嬢本人が応じるかは分からない」
カイルは即座に釘を刺した。
「お前が直接話したいなら、相手の意思を尊重しろ。面会を断られたら押しかけるな。会えたとしても、その場で返事を迫るな。婚約破棄の件を面白半分に尋ねるなど論外だ」
「はい」
「求婚するなとは言っていない。ただし、相手が逃げられない状況を作るな」
「分かりました」
オーレリアンは一つひとつ頷く。
返事が早すぎるせいか、カイルの目にはまだ疑いが残っていた。だが、これ以上止める言葉は出てこない。
レオンも弟の肩から手を離した。
「父上と母上には私から話す」
「母上、喜びますかね」
「喜びすぎるだろうな」
長兄の声に、僅かな疲れが滲んだ。
娘が欲しいと長年言い続けてきた母である。相手が公爵令嬢であることよりも、銀髪の女性が家へ来るかもしれないという一点だけで、部屋の準備や衣装の手配を始めかねない。
アルベルトもまた、息子の求婚と聞けば公爵家へ直談判に乗り込む可能性がある。止めなければならない相手が一人ではないことを悟り、レオンはこめかみを指で押さえた。
「面会が決まるまで、父上をローゼンタール領へ向かわせないよう気をつける」
「父上なら行きそうですね」
「お前もだ」
カイルの冷たい声が飛んできた。
オーレリアンは口を閉じる。
実のところ、住所さえ分かれば馬で今すぐ向かえないかと考えかけていた。兄に見抜かれたらしい。
「……勝手に行きません」
「今の間は何だ」
「ちゃんと待ちます」
胸を張って答えたが、兄二人の表情から疑念は消えなかった。
それでも、話は進み始めた。
カイルがローゼンタール家へ送る書簡の草案を用意し、レオンが家同士の立場を踏まえて内容を整える。オーレリアンは何か手伝おうとしたが、余計な文を加える危険があるという理由で机から離された。
仕方なく窓辺へ立つ。
外には夕方へ傾き始めた空が広がっている。青の中へ薄い金色が混じり、庭の木々が長い影を落としていた。訓練場から戻る兵士たちの姿が小さく見える。
数日後。
あるいは、もっと先になるかもしれない。
シンクレアへ会える。
そう考えるだけで、世界の色が少し変わったように感じられた。
何を話そう。
一年前から見ていたと伝えれば、気味悪がられるだろうか。服装が格好よかったと言えば、失礼ではないだろうか。剣の話なら自然にできる。手合わせを頼めば、求婚より先に斬られるかもしれない。
想像の中で、青灰色の瞳が冷たく細められる。
それでも、不思議と怖くなかった。
断られる可能性は高い。
五歳も年下の、会話をしたことさえない少年。相手から見れば、結婚を急かされた勢いで思いついた軽率な求婚にしか映らないかもしれない。
だからこそ、真剣に伝えなければならない。
自分の言葉で。
飾らず、誤魔化さず。
窓硝子へ映った自分の顔は、少しだけ笑っていた。
恋をしているのかは、まだ分からない。
けれど、会いたいと思う。
声を聞きたい。
隣に立ったとき、彼女がどのような表情をするのか知りたい。
そして許されるなら、その先も見ていたい。
胸の奥に芽生えた感情は、まだ小さく、名前も持たない。
それでも根は深く、一年前の夜から静かに残り続けていた。
オーレリアンは夕暮れの空を見つめながら、まだ会ったことのない女性へ向けるように、心の中でそっと告げた。
今度は、見送るだけでは終わらせない。
数日後、ローゼンタール公爵家から届いた返書には、面会を受け入れる旨が記されていた。




