告げられた想い
辺境軍の駐屯地は、昼下がりの陽光を浴びて乾いた土埃の匂いを漂わせていた。
練兵場では剣を打ち合わせる音がまばらに響き、遠くで号令をかける声が風に乗って聞こえてくる。エメリンは籠を提げたまま駐屯地の門をくぐり、詰所へ向かう道すがら、ふと人だかりに目を留めた。
数人の兵士たちが輪を作り、その中心にオーレリアンの姿がある。皆一様に朗らかな表情を浮かべ、口々に何かを告げていた。
「オーレリアン様、ご結婚おめでとうございます」
「王都で美しい奥方様を娶られたと聞いて、皆で驚いておりましたよ」
「お似合いの夫婦でございますね」
祝福の言葉が次々と重なり合い、その場に温かな笑い声が広がっている。オーレリアンは照れくさそうに頭を掻きながら、一人一人へ礼を返していた。その様子には、辺境軍の仲間として深く慕われている証が滲んでいる。
視線に気づいたオーレリアンが、こちらへ片手を上げて挨拶を寄越した。その仕草につられるように、兵士たちも一斉にエメリンへ気づき、丁寧に頭を下げてから散っていく。
「来てたのか」
輪が解けたところへ、オーレリアンが歩み寄ってくる。籠を提げたエメリンは、軽く会釈を返した。
「薬の納品で参りましたの。それより……」
言葉を切り、少し考えるように視線を上げる。
「先程、シンクレア様にお会いしましたわ」
その一言に、オーレリアンの表情が僅かに和らいだ。
「そうか。町中で会ったのか」
「ええ。巡回の途中だったようです」
短いやり取りのあと、オーレリアンはふと声を落とし、周囲を軽く見回してから続けた。
「そういえば、最近町の方で賊っぽい奴らが目撃されてるらしい。エメリンも、一人で出歩く時は気をつけろよ」
「まあ、それは物騒ですこと」
軽く応じながらも、エメリンの脳裏には先ほど市場で見た巡回中のシンクレアの姿がよぎった。剣を佩き、油断なく周囲を見回していたあの立ち姿を思えば、その脅威に真っ先に立ち向かうのも、きっと彼女なのだろう。
そこから他愛のない会話がしばらく続いた。今年の収穫の様子、辺境軍の食堂で新しく出された献立、王都から届いた手紙の内容。オーレリアンは相変わらず気安い調子で言葉を返し、エメリンもそれに合わせて相槌を打つ。
だが、話がひと段落ついたところで、オーレリアンはふとエメリンの顔を覗き込んだ。
いつもの朗らかな様子とは違う、どこか思い詰めたような影が、その横顔に落ちている。視線は落ち着かず、指先が籠の持ち手を強く握りしめていた。何かを胸の中に留めたまま、それを口にすべきか迷っているような、そんな気配だった。
「どうした」
問いかけに、エメリンはしばらく答えなかった。
秋の風が二人の間を吹き抜け、乾いた土埃を舞い上げる。練兵場からは相変わらず剣の音が響き、その規則正しい響きだけが、沈黙の合間を埋めていた。
やがて、エメリンはゆっくりと顔を上げる。
「シンクレア様のことですけれど」
前置くように、まず静かに切り出した。
「お会いしてまだ間もございませんが……あの方は、とても素敵な方ですわ。毅然として、それでいて儚さも併せ持つ美しさがあって……何より、あの強さは本物ですもの」
言葉を選びながら紡がれる一言一言には、これまで抱いてきた対抗心とは違う、素直な敬意が滲んでいる。
「いきなりなんだ」
戸惑いを隠さず、オーレリアンが小さく首を傾げた。
エメリンはその視線を受け止めながら、一度だけ深く息を吸い込む。胸の奥で、長年抱え続けてきた想いが、今にも溢れ出しそうになっていた。
「あの方に勝てるだなんて、思っておりません」
声は僅かに震えていたが、それでも真っ直ぐオーレリアンを見据えていた。
「そのような、烏滸がましい考えは持ち合わせておりませんの」
一度言葉を切り、エメリンは唇を引き結ぶ。籠を持つ手に、さらに力が込められた。
「わたくし……ずっと、リアン様をお慕いしておりました」
告げられた一言は、これまで胸の奥深くへ沈めてきた歳月の重みを伴っていた。幼い頃、薬草園の片隅で不器用に慰められたあの日から、ずっと抱き続けてきた想い。誰よりも先に出会い、誰よりも長く見つめてきたという自負。それらすべてを込めた、たった一つの告白だった。
オーレリアンは、驚いた様子を見せなかった。
その静かな反応が、かえってエメリンの胸を締め付ける。とうの昔に気づかれていたのかもしれない。それでも今まで、あえて触れずにいてくれたのだろう。
「ありがとう」
短い一言だった。だが、そこには誠実な響きがある。想いを受け止めた上で、応えることのできない現実を、静かに伝える声だった。
その瞬間、エメリンの瞳から涙が溢れ出した。
堪えていたものが、堰を切ったように零れ落ちていく。ぽろぽろと頬を伝う雫は、次から次へと後を絶たず、乾いた土埃の上へ小さな染みを作っていった。声を上げて泣くこともできず、ただ静かに肩を震わせながら、涙だけが止まらない。
オーレリアンはゆっくりと手を伸ばすと、エメリンの頭へそっと触れた。
大きな掌が、乱れた髪をゆっくりと撫でる。慰めるでもなく、労うでもない、ただそこに寄り添うような温もりだった。幼い頃から変わらない、不器用ながらも真っ直ぐな優しさが、掌を通して伝わってくる。
秋の風が二人の間を吹き抜け、練兵場からは変わらず剣の音が響き続けていた。長年抱えてきた想いに区切りをつけたエメリンの涙は、しばらくの間、乾くことなく頬を伝い続けた。




