表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
45/77

剣を持たぬ者への想い

三人分の茶器が用意された中庭のテーブルには、エメリンが持参した木苺のタルトが皿へ盛られていた。


秋晴れの空の下、庭園に設えられた白い鉄製のテーブルセットは、木漏れ日を受けて淡い影を落としている。侍女が注いだ紅茶からは、ほのかに柑橘の香りが立ち上り、風に運ばれるたびにタルトの甘い匂いと入り混じった。


焼き上がったばかりのタルトは、艶やかな照りを帯びた木苺がぎっしりと敷き詰められている。フォークを入れると、さくりと軽い音を立てて生地が崩れ、中からとろりとしたクリームが顔を覗かせた。口へ運んだオーレリアンが、目を細めて満足げな息を漏らす。


「相変わらず旨いな、これ」


「厨房の者に念入りに作らせましたもの」


得意げに胸を張るエメリンの表情には、幼い頃から変わらない無邪気さがあった。褒められることを素直に喜び、それを隠そうともしない。オーレリアンが二口目へ手を伸ばすたび、その様子をじっと窺い、反応の一つ一つに一喜一憂している。


シンクレアは差し出されたタルトへ、静かにフォークを入れた。木苺の酸味とクリームの甘さが舌の上で溶け合い、思わず頬が緩みかける。それでも表情を大きく動かすことはなく、ただ静かに味わいながら、対面に座る二人の様子を眺め続けていた。


会話の主導権は、終始エメリンが握っていた。


王都での出来事、辺境での近況、共通の知人の噂話。矢継ぎ早に話題を変えながら、エメリンはオーレリアンとの時間を惜しむように言葉を紡いでいく。その合間に見せる仕草の一つ一つ髪を耳へかける手つき、視線を伏せる瞬間、頬を染める呼吸には、年相応の初々しさが滲んでいた。


シンクレアはそれらを、ただ静かに観察していた。


会話へ積極的に加わるつもりはなかった。元より社交の場での駆け引きは得意ではないし、この場に流れる空気を乱すことも望んでいない。紅茶を口へ運びながら、二人の間に漂う長年の親密さを、ただ興味深く眺めていた。


やがて話題が途切れかけたところで、エメリンがふと思い出したように口を開いた。


「そういえば……リアン様が結婚なさるなんて、驚きましたわ」


その一言に、テーブルの空気がわずかに変わる。


「てっきり、しばらくは独り身でいらっしゃると思っていましたのに」


無邪気な口調だったが、その言葉には隠しきれない本音が滲んでいた。


「レオン様も、カイル様も、ガイアス様も、いまだにご結婚なさっていないでしょう? だから、てっきりリアン様も……」


言葉尻を濁したエメリンの視線が、一瞬だけシンクレアへ向けられる。すぐに逸らされたその一瞥には、羨望と、それを覆い隠しきれない微かな棘が同居していた。


オーレリアンはフォークを置き、少し考えるように視線を宙へ向けた。


「兄上たちが結婚しないのは、黒狼旅団のせいだ」


淡々とした声だった。だが、その言葉には彼なりの理解が滲んでいる。


「王国北部で暗躍してる盗賊団でな。元騎士やら元軍人やらが集まった、ただの盗賊とは訳が違う連中だ。数も四百近くいて、統率も取れてる。厄介なことに、団長は元王国騎士らしい。剣の腕だけじゃなく、軍略にも長けてるって話だ」


タルトへ伸ばしかけていた手を止め、オーレリアンは続ける。


「辺境伯家は、あいつらにとっちゃ目障りな存在だ。俺たちがいる限り、北部でおおっぴらに動けない。だから、いつ狙われてもおかしくない」


その言葉に、エメリンの表情が僅かに強張った。噂程度には聞いたことがあったのだろう。それでも、こうして本人の口から具体的に語られると、事の重さが違って感じられるらしい。


「もし兄上たちが所帯を持ったら、それだけ狙われる場所が増える。剣を握れない妻や子供だと、真っ先に人質として狙われるのは決まってる」


オーレリアンの声には、いつもの軽さがなかった。


「大切な人ができるってことは、同時に弱みを一つ背負うことになる。兄上たちは、それをよく分かってるんだ。だから、黒狼旅団の件が片付くまでは、家庭を持つつもりはないんだと思う」


淡々と語られる事情には、家族への深い理解と、辺境を守る者としての現実が滲んでいた。レオンもカイルもガイアスも、口に出してそう告げたことはない。それでも、幾度となく家族の間で交わされてきた会話の端々から、オーレリアンはその覚悟を感じ取っていた。


「でも、俺は違う」


オーレリアンは視線をシンクレアへ移した。金色の瞳には、揺るぎない確信が宿っている。


「クレアは、自分の身を自分で守れる。俺が守らなきゃいけない一方通行の関係じゃない。だから、迷わなかった」


その言葉に、シンクレアは静かに視線を上げた。何気ない一言だったが、そこには彼女の在り方そのものを認める響きがある。守られるだけの存在ではなく、共に立つ者として選ばれたという事実が、胸の奥へ静かに染み込んでいく。


エメリンの表情が、僅かに翳った。


剣を握ったこともなければ、戦場に立つ覚悟もない。子爵家の令嬢として、深窓の花のように育てられてきた自分には、シンクレアのような強さは持ち得ない。その事実を、突きつけられるように理解してしまった。


紅茶の水面に映る自分の顔を、エメリンはしばらく見つめていた。羨ましいという感情と、割り切れない苛立ちが、胸の奥で複雑に絡み合っている。オーレリアンの隣に立つ資格は、剣を握れることではないと分かっていても、目の前の現実を素直に受け入れることは難しかった。


「そう、なんですのね」


絞り出すような声だった。無理に浮かべた笑みは、いつもの快活さとは違う硬さを帯びている。


シンクレアはその変化に気づいていた。だが、その理由までを深く探ろうとはしなかった。ただ、幼馴染としての複雑な感情なのだろうと、控えめに解釈するに留めている。


タルトの残りを見つめながら、エメリンはフォークを持ち直した。表情を取り繕うように、無理やり口角を持ち上げる。


「私も、いつか強くなれたら……なんて、無理なお話ですわね」


自嘲めいた呟きは、誰へ向けたものでもなかった。それでも、その声には確かな本音が滲んでいる。


秋の風が中庭を吹き抜け、テーブルの上の紅茶に小さな波紋を描いた。木漏れ日の下で交わされる穏やかな時間の裏側で、それぞれの胸の内に、異なる想いが静かに渦を巻いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ