幼馴染の風
入隊が認められてから翌日の午後、エルフレイム邸の玄関先は、思いがけない来訪者によって賑わいを見せていた。
秋の気配を含んだ風が、庭木の葉を控えめに揺らしている。石畳の上には、王都の流行を意識したのであろう瀟洒な馬車が一台停まっていた。車体には見覚えのある子爵家の紋章が刻まれ、その周りを数人の侍女たちが甲斐甲斐しく取り囲んでいる。
「リアン様ぁ!」
甲高い声とともに、馬車の扉から勢いよく飛び出してきたのは、緑の髪を揺らす少女だった。
年の頃は十七ほどだろうか。長く伸ばした髪は毛先にかけて淡い青みを帯び、風に煽られるたびに複雑な陰影を描いている。白いブラウスの上に、金糸の装飾が施された深緑のドレスを重ね、足元には使い込まれた茶色のロングブーツを合わせていた。令嬢らしい華やかさの中に、活発さを隠しきれない出で立ちである。裾を持ち上げて駆けてくる仕草にも隠しきれない育ちの良さが滲んでいたが、それ以上に目を引いたのは、青い瞳に浮かぶ疑いようのない好意だった。
玄関先で使用人と何やら話していたオーレリアンは、その声に気づいて振り返る。相手の姿を認めた瞬間、表情に浮かんだのは驚きよりも、どこか諦めにも似た苦笑だった。
「エメリン。相変わらず騒がしいな」
「久しぶりに帰ってきたと聞いて、居ても立っても居られませんでしたの」
息を切らしながら駆け寄ってきたエメリンは、オーレリアンの目の前で足を止めると、両手を胸の前で組み合わせた。頬は上気し、瞳には隠しきれない喜びが溢れている。幼い頃からずっと変わらない距離の詰め方だった。
その様子を、少し離れた場所からシンクレアは静かに眺めていた。
館の窓辺に佇んでいたシンクレアは、賑やかな声に誘われるようにして玄関先まで足を運んでいた。見知らぬ少女とオーレリアンとの間に流れる空気には、幼馴染特有の気安さがある。深く踏み込むつもりはなかったが、成り行きを見守るように、その場に留まっていた。
エメリンの視線が、ふとシンクレアの姿を捉える。
一瞬、その瞳に走ったのは、隠しきれない警戒の色だった。噂には聞いていたのだろう。オーレリアンが王都で公爵令嬢へ求婚し、そのまま連れ帰ってきたという話は、この辺境でも既に広まっている。
「あの方が……噂の」
小さく呟いたエメリンの声は、震えを帯びていた。
シンクレアは軽く会釈を返す。特別な意図のない、ごく自然な挨拶だった。だが、その所作の一つ一つに滲む気品と落ち着きが、かえってエメリンの緊張を煽ったらしい。
エメリンは慌てて姿勢を正すと、スカートの裾をつまみ、精一杯優雅に見えるよう一礼した。
「初めまして。エメリン・アスターと申しますわ。リアン様とは、幼い頃からの……その、大切なお友達ですの」
言葉の端々に力が込められている。友達という一言を強調する響きには、単なる幼馴染以上の想いが滲み出ていた。オーレリアンはその様子に気づいているのかいないのか、いつも通りの気安さで会話を続ける。
「久しぶりだな。元気にしてたか」
「ええ、もちろんですわ。リアン様こそ、お元気そうで何よりです。王都でのお務め、大変だったと聞きましたけれど……」
エメリンの視線が、ちらりとシンクレアへ向けられる。すぐに逸らされたその一瞥には、複雑な感情が込められていた。
シンクレアは黙って二人のやり取りを見守っていた。エメリンの態度から滲み出るものが何なのか、彼女は正確には掴みかねている。ただ、幼い頃からの馴染みが久しぶりに再会した喜びと、多少の緊張が入り混じった、それだけの様子にしか見えなかった。
好意という言葉を、シンクレアの思考が拾い上げることはなかった。
そのまま話は他愛のない近況へと移り、エメリンはオーレリアンの周りを忙しなく動き回りながら、王都での出来事や辺境での様子を矢継ぎ早に尋ねていく。時折、その話題がシンクレアへ及ぶこともあったが、当のシンクレアはそれを社交上の礼儀としてしか受け止めず、淡々と短い返答を重ねていた。
そのやり取りを、オーレリアンは苦笑を浮かべながら見守っている。
昔から変わらないエメリンの様子には、微笑ましさと僅かな困惑が同居していた。彼女の胸に秘められた想いに、まったく気づいていないわけではない。それでも、幼馴染として大切に思う気持ちと、恋情として応えることとの間には、越えられない一線がある。その事実を、オーレリアンは静かに理解していた。
やがて話が一区切りついたところで、エメリンは持参した籠を差し出した。
「これ、リアン様の好きだった木苺のタルトですわ。厨房に無理を言って、作ってもらいましたの」
「お、悪いな。ありがたく貰う」
素直に礼を述べるオーレリアンに、エメリンの頬がぱっと明るくなる。その表情には、幼い頃から抱き続けてきた想いの純粋さが滲んでいた。誰かを喜ばせたい、その一心で贈り物を用意する姿には、駆け引きも打算もない。
籠を受け取る手が触れ合いそうになった瞬間、エメリンは慌てたように身を引いた。頬を赤らめながら、視線をあちこちへ泳がせる仕草には、年相応の初々しさがある。
その様子を見つめるシンクレアの表情に、変化はなかった。
ただ、胸の奥にほんの僅か、名前をつけがたい違和感が芽生えていた。それが何であるのか、シンクレアには判然としない。恋愛の機微に疎い自覚はある。だから、その違和感を深く追及することもなく、ただ静かに二人のやり取りを見守り続けた。
秋の風が再び吹き抜け、庭木の葉を柔らかく揺らす。
石畳に落ちる木漏れ日の下で、幼馴染としての穏やかな時間が過ぎていく。しかし、その和やかな空気の裏側で、誰にも気づかれないまま、小さな感情の種が静かに芽吹き始めていた。




