兄、察する
エレノアとの挨拶を終え、館の前を包んでいた緊張はゆっくりと解けていった。レオンが穏やかな笑みで「ようこそ」と改めて歓迎を告げれば、カイルも「辺境は王都と勝手が違いますが、困ったことがあれば遠慮なく頼ってください」と落ち着いた口調で続ける。ガイアスは照れ隠しのように鼻を鳴らし、「リアンは昔から無茶をする。きっと止められるのはあんたくらいだ」と肩を竦めた。
その言葉にオーレリアンが「兄上!」と困ったように声を上げると、その場に小さな笑いが広がる。シンクレアも思わず口元を綻ばせ、その穏やかな笑顔を見たエレノアは満足そうに息子たちを見回した。ようやく家族らしい空気になった──そう誰もが感じた、そのときだった。
シンクレアの足元に座っていたキララが、ぴくりと耳を動かした。黒い瞳がオーレリアンを捉えた瞬間、白く大きな尻尾が勢いよく左右へ揺れ始める。嬉しさを抑えきれないらしく、その場で前足を小さく弾ませると、「わふっ!」と弾んだ声を上げて駆け出した。一直線だった。迷うことなくオーレリアンの前まで走り寄り、くるくるとその場を回りながら何度も見上げる。
その姿にオーレリアンの表情も一瞬で崩れた。「キララ」と呼びかけながら自然と膝を折り、小さな身体と同じ目線までしゃがみ込む。するとキララは待っていましたと言わんばかりに前足を掛け、「わうっ」と甘えた声を漏らした。オーレリアンは笑みを零しながら白い頭を優しく撫でる。耳の後ろを掻き、首元を撫で、柔らかな毛並みを梳くように指を滑らせる。その手つきは驚くほど自然だった。
撫でられるたびにキララは目を細め、鼻先を手へ何度も擦り寄せ、尻尾をちぎれそうなほど振り続ける。
「ははっ、そんなに喜ぶのか」
笑うオーレリアンの声もまた、心から嬉しそうだった。傍にいてくれて嬉しい。ただそれだけで満面の笑みになり、嬉しいという気持ちを何一つ隠そうとしない。その無邪気さは、見ているこちらまで頬が緩んでしまうほど真っ直ぐだった。
ひとしきり甘え終えると、キララは「わふ」と満足そうに鳴いて自分から身体を離した。そして何事もなかったようにシンクレアのもとへ戻り、その足へ身体を寄せる。シンクレアは自然な仕草で頭をひと撫でするだけだった。特別に褒めるでもなく、呼び止めるでもない。それがいつもの二人なのだろう。
キララも安心しきったように目を細め、静かに寄り添う。その様子を見つめるシンクレアの眼差しはどこまでも優しい。先ほどまでキララへ向けられていたオーレリアンの笑顔を思い返し、その眼差しはさらに柔らかく細められる。その微笑みには恋人を見る照れも、婚約者を見る気負いもなかった。
ただ、大切な存在を見守るときだけ浮かぶ、穏やかで温かな笑みだった。
その光景を見守っていたレオンは、ふと視線を止めた。キララを見る。オーレリアンを見る。もう一度キララを見る。そして再びオーレリアンへ目を戻した。隣ではカイルも同じように二人を見比べている。ガイアスだけは最初こそ不思議そうな顔をしていたが、しばらく眺めているうちに何かに気付いたように目を丸くした。誰からともなく小さな苦笑が漏れる。
「……ああ」
レオンが呟く。
「そういうことか」
カイルも小さく笑った。
「驚くほど似ていますね」
「姿じゃねえぞ」
ガイアスが苦笑しながら続ける。
「中身だ」
その一言で十分だった。
嬉しいことがあれば全身で喜ぶ。好きな相手を見つければ迷わず駆け寄る。相手が笑えば自分も笑い、相手が悲しめば自分も悲しむ。飾ることを知らず、裏表もなく、自分の好意を真っ直ぐ相手へ向ける。
その在り方が、あまりにもよく似ていた。人とわんるんもん。本来なら比べることすらおかしいはずなのに、不思議なほど重なって見える。そしてシンクレアは、そんな二人を見つめるときだけ、同じような優しい表情を浮かべていた。
レオンは小さく息を吐き、納得したように微笑む。
「シンクレア嬢が、オーレリアンの求婚を受け入れた理由が分かった気がする」
カイルも静かに頷いた。
「ええ。きっと年齢でも家柄でもありません。あの方は、オーレリアン自身を見たのでしょう」
ガイアスは腕を組み直し、照れくさそうに鼻を鳴らす。
「まあ、愛犬と同じようなのがもう一人現れて、『幸せにしたい』なんて真正面から言われりゃ……そりゃ断れないか」
三人は顔を見合わせ、小さく笑った。
当の本人たちは、その視線にも気付いていない。キララは満足そうにシンクレアの足元へ寄り添い、オーレリアンはそんな一人と一匹を見つめて嬉しそうに笑っている。その屈託のない笑顔までそっくりで、三人はもう一度だけ視線を交わした。
もう、誰も説明する必要はなかった。




