俺と結婚してください 7
扉が勢いよく開く。
真っ白な毛並みが、応接室へ飛び込んできた。
ふわり、と風が舞う。
春の野を吹き抜けるような優しい風だった。
紅茶の香りへ、どこか草花を思わせる清々しい匂いが混ざる。
応接室にいた全員の視線が、一斉に入口へ集まった。
「わふっ!」
嬉しそうな鳴き声がもう一度響く。
わんるんもん。
柔らかな白い毛並み。
耳元と背中に淡い青色を宿し、大きな尻尾には光の渦を思わせる模様が揺れている。
オーレリアンは思わず目を見開いた。
(……綺麗だ)
王都でも魔物を見る機会はある。
軍人として討伐へ赴くことも少なくない。
だが、目の前のわんるんもんは、魔物という言葉から連想する姿とはあまりにも違っていた。
警戒心は感じられない。
敵意もない。
大きな瞳は好奇心に満ち、今にも尻尾を振り回しそうなほど嬉しそうだった。
その視線は──。
真っ直ぐ、オーレリアンだけを見つめていた。
「……え?」
思わず小さく声が漏れる。
初対面のはずだ。
それなのに、わんるんもんは迷うことなくこちらへ駆けてくる。
たったったっ、と軽快な足音。
床を滑るように近付き、そのままオーレリアンの膝元でぴたりと止まった。
黒く潤んだ鼻先が礼服へ近付く。
くん。
くんくん。
匂いを確かめるように、小さく鼻を鳴らした。
オーレリアンは身じろぎ一つできなかった。
こんなに近くで見るのは初めてだ。
腰より少し高い位置にある頭。
ふわふわの毛並み。
思わず触れたくなるほど柔らかそうだった。
その時だった。
わんるんもんの耳が、ぴん、と立つ。
丸い瞳がさらに大きく見開かれた。
「……わふ?」
不思議そうな声。
次の瞬間。
「わふぅぅぅっ!!」
応接室中へ響くほど嬉しそうな鳴き声が弾けた。
大きな尻尾がぶんぶんと左右へ揺れる。
あまりの勢いに風が巻き起こり、テーブルクロスの端がふわりと浮いた。
尻尾へ浮かぶ淡い光の模様も、楽しげに明るく輝き始める。
「お、おい……?」
オーレリアンが戸惑っている間にも、わんるんもんは身体をすり寄せ、鼻先で腕をつつき始めた。
甘えるように。
確かめるように。
まるで、ずっと会いたかった相手へ再会したかのように。
「キララ?」
穏やかな男性の声が響く。
ローゼンタール公爵だった。
その声を聞いても、キララは振り向かない。
視線はオーレリアンから一瞬たりとも離れなかった。
「珍しいな」
公爵が小さく笑う。
「キララは誰にでも懐く子ですが、ここまで喜ぶことは滅多にありません」
オーレリアンは困ったように笑うしかなかった。
「俺……何かしましたか?」
「いいえ」
公爵夫人も不思議そうに首を傾げる。
「初めて見る反応です」
その時だった。
廊下から、今度はゆっくりとした足音が近付いてきた。
先ほどまでの軽やかな足音とは違う。
規則正しく。
落ち着いた足取り。
一歩。
また一歩。
近付くにつれ、応接室の空気が少しだけ静まっていく。
キララもぴくりと耳を動かした。
扉の前で足音が止まる。
控えめなノックが三度。
公爵が静かに口を開いた。
「入りなさい」
ゆっくりと扉が開く。
差し込んだ光の中へ、一人の女性が姿を現した。
銀色の長い髪が、窓から吹き込む風を受けてさらりと揺れる。
黒を基調とした礼装。
女性らしい華美な装飾はなく、騎士を思わせる端正な立ち姿。
背筋は真っ直ぐ伸び、その青灰色の瞳は静かに部屋を見渡していた。
その姿を見た瞬間、オーレリアンの時間が止まる。
忘れるはずがなかった。
一年前。
王城の大広間で見送った、あの背中。
胸へ焼き付いた姿が、そのまま目の前に立っていた。




