6. 来訪者
風に、白いシーツが煽られる。
そこに、男が立っていた。
ポケットに手を突っ込んで寛ぎ、リネーネを見ている。
どれだけ見つめ合っていたことだろう。
長髪を結った男は、ふと親しげに微笑みかけた。
「や。リネーネ、久しぶりだね。少し話せるかい? 情報を持ってきたんだ」
「……情報だと?」
リネーネがしかめっ面で聞き返すと、男はゆっくりと歩いてきた。
「そう。エミリアの──」
「その話なら聞かない」
「リネーネ」
男の優しげな声に、リネーネは苛立ったように睨みあげた。
「いい加減にしろ」
「おお、怖いね。〝ルース〟がいなくなるのを待って話しかけたのに、ひどい」
「あいつには会うな」
「ずいぶん気に入っているねえ」
男は穏やかに笑い、街を見下ろす。
「妬けるな」
「……何の話をしにきたんだ」
「ふ」
男がしたり顔で笑う。
リネーネの黙らせ方なら熟知している、という忌々しい横顔を無視すると、男は穏やかに呟いた。
「だから言ったろ? 情報だよ。エミリアの」
「……もうやめろ」
「いやだ。やめない」
きっぱりとした拒絶が、楽しげに滲む。
リネーネは、男の影をさり気なく観察した。異様なほど細く長く伸びたその影は、靴を脱ぐ動作をした時点で間違いなく逃げられる。
男はリネーネの視線を追うと、くすりと笑った。
「俺の影を踏む?」
「……踏ませる気がないくせに、何を言う」
「踏む気がないのはそっちだろう? 俺は君になら踏まれてもいいけど──君は生者の加護は決して踏まない。踏めない」
理解者のような顔をした男を、リネーネは呆れたように見上げた。
「いや? 私は死者の加護は躊躇うことなく踏むが、生者の加護も必要とあらば踏むよ」
「踏まれた者は、死んでしまうのに?」
「ああ」
「本気?」
「ああ、本気だ」
男はじっと観察しているように見下ろしてきたが、リネーネが駆け引きに乗らないと悟るやいなや、無邪気に微笑んだ。
「なら、さっさとエミリアの加護を踏めばいい。なぜそれをしないのかな?」
「できないんだよ」
リネーネは腕を組んで端的に答える。
「私はできない」
「どうして?」
無邪気に聞いてくるその顔に、リネーネはふっと近づいた。
腕を掴み、男の口元に顔を寄せる。
至近距離で、睨みあげる。
「私はエミリアを想っている。だから、踏むことができない。できることなら──あんな馬鹿なことはやめてほしい。それが私の偽りのない願いだ」
腕を握りつぶさんばかりに強く掴んでも、男の凪いだ表情は変わらない。
それどころか、冷たい温度で見つめ返してきた。
「嘘は良くないよ、リネーネ」
「……相変わらずだね、お前は」
リネーネはそっと離れ、男の腕を押す。
「私は嘘は言わない。お前がそれを受け止められないだけだろう」
「そうかな? 本当に想っているのなら、ルースなど殺して一緒にいればいい。それをしないのなら、君の言葉はすべて嘘だ」
「極端だな」
「君は結局ルースを捨てられない。君が想ってるのは、常に自分に付き従うルースだけだ」
リネーネはため息を吐いた。
結局拗ねるのだ。いつもそうだった。
いつも──結局こうして決裂する。
「お前がそう思うのなら、私が何を言っても無駄だね」
「君が強情すぎるからね」
「どこがだ。私はいつもエミリアを想って──」
「エミリアを思っているのは俺だ」
男の声に、リネーネは押し黙る。
リネーネの口を閉ざすことに成功した男は、にこりと微笑んだ。
「加護を集め終えた。次の満月の夜に、コーファ港で加護を解放する予定だ」
「……」
「本当にエミリアを想っているのなら、さっさと偽物のルースたちから離れなよ。じゃあ」
「……その捨て台詞、ずっと変わらないね」
嫌味は届かなかったらしい。
男は来た道を引き返し、家の裏手へと消えた。
リネーネは街を見下ろす。
ずいぶん久しぶりに会ったが、男は全く変わっていなかった。
シエバの香りを吸い込む。
リネーネの胸の中には、遠い幻に微笑む懐かしく愛おしい顔が広がっていた。
「どなたか来られたんですか?」
ルースが帰ってきたのは夜中で、黄金の矢が真っ直ぐにこちらに飛んでくるのを見たリネーネが「ご苦労さん」と出迎えれば、一言目がそれだった。
「……」
「どなたがリネーネ様を訪ねてきたんです?」
「お前はすごい嗅覚をしているね」
やや褒めていない言葉を送れば、ルースはいっぱいの手荷物テーブルの上におろした。
「で、どなたです?」
譲る気は一切ないらしい。
リネーネはルースの紙袋の中身を覗き込みながら、なんでもないことのように答えた。
「情報屋」
「……情報屋、さん」
「昔なじみの」
「ということは、あの《《銀の反逆者》》の動向がわかったということですか?」
「大仰な名前だな」
「あいつの名前は口にしたくないので」
むすっとするルースは、紙袋から焼き菓子を取り出してリネーネに渡す。
「お。懐かしい」
「母からです。息子を寄越してくれてありがとうございます、とのことです」
「……お前、ちゃんと帰りなさい」
「そうします。次からは」
本当だろうか。
リネーネは懐かしいそれを口に含む。ほろりとほどける香ばしい香りにうっとりと目を閉じると、いつの間にか用意していいたらしいお茶がルースから差し出された。
「どうぞ」
「ありがとう」
「それで?」
「……乾いたシーツ、取り込んで畳んでおいたよ」
リネーネが視線で示せば「あ、ありがとうございます」と無邪気に言うのに、うんうんと頷きながらお茶に手を伸ばせば、また「それで?」と詰問が始まる。
結局、リネーネは情報屋が伝えてきたことをルースに話すことになるのだった。




