50. 拒絶
──お前が俺になって。俺の加護を、渡すから。
エミリアの言葉に、ルースは目を見開いたまま顔を強張らせた。
きっと、正気を疑われているのだろう。
わかっていて、エミリアは穏やかに彼を見つめ続けた。
わなわなと震えだすルースの唇が、声にならないまま動く。
「……だ」
「ん? なに?」
優しく聞き出そうとするエミリアの手を、ルースは強い力で振り払おうとしたが、小柄な身体は無様に揺れただけだった。
「いやだ!」
「……あのさ」
「僕はあなたにはならない!」
「俺がいなくなっても?」
エミリアは聞く。
酷い顔をしたルースを蔑むように見下ろすと、手をパッと放した。ふらつくルースを苛立しそうに見る。
「俺はもうもたない。リネーネのために生きていけない。お前が羨ましくてたまらないよ」
「……なにを言ってるんです」
「長く生き過ぎたのかな。自分が落ちていることにすら気づけなかった。ずっと昔──逃げろと彼女に言われたとき、死ぬのなら彼女のためがいいと願った。必死だった。けど、見てみろよ。今の俺は、あの人のためだけに生きようとしてるように、お前には見える?」
見えないだろう。
エミリアは自分でもわかっている。
「欲しい。あの人が。俺の近くにいてほしい。触れてほしい。笑ってほしい。俺のために。あの人の心を、他の誰にも見せて欲しくない」
エミリアの声に、ルースの青い瞳がぐらぐらと揺れる。
こいつもわかるのだ。
その衝動を押さえつけているのだ。
エミリアには、それが痛いほど理解できた。
どれほど物わかりの良い顔をしたって、欲望に人は勝てはしない。
だから、加護をもつ者は、エミリアの死の誘いにも乗る。
今までどれほどの生命に「あなたに安息を」と囁いてきたことだろう。本音ではどうであったのか、もう記憶にない。その生命の向こうには、常にリネーネが立っていた。
彼女を生かすために。
彼女が、死者の加護を踏む数を減らすために。
いらないと言う彼女に、加護をぶつけて受け取らせる。ただ、生きていてほしいから。
リネーネに愛される資格など、あるわけがない。
「それでもね、許せないんだよ。あの人の愛など受け取ってはいけないのに、それでもあの人が誰かを特別に想うのは許せない。ねえ、俺はどうしたらいいの?」
答えなどないだろう。
あってたまるものか。
この長い時間を生き抜いてきてもなお、見つけられなかった。
欲望も衝動も超えた愛で生きてきたつもりだった。
だが、それらが追いついてしまった。
ただ落ちていく。
落ちていることに気付けないまま。
深い谷底へ。
彼女から離れながら、落ちていく。
彼女の記憶だけをたぐりながら、飲まれていく。
エミリアは、ただルースを見つめた。
その目の中に怯えが確かにある。
まるで、数年後の自分でも見ている気持ちになっているのだろう。それはきっと、正解だ。
「俺は死ぬ。お前は何もできないまま、あの人が死に向かう姿を見つめ続けられる?」
「!」
「俺と同じ選択をしたくても、拒否するお前にはできないんだよ。耐えられる?」
質問を繰り出すたびに、ルースは歯を食いしばってエミリアを見上げた。
エミリアは慈悲深くその目を受け止める。
「お前も、死ぬよ?」
「そんなのは怖くない」
「……お前の家族は? お前の死を怖がらないの?」
エミリアは呆れたようにため息を吐いた。
黙り込むルースの手が握られる。
ああ、素直だな、とエミリアは思った。
こいつは、嘘も、誤魔化しも、見て見ぬふりもしたくないのだろう。
なんて甘い。
なんて、眩しい。
「あのさ。誰かがお前の死を怖がると思うのなら、俺の提案を受けてよ」
「いやだ」
「……強情だね。何が嫌なの? お前は死なない。お前の家族は悲しまない。あの人は──生きていられる。お前は、その隣にずっといられる。幸せだろう?」
自らの消滅の気配を前にしたエミリアにとって、ルースの存在は間違いなく奇跡だった。
あの人が死なずに済む。
たとえ自分は二度と会えずとも、あの人は生きていける。
きっと、加護も認めているのだろう。自分がルースから奪うよりも、もっと簡単にルースが自分の加護を奪うことができる。そう確信していた。
「踏め」
「!」
「俺の加護を。お前ならできるよ。やってみな」
エミリアの言葉に、ルースはきつく睨みつけてきた。
「やらない」
「リネーネが死ぬよ」
「やらない!」
「ルース」
「リネーネ様は死なない!」
喚くように言うルースに、エミリアは限界だった。足を上げ、腹を蹴りつけて転ばせる。
「俺、物わかりの悪いやつは嫌い」
「……、」
「死ぬんだってば。俺が死ねば、リネーネはいつか必ず死ぬ。お前が俺の役目を引き継がなければ、死ぬんだよ。俺もリネーネもお前も、死ぬの。やれ」
「……いやだ。絶対にやらない」
蹲るルースの髪が、ゆらりと揺れる。
身体が光りはじめ──金の粒子が浮いた。
その昔自分のものであった力が自分に向かうのを、エミリアは目を細めて見つめる。
「ふうん。生意気」
「……僕はあなたが嫌いだ」
「殺す?」
「殺さない」
金の粒子が、エミリアの頬をかすめた。
「僕はあなたを殺さないし、リネーネ様だって死なせない」




