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4. 石橋にて




 死者を見送ったリネーネは、息を浅く吐くとディア湖の橋へと向かい始めた。

 何も言わずとも、ルースは後ろをついてくる。


 もう慣れ親しんだものだった。

 親愛に満ちた沈黙の中、そっと石橋へと足を乗せる。


 灰色の石橋はディア湖の中心を通っており、それは橋というよりもただの広い道のように見える。湖面が揺れれば、石橋の両脇が水に濡れる。石の隙間に流れ込む水は、まるで生き物のようだった。ゆっくり、ゆっくり、染み渡る。けれど決してリネーネの歩く中心まで手を伸ばすことはない。


 足裏のざらりとした感触を愛おしむように歩けば、隣に追いついたルースが「リネーネ様」と覗き見る。


「そろそろ、靴を履いてください」

「……いらない」

「またそんなことを言って!」


 その明るい声に、沈黙が終わったことを知る。リネーネがくすりと笑えば、ルースは半歩前に進んで、そのまま(かしず)ように橋に膝をついた。


「リネーネ様。足を」

「……」

「足を、と言っているのですが?」

「私を叱るのはお前くらいだよ……」


 降参したように、リネーネは裾を摘んで少しだけ上げると、ルースが置いた靴に足そっと入れる。


「……はあ」

「何を嫌がることがあるんです。そろそろ慣れてください」

「いや……あのなあ、居た堪れないって言葉を知ってるか?」

「知りません」

「その昔、女に靴を履かせる男の童話があってだな。様々な女に靴を」

「知りません」


 かかとに手を添えるルースのつむじは、何故か楽しそうだ。

 リネーネは右足も靴を履きながら、ルースの手が離れるのを待って裾から手を離す。


「靴などなくてもいい」

「よくないです。きれいな足なんですから」

「そんなことを言うのは、お前だけだよ……」


 呆れたような眼差しを向けても、ルースは明るく笑うだけだ。

 いつでも加護を踏めるように裸足で過ごしていたリネーネが、根負けして靴を履くようになったのは、ルースが来て割とすぐのことだった。十六歳のルースの本気の心配を跳ね除けることができなかったのだが、それがどうしてかこういう形になっている。


「じゃあ、自分で脱ぐし、履く」

「そういう嘘はいらないです。放っておくと、そのへんに靴を脱ぎ捨てて〝なくした〟って……何回しました?」

「……」

「靴は僕が面倒見ます」

「……そうか」



 靴を面倒見る、の意味はさっぱりわからないが、ルースはリネーネが折れたと受け取ったのか、にこにこと立ち上がった。

 いつものように、少し距離を開けて、リネーネの隣を歩く。

 二人の間にシエバの香りが漂い、吹き抜けていく。


「近くなると、香りもはっきり感じますね」


 死者の話を聞こうとしない気遣いに触れながら、リネーネは頷く。


「そうだな」

「僕、ここ好きです」


 風に金の髪が煽られているのを、リネーネは見上げる。


「変わったやつだね」

「そうですか? ここはリネーネ様に会えた場所ですから、特別なのだと思います」

「私は、お前が似合わない赤い帽子を被って呆然と立っていたことしか覚えてない」

「そういうのは覚えてなくてもいいんです」


 むっすりと言うルースは、思い出すように目を細める。


「僕にとっては、とても、嬉しいことでした」

「押し付けられた役目なのに?」

「奪い取った役目、です」


 訂正するルースは、軽やかに笑う。

 本来、リネーネの同行者を務めるのは彼の兄の予定だったそうだ。

 しかし、なぜかルースは自分がそれになる、と単独で出てきたらしく、十六歳が行方不明になったと大変な騒ぎになったと聞いている。何も知らぬリネーネは、うっかりその少年を同行者と認め、影に──加護に触れてしまった。


「大問題にならなかったのが不思議だよ」

「そのへんは、まあ、色々したので大丈夫です」

「聞かないことにする」


 はい、とルースが笑う。

 その笑みに、リネーネは歩く速度を少しだけ早めた。黒い大きな裾がシエバの香りを運ぶ風に煽られる。


「……お前、二十歳を過ぎたんだから、そろそろ私の家からは出ていきなさい」

「え?」

「勝手をして家から追い出された、とか、慣れるまでそばに、とか──毎日泣き落としされて仕方なく置いたら、もう四年だぞ」

「ああ、懐かしいですね!」

「お前ねえ」


 数年前のあんなに落ち込んだ姿は何だったのか。

 歩く速度を合わせてきたルースが、結局隣に並ぶ。余裕のある横顔が憎らしい。


「結婚相手も早く見つけたほうがいいんじゃないか」

「そうなんですよね……見合いも急かされてて」

「行ってこい、行ってこい」

「でも僕、貴族のお嬢様は苦手です」


 あんなにも流れるような所作で腰を支え、靴を脱がし、履かせておいて?

 と言いたくなる言葉を飲み込んで、リネーネは笑った。


「お前なら誰とでもうまくいくよ。私が保証する」

「ですかね」


 ルースは足を止めると、じっと湖面を見つめた。

 水面には朝の光を受けた輝きと、もう一つ、水底に沈んだ無数の宝石の光が浮かび上がってくるような、不思議な光がせめぎ合っている。                                

 外側から。

 内側から。

 光が満ちて、二人の前に無言で漂う。


「ないですね、シエバの花」

「本当に見つける気だったのか」


 リネーネが足を止めて戻ると、ひときわ大きな風が二人の背中を撫でた。

 本気ですよ、とルースがリネーネを見る。


「それに──僕は、ずっとリネーネ様の同行者でいたいから、理解してくれる人でなければ無理です」

「いるよ。お前の祖母のように」

「そうですかね」


 光に照らされるその横顔が、じっと湖面を見つめて言った。


「きっと、シエバの花を探すよりも、難しいんだろうなあ」





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