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3. 加護



 ()()()()、二人は金色に包まれる。

 息苦しさもなければ、風の抵抗も感じない。

 ただ、目印に向かって身体が運ばれていく──そんな感覚だった。

 周囲の景色は絵の具が溶けた絵画のようになり、金色の粒子がその縁を彩るようにチラチラと輝く。

 

 とん、と着地したルースは、リネーネの腰から手を離すと、すぐにしゃみ、リネーネの靴を脱がした。


「……お気をつけて」

「大丈夫だよ」


 リネーネが呆れながら言うと、小さな薄い靴を抱きしめるようにして、気遣わしく見上げられる。仕方なく安心させるように頭をとんとんと叩けば、今度はムッとした目に変わった。リネーネは穏やかに笑う。


「お前こそ、気を抜かずに座標を維持し続けるようにね」

「もちろんです」


 ルースは死者を見つめながら、ゆっくりと立ち上がった。


「どんな人でも──死者は死者ですから」


 まだこちらに背を向けたまま立つ少女の影の周りは、金色のさざなみにきらきらと囲い込まれている。あれでは一歩も動けまい。リネーネは死者を見つめるルースの横顔をそっと盗み見た。


 立派になったものだ。

 たった、四年で。


 ふと、十六歳のルースが初めて死者を見たときのことをふと思い出した。

 驚き、狼狽しながら、リネーネが死者の影を──加護を踏むのをただ見ていた。

 リネーネの足元が朝焼けのように光り、ルースの空色の瞳に映り込むと、空が二つ重なったように美しく揺らめいた。その目には、確かに畏怖があった。それからしばらくはそばに寄ってこなかったほどの、純粋な畏れ。


 けれど今はない。

 信頼だけを灯した目が、リネーネを見送った。



 朝のディア湖に佇む少女の影を、そっと裸足で踏む。

 砂利に伸びたその影は、冷たい。


「こんにちは。お嬢さん」


 優しく。

 なるべく優しく、声をかける。

 少女はすぐにくるりと振り向いた。

 澄んだ目が、驚いたように丸くなる。


「……リネーネ、さま……?」

「そうだよ」


 丸い頬が上気し、ぱあっと顔が明るくなると、少女は胸で手を組んだ。今にもぴょんっと跳ね出しそうなほど、喜びをあらわにする。その姿は、街でルースに話しかけていた子どもらの姿と寸分変わりない。

 死者には見えぬほど、少女はくっきりとそこに存在していた。息も、体温も、心臓も、はっきりと動いているのを感じる。

 リネーネはしゃがむと、優しく笑いかけた。


「君は、いつから加護を?」

「?」


 きょとんとした顔をした少女の顔を見たリネーネは、察する。

 ひどく心が重くなる予感だった。


「……もしかして、身体が弱いのかな?」

「うん。いつもおうちにいるの。ベッドの上ばっかり」

「そうか」

「でも、きょうの朝、おきたとき……うごけたんだあ」


 ああ。

 リネーネは顔に出さぬよう、ただ少女の笑みを慈しむように見つめた。


 やはり、この子は加護を受け取ったことで、死を迎えたのだ。

 おそらく、つい、先程。

 彼女の身には負担だったのだろう。耐えられずに、あっという間に限界を超えた。加護を得たときのなんとも言えぬ幸福と自由を感じながら、温もりに包まれて生を終えたのだ。

 

「……そうか」


 リネーネはそうとしか言えなかった。

 こんなにも純粋な死者に合うのはずいぶん久しぶりのことで、わずかに痛覚の残った心が痛む。

 それでも、時間をかけるわけにはいかなかった。


「お嬢さん、目を閉じて。一番楽しかった思い出を、思い出してごらん」


 少女が素直に「んー」と思い出すように目を閉じると、リネーネはゆっくりと立ち上がった。

 裾をつまみ上げ、左足のつま先で小さな菱形を描く。すると、影がゆらりと波紋のように動いた。

 共鳴する。

 リネーネの、足首の輪が、うわんと回る。

 回転の速度が徐々に上がり、薄色の影が、ゆっくりと内側から侵食されるように加護を示す光へと変わっていった。圧倒的な光が漏れ始める。ルースがその影を縁取っていなければ、光はこの一帯を焼け付くさんばかりに覆ったことだろう。


 この世の何かが、気紛れに人間に渡す「加護」という愛。

 暴力的な、愛。


 加護を使うことが禁止され、得た者が自制を強いられて生きていくようなってしばらく。

 それでも、愛は降り注ぐ。

 望まなくとも、授けられる。


 ようやく訪れた死のあとも、決して加護は離れない。

 与えた人間に死の自覚を与えず、身体を腐らせず、ゆっくりと自我を削りながら、加護という名の破壊的な力を撒き散らす。

 それを止めるのが、リネーネの役目だった。


 死者の影に宿る加護を踏み、強制的に離す。

 二度目の死をもたらす死神とも呼ぶ者もいれば、加護からの解放をもたらす女神と呼ぶ者もいる。



 けれど、()()は言う。

 あなたはどちらでもない、と言った。

 ただの〝リネーネ〟だと。



 リネーネが目を伏せると、左の足の輪から、徐々に薄紫色の光が滲み出した。

 少女の加護と混じり合い、朝焼けのような光へと変化していく。


「おやすみ」


 リネーネが声をかけると、少女は柔らかに微笑んだ。

 薄っすらと透けていき、そのまま風にかき消される。


 加護は金色の粒子となり、リネーネが描いた菱形の穴の中に吸い込まれていった。



「……おやすみ、マリア」



 死者を想うように、リネーネはシエバの香りを吸い込みながら、目を閉じる。

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