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2. 佇む死者



 高台の家に、真っ白のシーツがはためく。


 いくつも、いくつも。


 まるで白い旗のように風に煽られながら、無機質の石造りの家の周りで、それは楽しそうに踊っている。

 リネーネが家を見上げれば、隣を歩いていたルースはすぐに気づき、足を止めた。


「どうされました?」

「いや……」


 リネーネはほんの少し迷ったが、首を横に振った。


「なんでもないよ。行こう」

「……歩かれるのですか?」

「今日はね。風が気持ちいいから」


 風を浴びるルースが、優しく「そうですね」と空に向かって微笑む。リネーネは同じように見上げてみたが、彼のような笑みは真似できないことをただ実感するだけだった。



 街へおりれば、ルースはあっという間に子どもらに囲まれる。

 誰に話しかけられなくとも、リネーネは背後で賑やかな声が聞こえるだけで、安心に包まれた。


 煉瓦が日差しで温まる気配。

 灰色の家々の窓に吊るされた緑や花、洗濯物。

 店先で籠に入れて並べられた野菜や果物。


 リネーネは賑やかさと離れながら、一人歩く。

 歩みは迷いなく、それでいて感情的でもなく、淡々としているが、ルースが誰かと談笑する明るい声を聞けば、その度にリネーネは心の中で今日の平穏に感謝した。

 シエバの香りがする街の中を、どこまでも穏やかに歩く。




「お前は、本当に愛されているね」


 街を抜け、ディア湖へ向かう一本道へ出ると隣に並んだルースを見て言えば、ルースは穏やかに笑った。


「皆さん、リネーネ様に話しかけたくてもできないから、僕に話しかけてくださるんですよ」

「そうか?」

「僕はほら、買い出しに降りてるんで、皆さん慣れてるんです。リネーネ様のこと、いつも聞かれるんですよ」


 聞かれても、適当に誠実に返しているのだろう。

 リネーネが何も言わずにいると、ルースは嬉しそうに笑った。


「僕が街の人達とうまくいっているか、心配してくださったんですね?」

「さあな」

「うれしいです」

「……お前の前向きさと器の大きさは、本当に桁が違うね」


 リネーネは苦笑する。

 あまりにも光が強すぎるルースを人々が神聖視することを懸念していたが、どうやらそんな心配は無用だったらしい。


「リネーネ様、僕は大丈夫ですからね?」

「はいはい、信じてるよ」


 呆れたようなリネーネのそっけない返答に、しかしルースは嬉しそうに俯いて笑う。

 その横顔に、木漏れ日が柔らかに触れた。

 煉瓦の道の隙間に生えた草が、リネーネの裾にゆらりと倒される。それを見つめるルースの穏やかな表情を見ていると、ふと、懐かしい気持ちがこみ上げてきた。


「似てないね」

「? なにがです?」

「お前の祖父と、お前が。あいつは、淡々とした男だったよ。自然を愛でるより、整然としたものを好んでいた」


 週に二度、時間もぴったりにリネーネの家に尋ねてくる。

 同行者となったのは彼が三十代の頃で、すでに家庭を持っていたのもあるだろうが、リネーネに対して一線を引き、決して深く関わろうとはしなかった。しかし、三十年近く、よくついてきてくれた、とリネーネは思う。 


 情が深いのだろう。

 シエバの香りがすると、様子を見に来ることもあった。

 彼の妻の焼き菓子を、ひとつ、きれいな布に包んで持ってきてくれるのだ。

 そうして「それでは失礼いたします」とすぐに帰っていく。

 その距離感は、心地良いものでもあった。


「へえ……そうなんですね……僕はあまり話す機会もなくて……その、無口な人でしたし」


 その戸惑ったような、何かを探すような言葉に、リネーネは思わず笑う。

 あの無口さは自分の前だけかと思ったが、あれの本質だったらしい。


「私も、あいつのことはよく知らないよ。同じだ。本当に自分のことは話さないやつだった。でも、出先で必ず妻へ贈り物を買っていたのは知ってる。私には隠していたがね」

「あ、それは僕も。祖母が嬉しそうに教えてくれるので」


 リネーネとルースは顔を見合わせて笑う。


「実は、とっても不器用な人だったんですかね」

「そうかもしれないな」


 それでも「ルース」としてだけではない人生を歩んでくれていたことは、リネーネの幸福と安堵でもあった。

 年老いた彼が来るのが週に一度になり、二週に一度になる頃には覚悟をし、窓の外で赤い帽子が現れるのをただ待つ。その間も、彼が自分の人生を使命だけに費やさなかった強さに、感謝した。


 リネーネは思い出す。

 このルースが、橋の上で自分を見たときの表情を。

 ずいぶん幼かったが、本当にそっくりだった。

 中身は全く似ていないが。


「祖父は……リネーネ様がシエバの香りが好きなことを、気づいていたんでしょうか」

「どうだろうね」


 リネーネは曖昧に答える。

 それ以上答えぬために視線を逃がすと、前方に見えてきたディア湖のほとりに、誰かが佇んでいることに気づいた。

 ルースの足も止まる。


「……ルース」

「ええ。死者ですね」

「逃がすなよ」

「はい」


 ルースがそっと、リネーネの腰に右手を添える。


「行きましょう、リネーネ様」


 そう囁くと、ルースは地を蹴った。

 たった一度の軽い跳躍で、リネーネとルースは放たれた矢のように跳ぶ。

 死者の──少女のもとへ。

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