47. ルーシャス
「何言ってるの?」
は、と力なく笑ったエミリアが、正気を疑うようにリネーネを見た。
エミリアは笑みを壊さぬまま、一歩足を踏み出す。
「私の加護を踏んでほしい」
「リネーネ」
「お前、見ていただろう」
リネーネはまた一歩近づく。
エミリアに動揺があろうと、容赦なく。
「お前と会った日の夜──お前が見ていると気づかないまま、私もルースも本音で話した。私がお前とどれほど幸せであったか。離れて、どれほど苦しんだか。どうやって〝ルースたち〟を見送ってきたか。お前は見ていた。私がどれほどお前を愛しているかを語る姿も──ルースが、お前を許した姿も」
あれを見て、それでもルースの生命を奪おうと思える人ではない。
そう、思いたい。
「お前、本気でルースから加護を取り戻すつもりなの?」
「……それであなたと一緒にいられるなら」
エミリアの前に立つリネーネは、その冷たくなった頬にそっと手を伸ばした。
「嘘はよくないよ、ルーシャス」
「!」
「お前はできない。自分のためには、人の生命は奪えない。そうだろう?」
ガッと手を掴まれても、リネーネは目を逸らさない。
今はきっと、逸らしてはいけない。
逃げられない苦しを抱える眼差しが、どれほどリネーネに痛く刺さろうとも、逃げない。
睨み返すように見つめれば、手を掴む力がぐっと強くなった。
「なに? あいつに絆されたの?」
「……」
「俺は確かに見てた。あれからずっと見てた。あなたとあの〝ルース〟が、楽しそうに暮らしてるのをね。あなたが幸せそうな顔をして笑うのを、見てた」
まるで傷ついたように、その目がきゅっと細くなる。
「あなたの気持ちを変えるほど、美しくて健やかで愛されているあいつは──本当に苛々する」
「ルースに手を出さないで」
「あなたの特別だなんて、許さない」
手が、潰されそうなほどに握られる。けれど、それ以上に心が痛んだ。
求められていることを、浅ましいほどに歓喜する気持ちが、リネーネの中に確かにある。
「だったら、私をお前の特別にして」
そう囁く。
「私の加護を踏んで。お前の中に置いてほしい」
エミリアの目が、その青い目が、驚いたように見開かれる。
リネーネは、緩んだ手を、強く握り返した。
「お前にしかできない。お前にしか、頼めない」
どうしてこんなに簡単なことを思いつかなかったのか、リネーネは不思議だった。
リネーネはエミリアを殺せない。
エミリアもリネーネを殺せない。
その間にも〝ルース〟は生命を握られていく。
続いていく。
加護も死者から離れない。
何もしなければ、加護を持つ者は増え続け、反作用も溢れかえる。
だから、リネーネは逃げられない。
エミリアのもとに向かうこともできず、ただ生き続けなければならない。〝ルース〟は続き、エミリアもリネーネを生かすために苦しみ続ける。
けれど一つ。
一つ、すべてが解決する方法があった。
なぜ見落としていたのだろう。
ただこの状況を耐えることで精一杯だったのかもしれない。
もう、愛していいのだ。
「加護を奪い、体内に留めておけるのは、お前だけでしょう?」
「リネーネ」
「私に渡すまで、数年も持たせることができる。私がそこに行けば、すべてがうまくいく」
エミリアが踏んだ死者の加護は、内側からリネーネが吸収してしまえばいい。
「そうすれば、私たちはずっと一緒にいられる。誰も困らない」
「それ、俺から離れた加護から、あいつを解放したいから?」
エミリアが首を傾げて尋ねる。
答え次第では、きっと猛烈に怒るのだろう。
わかっていても、リネーネは正直に答えた。
「そうだね。彼は普通の人生を与えられるべきだ。そうすれば、少なくとも私は救われる」
「ふうん」
「あの子が眩しいよ」
本音を漏らせば、エミリアは「ふ」と小さく笑った。
「愛してしまいそうで、怖い?」
「それはない。私はお前しか愛せないから」
「信じてあげてもいいかなあ」
「……めずらしい」
リネーネが笑うと、繋いでいた手がくんっと引かかれる。
胸元に受け止められ、リネーネはそっと耳を寄せた。聞こえてきた心音に、目を伏せる。
「俺の中に、あなた、か」
声が、心音に混ざって低く響く。その声は幸福に満ち、それでいてなぜか悲しそうだった。リネーネが顔を上げようとすると、頭を掻き抱かれる。
擦り寄るようにぎゅっと抱きしめられ、その手が、ゆっくりとリネーネの髪を梳き、耳に触れ、頬を掬い上げる。昔のように微笑む、愛しい人がいた。
「だめだよ。それは、だめだ」
その目を見た瞬間、リネーネは悟ると同時に──後ろから強い力で引き離されていた。
「リネーネ様!」
「!」
エミリアがリネーネの首にのばしていた手が、ひらりと振られる。
が、すぐにエミリアの姿はルースの背中によって遮られた。
目の前に立つルースが、ぐっとリネーネを後ろを下がらせる。
「僕も賛成できません」
冷たいほどの声が、リネーネに向けられる。
「リネーネ様の気持ちはリネーネ様のものですけど、僕は賛成しません」
「奇遇だね、〝ルース〟」
エミリアが笑う。
嘲るように。それでいて、憐れむように。
「そうそう。俺ね、お前に話があるんだ。ちょっと借りていくよ、リネーネ」
「! やめ──」
一瞬だった。
たった一瞬で、エミリアはルースの胸ぐらを掴むと、その場で跳躍し、リネーネの前から消えたのだった。




