43. 許し
──全員死んだら、またあなたは俺だけを想えるよね?
本気かもしれない思った。
あの瞬間の凍りついたような感覚を、リネーネは鮮明に思い出せる。
あのとき、エミリアは本気だった。
本気で、加護が向かう者すべてを、潰しに行く気だった。
「グアルディ家を絶やすために行動を移しかねないと思った。だが、ルースの加護の力を見たのは、その後だ」
「……なら」
ランスがわずかに動揺を見せる。
しかし、それ以上に揺らぐことはなかった。すぐに息を吐き、リネーネの視線を受け止める。
「弟から取り上げようとしていることに、間違いはなさそうですね」
「……すでに印もつけられた。ルースの加護の性質にもわずかに変化が見られる」
「本人は気づいていますか」
感情に流されぬようにしている穏やかな声に、リネーネは頷いた。
「間違いなく気づいている。決して私には言わないが、エミリアの加護が指先に入っていったときもそれを感じているようだった」
きっと、黙っているのではなく、言わないという判断をしているのだろう。
すぐに話す必要があるのなら、ルースは迷わない。
リネーネは窓の外をそっと見つめた。
遠くから見るルースは、普通の青年のようにリネーネの目に映る。その隣を歩く可憐な人は、後ろ暗いことなどないスラリと伸びた美しい背中をしていた。手入れの行き届いた、甘い香りのしそうな長い髪がふわりと揺れる。彼女が心から笑っているのが、わかる。
「彼が加護を取り戻すなど、可能なのですか?」
「わからない。さっきまで、〝ルース〟の力が彼に及ばないことも知らなかったからね」
「冷静ですね」
言葉に棘はない。
けれど、理解ができないという距離のあるものであることも確かだった。
リネーネは笑う。
「残念なことにね。鈍化しているだけだよ。お前たちとは生きた長さが違うから」
「狂っていないだけ、マシだと?」
「そう思う。私も、エミリアも。ただ、エミリアは限界なのかもしれない」
リネーネの言葉に何を思ったのか、ランスが黙り込んでしまった。
窓一枚隔てた向こう側は、なんと和やかなことだろう。
幸せであってほしい、と思う。
ルースに。
名前を知らぬ青年に。
けれどリネーネは知っている。
自分の願う幸せと、ルースの祈る幸せは別の場所にあることを。それでも幸せでいてほしいと思ってしまう。
どうしたらいいのだろう。
まるで自分とエミリアのようだ。
望むこと。
望まれること。
できること。
できないこと。
すべてがバラバラになる。
それでも愛している。どうしようもないほどに。
「……あなたは、整理がついたような口ぶりですね」
しばらく黙っていたランスが言うと、リネーネはルースの背中から目を離し、ゆっくりと頷いた。
「そうだね」
「今になって、なぜ?」
「ルースのおかげだよ」
リネーネは答える。ただ、正直に。
「ルースは私を許してくれた。それだけで、ずいぶん軽くなってしまったんだ。いいのか悪いのかは、別だけどね」
「……あれは、わけがわからないほど情が深いところがありますからね」
「優しいよね。とても」
「後始末をするのはこちらですよ」
「ふ」
ランスの声には愛情しかない。
ルースを情が深いと言うが、それはルース自身が兄に愛されて過ごしてきたからなのだろう、とリネーネは思った。
人はこうして、愛を渡し合って生きていくのだとしたら、自分とエミリアの間にあるものは、きっと不純だ。
エミリアがいなくなった遠い遠い昔のあの日から、動けないまま、ずっとずっと鈍くして生きてきた。
粛々と、ただただ、与えられた役目をこなすと言い訳をしていた。けれど、多分違うのだ、と今になってわかる。どこまでも彼と同じ場所にいたかった。終わらせたいと思いながらも、離れてしまうのが怖かった。
そんな愛でも、ルースは認めてくれたのだ。
恐れる愛でも、それもまたリネーネのものであると。
「私は──怖がりらしくてね。ルースは、怖がらせないでくれるんだと」
リネーネが語る緩やかな声に、ランスはほんの少し首を傾げた。
「……あなたは、弟を想ってくれているんですか?」
「お前の定義がどんなものかわからぬから安易には答えられないが、大切にしたいと心から思っているよ。たぶん、前からそうだったんだと思う。気づかなかっただけで、ずっと救われてきた」
「それは……彼が激怒するはずですね」
「ふ。確かに」
リネーネが軽く言うと、ランスは今度は重い息を吐き出した。
「……弟は、無事で済むと思いますか?」
「私が必ず、ルースを守る」
「どうやって」
「それは言えないけど、お前なら許してくれるだろう?」
「またそんなことを」
呆れたような声のランスの目は、再び庭に向かった。
リネーネが言った「守る」という言葉を信じてくれているように、ルースを慈しむように見つめている。
ルースの隣りにいる女もまた、ランスの希望であることがわかる。ルースを思う彼らが選んだ女は、間違いなくルースを支えてくれるのだろう。
「邪魔をしにいかなくていいんですか? あなたが呼べば、弟はすぐに戻ってきますよ」
自分のことなど気にせず、好きにしていいと言っているのだろう。
やはり似た兄弟だった。
リネーネは首を横に振る。
「呼ばないよ」
見知ったはずのルースの横顔が、知らない顔で笑っているのを見るリネーネは、眩しそうに目を細めていた。




