46. 呼応
リネーネが朝の庭に立つルースの背中を見つけると、ルースはすぐに振り返った。
「呼びました?」
ルースに聞かれたリネーネは、庭に出ると隣に並ぶ。
花々が風に倒れ、優しく足に触れた。
「……本当に嗅覚がすごいね」
「褒めてくださってますよね?」
「半分」
「じゅうぶんです」
ルースがくすくすと笑う。その手を、リネーネはそっと取った。
エミリアの銀の粒子が入っていった指の腹を、やわらかく撫でる。
あれから数日。
時折こうして、手をつなぐ。
けれど未だに《《反応はない》》。
「じれったいですね」
ルースが握り返しながら言う。
「あの人、確実に見ているのに、これくらいじゃあ来ないってことですか?」
「どうなんだろうね」
「どこかで倒れてたりしません?」
なぜかエミリアの心配をルースに、リネーネは思わず笑った。
「お前、本当にすごいね」
こうして、エミリアを呼び出すようなことを始めたのはリネーネだったが、ルースは意図をすぐに理解した。
一度も言葉にしたことはないが、リネーネもルースも気づいたのだ。
エミリアは必ず見ている。
ルースを通して、今も見ているはずだ。
けれど、中々乗り込んでは来なかった。
「で、お前はなんの用事があって私に協力してくれているの?」
「リネーネ様こそ、なんの用事があって彼を呼んでいるんです?」
「……」
「……」
「邪魔、するなよ」
「そっちこそ。邪魔しないでくださいよ?」
ふ、と笑い出す。
互いに何かをするつもりなのかはわかっているが、それを伝える気はさらさらないことを理解していた。
話したいことを話し、自分の気持ちを自分で抱える。
そう話してきたからこそ、本気で問い詰める気はリネーネにもなければ、ルースにもなかった。ただじゃれあうように、共犯にもならない身勝手を許し合う。
「ルース」
「はい?」
「そろそろ、パトリシアの様子を見てきてくれないか」
「リネーネ様は?」
「私が行くと、滞在者たちを怖がらせるから待ってるよ。街に買い出しにも行くだろう?」
「……なるほど」
ルースはほんの少し考える素振りをすると、リネーネの手の甲を指で撫でてから離した。
「わかりました」
「ありがとう」
「いえいえ。何かあれば必ずわかるので。そばにいるも同然です」
「それは心強いね」
さらりと言われたことを、リネーネもさらりと流す。
「リネーネ様」
呼ばれて顔を上げると、優しく笑うルースと目があった。その顔がそっと近づき、祈るように唇が額に落とされる。
ただ慈しむように目を細めて離れたルースは、何を言うこともなく、その場で軽く跳躍した。
金の矢が、アルゼ山に向けて駆けていく。
リネーネは額を撫で、呟いた。
「あいつは本当に」
「──わざとにもほどがあるね」
後ろから聞こえてきた声に、リネーネは振り返る。
一つに縛った青白い髪が、風に揺れていた。
「エミリア」
「いつから気づいてた?」
「ついさっき。お前の気配なら、どれだけ消していてもわかるよ。ルースは……追い出そうとしたから気づいたみたいだね。お前が自ら出てくるように、最後にいたずらをして行ったが」
リネーネの笑う顔を見ているエミリアは、どこか苦しげに笑った。
「変わったね。たった数日で」
「見ていたくせに」
聞いていたはずだ。
ルースがリネーネのすべてを受け入れるのを。
エミリアへの愛情を、誰よりもルースが肯定したことを。
リネーネは自分のことのようにわかる。ルースの言葉が、エミリアまで届いたことが。それがどれほど、稀有な愛であるのかを。
「お前はもう限界か?」
リネーネが尋ねると、エミリアは一歩も動かないまま、遠くを見つめる。
「そうかもしれない。あなたが、俺ではない人を想えるくらいには、もう時間は経っていたんだね」
「まだ言うか」
「あの〝ルース〟は特別だ。だろう?」
何を言われたって誤魔化されない、と、エミリアの目が饒舌に、悲しげに、曇る。
「俺はいつもあなたを試しながらも、信じていた。いつか決心が付けば、俺と一緒に来てくれる。〝ルース〟を見殺しにすることになっても、来てくれると。全部捨てて、ただ俺と一緒に来てくれる……そんな日が来たら、どれほど幸せかって。でも、わかってた。あなたは誰も見殺しにできない。俺さえも」
空は晴れ渡っているのに、エミリアだけがそれを知らぬように、視線が空を彷徨っていた。
「俺ね、殺そうと思ったよ。グアルディ家の全員。男も女も、加護が俺に帰ってくるのなら、そうしようって。あの時たしかに思ったんだよ」
「……」
「すっとあなたを愛してる。だから、こんなことも始められた。あなたが生きていてくれるためなら、何でもできる。痛みを感じなくすることだって、できる。あなたの苦痛を無視することだってできる。あいつの言う〝身勝手〟と同じだけど、俺はそうしなきゃ生きていけなかった。俺は、あのとき死ぬべきだった?」
リネーネも立ち尽くしたまま、その顔を見つめた。
懐かしい愛おしい顔。
離れ離れになってから、ひたすら心の奥底で恋焦がれた人。
今もなお、いなくなることが耐えられないほどの、自分の半身。
「お前には生きていてほしい。私もずっと、愛しているから」
「……」
「嘘じゃないって、わかってるんだろう?」
ルースを通して見てきたのなら。伝わっているはずだ。言葉よりも鮮明に、すべてを見たはずだ。
「受け入れられない? 私がお前を愛することが、あってはならないって、そう思ってるんだね」
「俺は死ぬべきだった」
「違う。私が死ぬべきだった」
強く響いた言葉に、エミリアがリネーネを見た。
凄絶なほどに美しく微笑みながら、リネーネは言う。
「お前を一人にはしない。だから──私の加護を、踏んでくれ」




