40. 家族
金の矢は、王都ウシュラリエに向かってまっすぐに駆け抜けていく。
その溶け合う景色の中で、ほんの少しの違和感がリネーネの胸の中に広がった。
鋭く、迷い一つない、無駄のない──誰かを思わせるような加護の使い方。それはわずかな変化だったが、ルース自身がわかっていないはずがない。
リネーネはただ前を見る。
どうにかしなければ。
何か一つでも、できることがあるのなら。
アルゼ山を越え、パトリシアの館を見つめ、王都ウシュラリエへ。
その上空から見下ろす景色は、華々しさも優美さもない。ただただ、堅実な王の元に仕える民の静けさに満ちていた。昔と変わらない。それどころか、昔よりも頑なにすら見えるし、城の近くにある受護協会の白い両手を広げたような建物は、圧倒的な存在感を放っていた。寛容と慈悲と、同じくらいの冷徹さが滲む。
その傍らにあるグアルディ家の広大な敷地の裏庭に、ルースは降り立った。
腰に手を添えたまま、一番にリネーネを気遣う。
「大丈夫ですか?」
「……ああ」
「いいですか、気をつけてくださいね。常に僕の後ろに」
「──まずは、ただいま帰りました、が先ではないかな?」
自らをよく律した声が聞こえ、ルースは佇む兄をちらりと見た。
降り立つ前から、その輝かしい金色の髪がしっかりと見えていたのにもかかわらず、ルースはどうやら見て見ぬふりがしたかったらしい。
「……ただいま帰りました。兄さん」
「よく帰ったね。愚弟よ」
ランスは微笑みながら言い、しかしリネーネには丁寧に頭を下げる。
「リネーネ様。ようこそおいでくださいました。お元気そうでなによりです。愚弟が迷惑をかけてはおりませんか?」
「とんでもない。よく助けてくれているよ」
頭を上げたランスは、真面目な顔で「そうですか」と穏やかに言った。
本当に、祖父によく似ている。
向き合う人間に背を正させるような、清廉な強さと、圧倒的な穏やかさ。
が、その美しい佇まいが、背中で遮られる。
「どのような件で、僕は呼ばれたのでしょうか」
「母さんから聞くといい」
「……母さん?」
「待っているよ。早く行きなさい」
ルースが黙る。
何かしらの葛藤があるらしいが、どうやら「母親」とリネーネを会わせたくない、ということだけはわかった。
リネーネが「いいから行っておいで」と言う前に、ルースは兄に向かって言い放つ。
「今ここで用件を話していただけないのなら、僕は帰ります」
「見合い、かな?」
「……」
「見合いが今からある」
「……はい?」
「もうお相手の方は、表の庭でお待ちだよ」
「何言ってるんですか?」
無理に笑おうとするルースの声が、引きつる。
「いきなり、そんなこと」
「母さん一人に、わざわざ来てくれたお嬢さんのおもてなしをさせるなど……言わないよね?」
「……卑怯です」
「何度も見合いの話を煙に巻いてきた結果じゃないかな?」
「……」
むうっと黙ったしまったルースは、リネーネの腕を取り、向き合った。
「いいですかリネーネ様。僕がすぐに戻るので」
「──相手のお嬢さんに失礼ではないかな?」
「すぐに、戻るので、リネーネ様は僕の部屋で」
「──女性を自分の部屋に連れ込むとは……」
「僕の、部屋で、お待ちください。僕らの家に帰りましょう」
「──あれはリネーネ様の家だよ」
「兄さんは黙ってくれませんか?」
ランスが入れていた言葉を無視しきれなかったルースが、じとっと睨む。
しかし弟のそれなど痛くもないのか、ランスはどこか優雅に「黙る理由がないからね」と切り捨てた。そうして、リネーネを見る。
「リネーネ様。案内は私が。ルースの部屋ではなく、応接室にご案内いたします」
「……いや……ルースの部屋で頼むよ」
腕を掴んだままのルースの無言の圧に屈したリネーネは、とりあえずルースの要望の方を受け入れた。
やや驚いたようなランスに、顔を輝かせるルースの二人の視線に、リネーネは居た堪れなくなる。
「では僕が案内しますね!」
そう言うルースに、リネーネはついていくしかできない。
後ろから何か言いたげな視線を感じるような気もするが、リネーネはルースが「反抗期に逆戻り」することを阻止したのだった。
グアルディ家は立派な屋敷ではあるが、驕ったところはなく、どこも手入れが行き届きながらも静かな気配に満ちていた。四年という月日を留守にしているはずのルースの部屋に入っても、埃が舞うこともない。
ルースは察したように懐かしそうに笑むと、すぐにリネーネを振り返り、安心させるように微笑んだ。
「では、少しそばを離れますね。何かあれば、呼んでください」
「わかった」
「駆けつけますので。どこでも」
座標は固定してある、と言わずとも理解できたリネーネは苦笑しながら頷いた。
ルースがランスとともに廊下を歩く背中を、何気なく見送る。
兄と話しているルースの横顔は、少年のようで、そうではない──パトリシアに見せていたものと同じ、家族に向けてのものだった。
リネーネはそっと、部屋の扉を閉める。




