38. 呼ばなくとも
ランスからの手紙は、それから二日後に再び送られてきた。
ルースが庭で花を摘み、リネーネはいつもの出窓に座り、死者がディア湖に向かっていないかぼんやりと街を見ていたときだった。
コーファ港から帰ってからというもの、ルースは特に世話もせずそのまま咲いていた花を手入れするようになった。昨日は街で育て方まで聞いてきたらしく、リネーネに「庭を花畑にしたい」と熱く語っていたので、好きにさせている。今日は花をわけてもらってきたらしく、朝からずっと庭で土いじりをし、花を摘んでいた。
その上を、ルースよりも淡い色をまとった矢が駆ける。
「!」
ぽとり、とリネーネの膝の上に落ちれば、ルースは、花籠をもったまま窓の方へと駆けてきた。
「兄からですよね?」
「そのようだ。ほら」
封筒を渡せば、花籠を代わりに持たされる。
シエバの香りほどではないが、優しいひだまりのような香りがした。
目を閉じて香りを吸い込むと、紙を開くかさりというささやかな音が聞こえて、次いで息を呑む気配がふる。
「良くない知らせか?」
「……」
「ルース?」
「いえ……〝リネーネ様と一度王都ウシュラリエへ……実家に、顔出すように〟と」
とにかく二人で来るように、との通達だろう。
つまり、リネーネがランスと二人で話すための何らかの用意ができたのだ。
「明日だそうです」
「……うん?」
「明日来なければ、許さない、と書いてます!」
「雑だな」
「でも本当に許さないのが兄なんです」
ルースはこわごわと手紙を見て言う。
ランスはきっと嘘をつけず、適当にもっともらしい理由を書けなかったのだろう、とリネーネが思っていると、ルースは手紙を封筒に押し込みながら呟いた。
「理由を書いてないのが怖い……しかも、返事はいらないって書いてある……行かなきゃ」
「なるほどな……」
「リネーネ様は、体調悪くなりますよね?」
「ならないよ」
だいたい加護があるのだから、体調不良とは縁遠いとランスも知っているはずだ。
というか、そもそもリネーネが向かうための脅迫文だ。
「行く」
「えー……」
「なんだよ」
「リネーネ様、兄のことを一目置いているでしょう」
もう一度「なんだよ」と言いそうになったリネーネが黙っていると、ルースは「兄は誰からも慕われるんです」と大真面目に言った。
「同行者って交換できませんよね?」
「……お前ね、二日前に〝リネーネ様の我儘をすべて許します〟って言ってたじゃないか」
「言ってませんよ!」
「似たようなことを言ったよ」
「そうかもしれませんが、こう、割り切れるやつと割り切れないやつが……」
「お前が私の〝ルース〟だよ」
花籠を傾けて言うと、ルースは金色の前髪の隙間から胡乱な目でリネーネを見た。
「可愛がってます?」
「いいや。とてつもなく愛でてる」
「ギリギリセーフですからね」
「それは良かった」
「明日かあ……」
リネーネは窓から手を伸ばし、ルースの髪を指先で撫でるように触れた。
「……」
「おっと、すまない。怒る?」
「怒りません」
「前は嫌がっていなかった?」
「前とは違うのがわかりますから」
子ども扱いではないでしょう?
そう聞かれたリネーネは、手を離した。
「そうかもしれないね」
「いいですよ。それで」
少し俯いたその隙間から、子どもには見えない笑みが一瞬浮かぶ。
「生意気」
「いたっ」
ルースが、頭を抑えながらくすくすと笑う。
そうして、花籠をリネーネから受け取ると、手紙をその中に入れて庭へと戻っていった。
二人の間のなにかは確実に変わった。
けれどきっと、何も変えるつもりはない。
そのままであろうとしているルースの広い背中を見て、リネーネは「成長とは恐ろしい」と苦笑した。
今でもじゅうぶん甘えさせられていて、子ども扱いされることすらあるというのに、彼はまだ成熟の途中なのだ。
「……」
リネーネが、愛しい者とその瑞々しい時間を共に歩いてきたのは、ずいぶん昔。
エミリアも同じような背中をしていた。
「リネーネ様!」
ぱっと振り返ったルースが、リネーネを射抜く。
「よかったらこちらへ。一緒にしませんか?」
「……」
「? リネーネ様?」
「ああ、うん」
リネーネがぼんやりと返事をすると、ルースは戻ってきた。
そうして、外からリネーネに向けて手のひらを向ける。
「手を。どうぞ」
「……呼ばなくても、戻ってくるんだね」
ぽろりとこぼすと、ルースは当然だとばかりに「はい」と言いながら、軽くリネーネの手を引いた。
出窓から、軽やかに飛び出す。
足元の柔らかい草の感触が、外の空気が、その青の広さが、リネーネを外に連れ出す。
「いい天気ですね」
「ああ」
「髪、どうします? 僕はそのままも素敵だと思いますけど」
エミリアの加護で溢れた生命も肯定するように、ルースは無邪気に笑った。
「このままにする」
「はい」
エミリアを想うことを、まるで当然だと言わんばかりの穏やかな返事が返ってきた。
「いいと思います。帽子も被っていたら、変装になりますしね」
「お前がそのままだと、結局目立つよ」
「僕も帽子を買えばよかったなあ……」
「それはそれで、怪しい二人組みに見えるだろうね」
ルースが「確かに」と笑う。
リネーネも、笑っていた。
胸元まで伸びた黒い髪が、ゆっくりと風に撫でられる。




