33. 重ねて
「僕は、エミリアという人間が〝銀の反逆者〟と呼ばれている理由を、よくは知りませんでした。同行者となる者しか詳しいことは話されない、と。僕は、へえ、そうなんだな、と」
そのふわりとした感想にリネーネが笑うと、ルースは同じように小さく笑った。
「それくらい、僕にとっては遠いことでした。加護を持つ者を、救いと称して命を奪う〝銀の反逆者〟が、グアルディ家から出た誰かであるということだけしか知らなくて」
「だから、嫌い?」
「いいえ。まだ見も知らぬその人を嫌いほど、僕は世界に関心があったわけではないと思います。とても、薄情ですけど」
普通のことだよ、とリネーネが言うと、スープカップを揺らすルースが、思い出すように遠くを見つめた。
夜空がどこまでも澄んでいる。
「初めてそれを見たとき、とても恐ろしかったのを覚えています」
ルースは十七歳だった。
シエバの花が咲いた日、ルースがいない隙に、情報屋としてエミリアが会いに来た。
加護の解放を告げ、そうして「新しい〝ルース〟によろしく」と消えていく。嫌な予感はしたが、リネーネはあそこまで派手にやるとは思っていなかった。
夕暮れの海の上。
ルースがいるにも関わらず、エミリアはすぐに解放したのだ。リネーネを待つことなく、ただ力を置いて行くように。試すように。
「銀色の光が周囲を覆い尽くして……それがみんな、人の形で……僕は初めてそれを見たときに、凄くショックだったんです。加護を奪う、という言葉を意味を初めて知りました」
「……うん」
「ひどいことをしている。なんて非情で、救いようのないことを、と。リネーネ様がいなければ、僕らは死んでいたんじゃないか。あの加護の形をした死者が、微笑みながらたくさんのものを貫いてしまうんじゃないか……そう思ったんです」
「うん」
リネーネはカップを揺らしながら、頷く。
もしも、受け取らなければ。
微笑む死者たちが、どこまでも自由に何をするのか、わからない。
「僕はショックでした。聞いていたことや知っていたことを、初めて目の当たりにした。自分が無関心であったことが、恥ずかしかった。だから、ここに」
ルースがベンチを指さす。
「帰ってから、僕が突っ立っていると、リネーネ様が〝ここで休んで、落ち着いたら入ってきなさい〟って、そっとしておいてくれたでしょう?」
「……そうだったかな」
リネーネが忘れたふりをすると、ルースがくすくすと笑ってスープを飲む。
あの夜、ルースがベンチで身を縮めるように、膝を抱いて恐怖に耐えていた姿を、リネーネは家の中から見守っていた。
「そうですよ。それで、僕ここでじっとしてて──でも寒くて、でもどうやって戻っていいのかわからなくて。そうしたら、リネーネ様がお茶を持ってきてくれたんです」
「やっぱり覚えてないね」
「優しいんですから」
立ち直れる。いつか理解する。大丈夫だろう。
リネーネは家の中からルースの様子を見ながら、そう思っていた。
同じように耐えていた。
エミリアと再会した複雑な心境にも、内から湧き上がる命の瑞々しさと、そのおぞましさに押しつぶされないように、いつものように心を閉ざしていた。
けれど決してルースからは目を離さない。
どれくらいそうしていただろう。しばらくして、小さく竦めた肩が震えたような気がした。よく見ると、手で腕を擦っているが、ルースはその場を動きそうになかった。
初めてリネーネは、彼がまだ「幼い」ことを実感した瞬間だった。
お茶を入れ、ブランケットを持って、ベンチの隣に──今よりも距離を開けて座った。
「助かったあ、って思ったんです」
ルースが笑いながら言う。
「ブランケットにも、お茶にも。もう本当に寒くて! それに、どう見ても泣き腫らした顔をしてたのに、リネーネ様は見て見ぬふりもしてくれましたし……お茶を飲んだあとは、僕にカップを持たせて〝片付けておいてくれ〟って。ふふ。今思い出しても、わかりやすい優しさだったなあ」
後ろから、すぐにルースはついてきた。
ありがとうございます、と言いながら、走ってきた。
リネーネは言う。
「──お前の気持ちは、お前のものだよ、って。リネーネ様はそう言ってくれたんです」
「……」
「僕がショックを受けていることも、恐怖を感じていることも、恥を感じていることも、それでいいんだって、言ってもらえた気がして……僕はようやく息が深くできた気がしたんです。嬉しかった」
自分に重ねただけだった。
リネーネが、長い時間をかけてすり減った罪悪感のなかで唱えていた言葉だった。
許されないとしても。
届かないとしても。
それでも私は。
「なんて美しいんだろう、と思いました。自分から目を背けたい気持ちも、僕のものなんだ、と思うと愛しくすら思えました。今も、そうです」
「それは、お前が健やかだからだよ」
「そうですかね。僕は、自分を身勝手だと思ってますよ?」
「本当に身勝手な人間は、自分でそうは言わないよ」
リネーネが言うと、ルースはバスケットの中の小さな本を取り出した。
「……僕が、同行者になるために家を出た経緯を、聞いてくれますか?」




