31. 理由
手を繋いだまま街を歩けば、子どもたちに「おくつ、どうしたのー?」と次々と聞かれた。
そのたびにルースが「海に落としてしまったんだよ」と答えると、子どもたちはきゃっきゃと笑いながら、なだらかな坂の脇を指さして靴屋を教えてくれる。
リネーネが感謝を込めてひらりと手を振れば、子どもたちは「わあっ」と喜んだあとに、なぜか後ろを隠れながらついてきていた。
「……ふふ。可愛らしい尾行だね」
「さっき、お姫様だって言ってるのが聞こえましたよ」
「誰が?」
「リネーネ様に決まってるじゃないですか」
ルースが自慢げに言う。
「さながら僕は姫を守る従者ってところですかね」
「それは心強いな」
「本当ですか?」
嬉しいです、と微笑むルースが、手を揺らす。
リネーネは、姫と従者は手を繋がない、と言おうとした言葉を飲み込んだ。
ルースには健やかであってほしい──笑っていてほしい。なぜかはわからないが、心からそう思うのだ。
前よりも強く。
帽子屋の前を通れば、リネーネが帽子を被っているのを見た店主が、ルースに「似合ってる」と言わんばかりに手を振り、ルースも和やかに振り返す。
人に愛される者の幸福を隣でそっと見るリネーネは、無意識に笑っていた。ルースが
「? どうかしました?」
「いや、変だな、と思って」
「僕が聞いていいやつです?」
「私は聞かれたくないことは誤魔化すよ」
「確かに」
「ふ」
話してもいい、と思っただけで、リネーネの肩も足も、どこか軽い。
それだけではない理由も、わかってはいるが。
「……前はね、あいつと会って加護を受け取ったあとは、気が沈んだものだった。命が体内にあるというのは、本能的に相当な安心感に繋がるらしくてね。身体も安定して、心も安定する。目にした景色が希望に溢れているように見える。私はそれが怖かった。自分が人の命で動いていることが、恐ろしかった。だから──今こうしてお前と笑って歩いてることが不思議なんだよ」
生命に彩られた中で浮かんでくる景色に笑うなど、できるはずもなかった。
けれど今は、それを感じながらも地に足がついている感覚になれる。
「一つ聞いてもいいですか?」
ルースに尋ねられ、リネーネは返事をするように手を揺らした。
「……もしかして、加護を受け取るときに、痛みとかも……あります?」
「いや、一人くらいならなんともないよ。慣れたのもあるけど、あいつが私に注ぐのは相当な量だから、負担はある」
「どうにかならないんですか?」
「ならないね。あいつは捕まらないために必死だし、私が受け取らざるを得ない状況を作ろうとしているから」
周囲を人質にとるほどの量を集め、解放を告げるエミリアは、リネーネに「加護を吸収する」ことを強いる。
けれどそれは──
「リネーネ様が選ばずに済むように、ですね」
なぜわかるのだろう。
わかってしまうのは、どうなのだろう。
リネーネの胸の内に一瞬だけ過った不安の隣で、ルースは少しばかり黙る。そして、項垂れるように俯いた。
「……知らないとはいえ、すみません。今までそばにいたのに全く気づきませんでした」
「気づかれないようにしてたからね」
「そうかもしれないですけど……」
ルースは考え込むように「うーん」と唸り、呟く。
「……そうなると、何かあったときのために座標の固定をもっとしっかりしておいたほうが良さそうだなぁ……」
「なにか言ったか」
「なんでもありませんよ」
後ろで隠れているつもりの子どもたちが、楽しそうについてくる声が聞こえてくると、ルースがつられるように笑った。
横顔をちらりと見たリネーネの表情も、ほんの少し和らぐ。言えていなかった言葉が、自然と心の奥からするりと出てきた。
「ありがとう、ルース」
ルースはいつも通り「いいえ」と軽やかに答える。
何も特別なことはない。何も変わることはない。何も怖がる必要はない。そう、ルースの全てから伝えてくる。
それがどれほどに強い心であるのか、当の本人ら理解していないのかもしれない。
「お前は本当に、すごいね」
「あ、今のは褒めてくれましたね?」
人懐っこく笑う。
その手が、初めて大きいと思った瞬間だった。
オレンジ色の外壁の靴屋に入ると、ルースはすぐに靴を選び終えた。
サイズの確認もせず、支払いをして、リネーネのもとに跪く。その流れるような動作に、リネーネはいつものように足を黒い靴に滑り込ませた。
途端に、路地に隠れてこちらを見ていた子どもらが「おうじさまだ!」と声を上げる。
そのまま「おうじさまがいるー!」ときゃあきゃあと楽しそうに走って海の方へと戻っていった。
「だってさ」
「ふふ。可愛いですね。満足したんですかね?」
「だろう。子どもが元気というのは、いいものだな」
「そうですね。でも、僕は王子様はごめんです」
立ち上がるルースは、リネーネを少し見下ろして、手を差し出してきた。
「僕は、どこまでもあなたと共にいたいので」
王子様ではだめなんです、とルースが言う。
従者は手を繋いだりしない。
同行者も、手を繋いだりしない。
けれど、リネーネの手は、ルースの手へとゆっくりと重なるのだった。




