表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/56

30. それでも





「泣いてなどない」


 リネーネがそっけなく言いながら顔を伏せると、ルースは繋いでいない左手をそっと伸ばした。

 帽子のつばをくいっと引いて、リネーネの顔を隠す。


「はい。泣いてないですね」

「……」

「目が少し潤んだだけです」

「……お前、すごいね」

「褒められてます?」


 ルースが控えめに笑う声が、心地良い。

 感情の波に飲まれそうだったリネーネの遠い記憶が、次第に落ち着いていく。


 ああ。ようやくわかった。

 リネーネは理解する。

 これが恐ろしかったのだ、と。

 許されることが、怖かった。


「……リネーネ様。知っていたり知らなかったり、それが安心したり不安だったり……そういう関係があってもいいんじゃないかなって、僕は思うんです。リネーネ様が話したいときに話して、僕が気になったときは、僕から聞く。どうですか? だめですかね?」

「だめじゃない」


 リネーネは即答していた。

 剥き出しの心だけが反応する。

 ルースの優しさに。ルースのあたたかさに。


「お前ね、怖いよ」


 リネーネはぽつりとこぼした。

 あまりにも素直な響きに、ルースはくすくすと笑う。


「すみません。怖がらせないつもりなんですけど」

「私に座標を固定するな」

「あー……それはごめんなさい」

「やめる気ないね」

「はい。ありません」

「怖いよ」

「はい」

「優しすぎて、怖いよ」

「……はい、リネーネ様」


 それでも、そばにます。

 そう呟くルースの声は、リネーネの知らない慈愛深い声だった。

 子をあやすように、手をゆらゆらと揺らされる。


「リネーネ様、他に話したいことはありますか?」

「……わからない」

「では、靴を買いに行きましょう。それが終わったら、家に帰りましょうね。僕らの家に」

「あれは私の家だが」

「一緒に、帰りましょうね」


 それが答えだと言わんばかりの声に、リネーネはうつむいていた視線を上げる。帽子のつばをそっと上げれば、ルースは海のずっと向こうを見つめていた。不安や躊躇いのない凛とした青い目は、全てを慈しむような光で満ちている。

 エミリアと会う前とは、何かが違う目だった。


 リネーネの視線に気づいているのか、ルースは海を見つめたまま柔らかく微笑む。


「あの人は、あなたのために自分を捧げている。けれど、僕はそうはしません。僕は、あなたのために、僕の人生を生きる。そう決めました」


 何を、聞いていたのだろう。

 いつから、見ていたのだろう。

 聞くことができないリネーネを、ルースは眩しそうに目を細め、慈しむ。


「怖がりなリネーネ様を、僕は怖がらせません」

「……」

「……座標の固定は、見逃してください」


 今度はいつものように無邪気に笑ったルースの手を、リネーネは少しだけ握り返した。

 よく知った子どもっぽい笑みが、さらに弾ける。

 

 リネーネも笑う。

 少し諦めたように、そして委ねるように、何よりも恐怖を乗り越えたように。

 

 何が正しいのかはわからない。

 間違っているのかもしれない。

 ルースの手を握り返すことは、また後悔することの一つになるのかもしれない。

 それでも、今、リネーネはそうしたかった。

 

 二人で、街へ歩き出す。

 潮騒がリネーネの背を追う。

 その中に、ルーシャスが「卑怯だね」と囁く声が混じっているような気がした。









 コーファ港は、海の上の出来事など誰一人見ていなかったように賑わっていた。

 港に船が着き、男たちが荷運びをする。

 海鳥が日差しをキラリと遮る光景は、尊いほどの日常だった。


「変わった様子はないですね」

 

 ルースはほっとしたように言い、リネーネも頷く。


「遠くだったからだろうね」

「……あの人って、結局他の人に危害を加える気はないんですか?」

 

 まるで知り合いのように軽くエミリアの話題を振ってきたルースに、リネーネもそのまま返す。


「ないよ」

「僕が初めて見た以前の解放のときは……かなり派手でしたよ」

「お前を牽制したかったんだと思う」

「嫉妬深い人ですね」

「ふ」


 あまりにも普通に話すルースに思わず笑うと、握ったままだった手が、ふらりと揺らされた。


「──多分ですけど、触れないようにするほうが、変なんです。意識しすぎると良くないですよ。こうやって普通に話して、あの人なんて親戚のおじさんくらいになればいいんです」

「……すごいな」

「実際そうでしょう? 僕にとっては遠い親戚だし」


 けろりと言うルースは「遠いっていうか、先祖……?」と首を傾げてしまった。

 

「ふ。あはは!」


 たまらなくなって声を上げて笑うリネーネを、ルースは穏やかに見つめ、一緒に笑う。


 そうして、やらかに手を引き、リネーネを日常につれていくように、優しく歩き出したのだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ