28. エミリア②
「それが私たちの始まり」
ルースは察しているだろうに、黙ってゆっくりとリネーネの手を引く。
岬を出て、海岸沿いの道へ。
大勢の命と引換えに強制的に加護を授けられたて数秒後、倒れたはずの聖者たちが起き上がりはじめた。
瞬間、悟る。
踏まなければ。
「踏んだ。彼らの加護を踏んだ。震える私の手を、彼はずっと離さなかった。本当に、一人にしないでくれた」
全員を踏み終えたとき、少女はへたりと座り込んだ。少年は、迫りくる大人たちから身を守るように覆いかぶさり、金色の粒子が警戒するように浮かんだ。
少女の身体の内側で、加護が生命の源に変換されて締め付けられるように苦しい中で、そのぬくもりと輝きがどれほど救いになったのか、言葉にはできない。
少年が、少女と一対の存在となったとわかるのは、それからすぐのことだった。
金色の粒子が加護であることも、その加護が反作用なく自由自在に扱えることも、大人たちは気づく。あんなにも「余計なことをしてくれた」と彼を少女のそばに捨て置くようにしておいて、ころりと態度を変えた。
なんの危険もない加護を持つ者が、作り出せた死神を制御できるとわかったら、誰もが彼を「聡き少年」として崇め始めたのだ。
「私が〝リネーネ〟という名前をもらったあとも、彼はこっそりと私の本当の名前を呼んでくれた。私がおかしくならなかったのは、彼のおかげだ。よく二人で受護協会から逃げ出したし、一緒に叱られた。一緒に大人になっているはずだった」
いつも手を繋いでいた。
罪人とされる者の加護を踏まされるときも。
「少しずつおかしくなっていったのは、彼の方だった」
リネーネも彼も成長が止まったとわかった頃、ふらふらと彼が不在になることに、注意を払うべきだったた。
「その頃はまだ加護を持つ者が少なくて、彼らを《いざというときに使えるように安全に保持したい、という思惑もあって、王都も受護協会も試行錯誤している最中だった。民もね。皆でその存在を受け入れる過渡期だったんだと思う」
ようやく無闇矢鱈に踏まされることを強制されることがなくなり、日々は見かけは穏やかだった。
自分の境遇に慣れ始めていたし、麻痺していたのだろう。
あの白い建物の中にリネーネがいるだけで誰もが安心したし、加護を持つ者は自らを律していた。
リネーネは忘れ始めていた。
自分がどうやって生を与えられたのかを。
「私の反作用はね──死をもって加護を奪うから、生を与えられるというものなんだ」
ルースの足が止まる。
一歩先を歩いたリネーネは、帽子を押さえて振り返った。
呆然とした冴え冴えとした青い目がリネーネを見て、ぽつりと呟く。
「……奪った加護がなければ、生きていけない、ということなんですか……?」
「そう」
加護を奪い続ければ、永遠に生きていける。
加護を奪うための力は、永遠と供給される。
「彼が生者の加護を奪い始めたのは、私を生かすためだった」
「!」
「あの当時、加護を持つものは少なかったし──どちらかというと、隠していた者が多かったんだと思う。受護協会に助けを求めなかった者を探し出して、彼は加護を集めていた。私に知られぬように、少しずつ注いでいた。あの頃は自分で尽きかけていることに気づいていなくてね。よく眠くなるな、というくらい。そもそも、みんな私の反作用なんて気にしていなかったんだ。私ですらね」
いくつ踏まされても、一度も災厄が訪れることはない。
完成品であると誰もが思っていた。二十人もの命の成果に、無情にも反作用があるなど、考えたくもなかったのかもしれない。
何も起きないうちは、誰も考えたくないものだ。
リネーネという存在は、彼らが「踏め」と言えば、加護を奪える都合の良いものとなっていた。
「もし、彼ではない誰かが気づいていたら、私は生かされるために無理やり生贄を捧げられて、踏まされていたんだろう」
そうさせなかった。
彼は、リネーネの反作用に気づいていながら誰にも告げず、一人で集めていた。
きっと、おぞましいほどの恐怖の中で、一人で覚悟を決めてしまったのだ。生者から命を奪うのを恐れない人ではなかった。愛情深い、どこまでも純粋な人だった。シエバの花が見たいと笑い、床で寝転がってくすくす笑うような、無邪気な人だったのだ。
一緒に大人になっていたと思ったのに、彼はたった一人で、リネーネの死の気配に気づき、背負った。
背負わせてしまった。
「けれど、ある日、彼の所業は気づかれてしまった。加護を奪うところを見られたそうだ。家族の者が、彼を糾弾するために何日も何日もかけて王都へ来た」
その日数が、過酷な旅が、恨みをつのらせたのかもしれない。
彼が加護を持つ女性を殴って気絶させ、無理やり加護を踏んだのだと、彼女の兄は受護協会へ訴えた。
「それからは早かった。彼は私以上に自由に加護を使える。暴れられては、誰も敵わないのは理解していたからね。だから」
リネーネは、首に剣を突きつけられた状態で彼の前に立たされた。
彼は跪かされたまま、何も言わずにそっと視線を落とし、後悔一つないように目を閉じる。
「そのときの目を見て、愚かな私はようやく察した。私のためなのだと。私が、死者の加護がなければ生きていけないのだと」
リネーネは、彼が暴行を働いて加護を奪うなどという所業を聞かされても、信じていなかった。
けれどその瞬間に、命を奪ってきたことを理解したのだ。
「死のうと思った」
加護を踏めない。
彼に死を与えられない。
だったら、おぞましい存在である自分を。
「首の剣を、手で掴んで押し付けた──そうしたら、彼の首も、切れた」
リネーネは初めて「一対」であることの意味を、強烈に自覚した。
剣が遠くに跳ね飛ばされる。彼の金色の粒子だった。血があふれる自分の首に手を当て、真っ青な顔をした彼は、しかしリネーネの傷があっという間に塞がったことに安堵した。
力の抜けたその一瞬で、周囲の兵がすぐにリネーネと彼を抑え、無理やり彼の加護を踏ませようと足を捻り上げる。
リネーネは叫んでいた。
「──逃げて、と」
リネーネは首にそっと触れる。
「私が頼んだ。彼に、生きていてほしかった」




