27. エミリア①
大きなつばの黒い帽子を被り、ルースと岬を歩く。
街に向かって、ゆっくりと。
「あの……足、痛くありませんか?」
「全く。今まで履いてこなかったし」
「……それはそれで、どうなんでしょう」
「心配性だね」
リネーネが笑うと、隣を歩くルースがわずかにほっとした気配がした。
緊張しているのだ。
ルースも。
リネーネは視線を落とし、言わなければならないことを先に伝える。
「──情報屋はエミリアの仲間なのか、と聞かれたとき、誤魔化した。嘘をついていなければ、問題ないと思ってたんだ。すまない」
「……はい」
「覚悟がなかった」
ずっとなかった。
どうすれば見つかるのかもわからなかった。
いいや、見つける気がなかったのかもしれない。
リネーネは、重い口を開く。
「お前は何も知らずに私のところにいたから、きっとそれが心地よかったんだと思う。今までは、私を疎んでいてくれたから」
「……疎む?」
「自分の命が他人に握られているだなんて、普通ならば嫌悪感を抱いて当然だ。私も、それくらいの距離感でいてもらえて安心していたのもある」
自分のしたことを忘れずに済むから、と言うと、ルースは黙り込んだ。
「お前がどこまで私とエミリアのことを知っているのか、聞くのすら躊躇った。お前が慕ってくれればくれるほど、私がエミリアを想っていることを知られて軽蔑されるのが、いやだった」
「……僕が彼を嫌いだから、言えなかったんですね」
「そうだけど、そうじゃないよ」
リネーネはゆるゆると首を横に振る。
「お前は私の味方でいてくれる。ただ、それに甘えたかったんだ」
曖昧にして、毎日を緩やかに生きて、それだけでルースとの日々を終えられたら、と思っていた。ただ単に、ルースから搾取しようとしていた日常をひっくり返すことができなかったのだ。
卑怯な自分を、リネーネは見つめる。
「こんなことにならなければ、まだ黙っていたと思う」
「いいんです」
隣を歩くルースが、リネーネの手を取る。
ぎゅっと握り、言い聞かせるように力強く言った。
「僕は、話したくなったときでいい、と言ったでしょう。こんなふうにリネーネ様に無理やり話をさせたくなんてないんです。あいつ、わざと僕に明かしたでしょう。やっぱり、嫌いです」
リネーネがその口ぶりに思わず笑えば、ルースも優しく笑う。
そして、握った手をそっと揺らした。
「僕が割ってはいらなければ、あのまま二人とも巻き込まれていたと思います。それが、望みでしたか?」
「……どうだろう」
繕わずに問いかけてくるルースに、リネーネは正直に吐露した。
「もう終わりにしたい、と言う気持ちはあるんだ。あいつにこんなことをさせたくない。もうたくさんだ、って。でも、そのためにはあいつの加護を踏まなければならない」
「……」
「でも、できない。私は踏めない」
「愛している、んですね」
「うん」
リネーネは頷く。
決してルースの手は握り返さない。
「祖父は、そのことを?」
「ああ。知っていた。お前より前の者たちは、みな知っていたよ。だから私を軽蔑していた。エミリアを愛し続けて、逃がし続ける私を、許せなかったんだと思う」
ああ、今なら話せそうだ、とリネーネは小さく笑った。
「私がエミリアと出会ったのは、私が加護を授かったときだった」
彼女がその名前をもらったのは、六歳の時だった。
儀式を経て、少女は「リネーネ」と呼ばれるようになる。
それは、当時の言葉で「命が永遠に続く」という響きから取ったものだったそうだ。
廻る。決して、止まらない。そう願われた。
加護を持つ者が突如現れ、彼らが「救国の聖者」と言われた時代は驚くほど短かった。
彼らは気高い精神で自らを律し、重い反作用を世界にもたらすことはなかったが、その中であるとき「そうではない」者が現れたそうだ。それは自由に加護を振るい、次々に各地に国難をもたらした。加護であると特定されるのは、当然のように早かった。世界はもう壊れかけていたという。彼を亡き者にしても、彼が平然と生きているようにしていることに気づいたときには、絶望でしかなかった、と。
民に愛されし「救国の聖者」の誰かも死んでいるかもしれない、という疑心が、怒涛のように溢れる。
「加護に対抗する存在として選ばれたのが、私だった」
総勢二十人近くが、一心に衝動と欲求を繋ぐその光景を、リネーネは忘れられない。
誰もが自分に頭を垂れていた。まさか後ろから身体を貫かれるとは知らず、ただ座らされたまま震えていた。
胸に飛び出る剣を見た直後だった。
──彼女に生を。加護を奪う存在の永遠を、我々は望む。
声が、大きく響いた。
「反作用を、うまく使ったんだよ。彼らは私を刺して、生を望むその隙間に〝永遠〟と〝加護を奪う〟を植え付けた。失敗したらどうなっていたのかはわからない。けれど、彼らは自分に向かう反作用である死を受け入れていた。みんなバタバタと倒れていった。その中で、一人だけ、じっと私を見て泣いている同じくらいの子どもがいてね」
金色の髪。
青い目。
ぼろぼろと泣く少年が、少女に駆け寄る。
「彼はね、違うことをずっと考えていたんだって。大人に言えと言われたことを忘れたわけじゃない。ただ、私を可哀想だと思ってくれていたそうだ」
──僕がそばにいられたら、絶対にあの子を一人にしない。一人で、痛い思いなんてさせない。こんな怖い思いは、させないのに。
「彼の名前は、ルーシャス。彼はずっと、私の本当の名前を名乗ってるんだ。私が捨てさせられた名──エミリア、という名前をね」




