24. 届かぬ想い
エミリアの腕が腹に触れる直前。
かろうじて「約束を守れ」とルースに伝えたが、みるみるうちに小さくなっていくルースから、リネーネは目を離さなかった。
追ってくる様子はない。
ここで待て、という約束を守ってくれているのか、呆然としているのかはわからないが、それでも一気に離れれば座標を固定する暇はないはずだ。
何が起きても、近づくことも、手を出すこともできない。
エミリア相手に何かができるとは思えないが、ルースの身は安全になる。
ほっと息を吐くと、反動のように懐かしさがリネーネの胸に込み上げてきた。
景色が混じり合うほど凶暴な速さ。
銀の光。
何度も反芻した、青みのある白い髪。
片腕で抱えられているリネーネは、ゆっくりと目を伏せる。
「なぜ言った」
「……ん?」
機嫌の良い声がリネーネの鼓膜を揺らす。
「ルースに、なぜ自分の正体を明かした」
「あなたこそ。なぜ言わなかったの?」
逆に問われ、リネーネは口を閉ざす。
「まあ。分かるけどね。あれがどんな経緯であなたの同行者になったのかは知ってるし──俺は見てるから」
情報屋として会いに来るときとは違う、口調と雰囲気。
あっさりと監視を白状するエミリアに、リネーネは怒りが冷めていくのを感じる。
これだから、困る。
「お前、性格変わりすぎだよ」
「失礼だね。きちんと状況に応じて切り替えてるだけだって。〝エミリア〟があなたの周りをうろついてたら困るから〝情報屋〟になってあげてたのに」
「……それはどうも」
「他人のふりが楽しいっていうのもあるけどね。あなたも、茶番に付き合ってくれるし。俺には、会えないものね?」
「当たり前だろ」
リネーネは諌めるように言ったつもりだったが、その声は弱々しく、どこか甘かった。
エミリアはしっかりと聞き取っているらしく、くすくすと笑っている。
「今年のシエバの花は、ずいぶん咲くのが早かったね」
「……」
「シエバの花が咲いたら絶対に会いに行く──その約束、忘れた?」
忘れるわけがない。
リネーネは心のなかで答える。
エミリアと会うことはできないが、情報屋として来ていたからこそ、話せていたのだ。
上っ面の会話だとしても、それが許された。
あの中にいくつも本音を混ぜて「もうやめろ」と何度も言ってきた。
一切伝わらなかったが。
「昔のルースは尽く邪魔をしてくれたけど。今回のルースを追っ払うのは簡単?」
「口が悪いぞ」
「あなたこそ。昔はもっと可愛らしかった。なぜ言葉を変えたのか、聞こうか?」
ぐんぐんと上昇している気配に、リネーネは息を詰めた。
「俺以外に愛されないため。だよね?」
「黙れ」
「ひどいね」
「いい加減やめろ」
願いを込めるように抱きしめてみたが、エミリアが上昇を止めることはない。
数年に一度。
情報屋として、加護の解放をどこでするかを告げに来る。
それ以外は、毎年視線だけを感じていた。
「毎年。毎年、会いに行ってたよ。リネーネ」
知っている。
「加護が溜まるまで、姿を見せないようにしてたけど」
知っている。
「ずっとあなたを愛してる」
「ならもうやめてくれ」
「いやだよ。あなたがいない世界なんて耐えられない」
「頼むからやめてくれ」
強く抱きしめる。
リネーネの腕は、エミリアをを精一杯抱きしめていた。
懇願するように。
数年分の想いを伝えるように。
エミリアが柔らかくリネーネを包む。
そのあまりの幸福に、その温もりに、リネーネは感情が溢れたように幼く笑って、肩に顔を埋めて囁いた。
「お前を想ってる。お前だけを」
一瞬、ピクリと腕が強張ったが、だめだった。
「嘘は良くないよ、リネーネ」
リネーネの身体がふわっと浮く。
手を離された、と理解したときには、すでにリネーネの身体は落下を始めていた。
「!」
エミリアの右足が、小さく動く。
菱形を描いた、と理解したその次には、そこからいくつもの銀色の光が降ってきた。
よく見れば、光ではない。
人の形をした、加護だった。
リネーネは呆然とそれを見つめる。
いくつ奪ってきたのだろう。
笑みを浮かべるいくつもの加護は、様々な年代の者たちだった。どれも一様に、解き放たれた感動に咽び喜ぶように両腕を広げ、リネーネに向かって降ってくる。エミリアが加護を奪い──死を与えた者たちの笑み。ぼとぼとぼとぼとと、いくつもいくつも絶え間なく自分に向かって落ちてくる銀の光。死であり、生であるそれ。
「……ねえ」
彼らが自分に手が届く前に、リネーネは姿の見えぬそれに昔のように話しかける。
「嘘じゃない。信じて」
きっと聞いている。
それでも、エミリアが加護をリネーネに与えることをやめる気配はない。
「……相変わらずね」
リネーネの薄紫色の目が、ぼわりと光った。
「お前は……本当に……!」
海面に叩きつけられる直前で足にクンッと力を込め、状態を起こす。つま先で海の上に菱形を素早く描くと、リネーネは片足で菱形の上へ着地し、空を睨んだ。
いくつもの加護が降り注ぎ、今にもリネーネに突き刺さらんとしている。
想いは届かなかった。
わかってはいたが、幸福から落胆へと──落胆から怒りのようなものへと、じわりと感情が高ぶっていく。
左足の輪から、ぐんぐんとはっきりとした紫色の光が溢れ、リネーネの身を包んだ。足元の菱形が、いつもの倍以上に広がる。
まるで底なし沼のようなその足元から、冷気が一気に漏れ出した。




