23. 厄介な愛
ルースはあっさりと目を覚ましてしまった。
ぼうっとした目が、海を見て記憶をたどる様を見ていたリネーネは声をかけようかと思ったが、黙ったまま横顔を見つめる。
まばたきが繰り返され、それから少しかすれた声がした。
「……リネーネさま」
「ん?」
「すみません」
そう言いながら、組んでいた腕を崩して顔を揉む。
「寝てました……」
「無理もない」
「いえ、さっきまでは緊張してたんです。でも、リネーネ様の隣に座ったらあっという間に眠くなって」
ルースは、眠気を追い出すように頭を横に振る。
そして、柔らかく笑むリネーネに気づくと、気恥ずかしそうにその大きな手で顔をまた隠した。
「あんなこと言っておいて、子どもだって、思ってるんでしょう」
「いいや?」
「それ絶対思っているやつです!」
「違うって」
ただ、愛おしいな、と思っただけだよ。
リネーネはその言葉を飲み込む。
これはきっと、どんな意味だとしてもルースに言ってはならない。そう思った。
「お前、少し街に行っておいで」
「……なぜですか?」
絶対にそばを離れない、という意思が滲む声に笑えば、ルースがむっとする気配を感じる。
リネーネは内心安堵する。
自分たちは、これくらいがちょうどいい。
「時間はまだあるし、街の様子を見てきてほしいから。海に近づかないようにさりげなく注意を促してもいい。波が高くなりそうだとかなんとか……お前ならうまく言えるだろう?」
ルースが揺らぐ言葉を、リネーネは穏やかに続ける。
「あと、私におやつを見繕ってきてくれ」
「リネーネ様も一緒に」
「この辺は私に好意的ではないからやめておくよ。お前だけなら悪目立ちしないだろう?」
クェンロでの襲撃の直後──あの村は何者かによって荒らされたらしい。
なにがどう荒らされたのかは知らないが「死神リネーネに手を出すと災厄が振ってくる」と言われるくらいには、村人たちは恐れをなしてそれを広めた。
おかげで、王都ウシュラリエから離れれば離れるほど、リネーネという存在に対する心証は悪くなっていく。
必要だが、受け入れがたい存在として。
「……わかりました」
素直に頷かれて、リネーネは立ち上がるルースを見上げた。むくれているのかと思いきや、なぜか嬉しそうに笑っている。
「では、急いでお顔が隠れる帽子を見繕ってきますね。そうしたら、一緒に買い物に行きましょう」
「お前ね……聞いてた?」
「リネーネ様こそ。今の自分の格好をお忘れですか?」
ルースは自分の服をつまんで見せる。パトリシアの館で着替えをもらってから、そのままだった。
紫色のワンピースに身を包んだままであることに、リネーネもようやく気づく。
「……ああ」
「ですから、顔さえ隠せば一緒に歩けますよ。では、行ってきます!」
リネーネに反論する暇を与えぬように、ルースは軽く跳躍した。
「……言い逃げしたな」
それでも、目立たぬように跳んで街の裏へと向かっている。
あれではすぐに帰ってくるだろう。
リネーネはやれやれと思いながら輝く海を眺める。
背中を小屋の外壁に預け、ぼんやりと見つめ続けると、頭の中にルースの声が戻ってきた。
──僕はディア湖の景色のほうが好きです。
不思議なことに、加護を持つ者は、ディア湖に向かってやってくる。何かを求めているのか、何かに惹かれているのか、わからない。死者となり、自我が削れていくにつれ、その引力に逆らえなくなるのかもしれない。ふらりふらりと、やってくる。
まだ周囲に何もなかったあの高台に居を構えてから、どれほど時間が経ったのだろう。
リネーネは思う。
あれから、どれだけの世代が交代していったのだろう。加護を授けられた者たちが、耐えられずに散っていく。
遠い昔は、救国の聖者としてされていた、彼ら。
その力が反作用をもたらすと知られ、迫害された彼ら。
自らの心を閉じ、加護を抑え込まなければ存在を許されなくなった彼ら。
いくつもの命が、リネーネの記憶を通り過ぎていく。
怒り、悲しみ、理不尽だと声を上げ、諦めていく。
「……」
辛抱強く海を見つめていたリネーネは、込み上げてきそうな衝動を抑えるように息を吐いた。
一度深く俯き、立ち上がる。
わかっている。
加護は敵でもなければ味方でもない。
ただの愛なのだ。
気まぐれで人を選び、死してなお離さない。望みをすべて叶えようとする、どこまでも透き通った愛。
「厄介だ」
リネーネは吐き捨てた。
行動に責任が伴うように、加護を使えば反作用はかならず訪れる。
与えられても身を委ねてしまうことなどできない愛など、誰が喜ぶというのだろう。
「リネーネ様、ただいま戻りました」
そっと声をかけられて、リネーネは隣に立ったルースを見上げた。
「早かったな」
「急ぎました。これ。どうぞ」
ルースにぽすんと頭に載せられた黒い帽子は、潮風に飛ばされてしまいそうで、リネーネは大きなつばを両手で摘んだ。
「海には不向きだな?」
「確かに……でも、お似合いです」
「お前が預かっててくれ」
「はい」
帽子を受け取るルースは、それを胸のあたりで抑え、リネーネを見る。
「あの、リネーネ様」
「なんだ?」
「リネーネ様に緊急のお話があるとかで……案内してきましたが、あちらが《《情報屋》》の方で間違いないですか?」
ルースは後ろを振り返る。
その視線を追った先に、長髪を結った男が立っていた。
リネーネの記憶の中で白い布が大きくなびく。
──ずいぶん気に入っているねえ。
そう言った、男の笑みが。
「今すぐここから離れろ」
「え?」
リネーネは咄嗟にルースの前に飛び出した。
男の足元から出てきた銀の粒子が、リネーネの前でピタリと止まる。
頭を貫くつもりだったらしい。リネーネは男を激しく睨む。
「会うな、と言っただろう」
男は涼しい顔で笑った。おかしそうにルースを見る。
「こいつ、何にも知らないんだね、リネーネ」
「やめろ」
「俺のことを隠してるの? どうして?」
「やめろ!」
「今日は情報屋として来たわけじゃないんだ。だから」
男の結った男の結った黒髪からゆっくりと色が抜け、青白く変わっていく。
「教えてあげなよ。俺が、エミリアだって」
男──エミリアは、その場で軽く跳躍すると一気に距離を詰め、リネーネを腕に抱えた。
銀の矢が、海上を走る。




