22. 潮騒
ルースに悠然と微笑みかけられたリネーネは、そっと美しい金の髪に指先を伸ばした。
そして、優しく囁く。
「知ってるよ、ルース」
「!」
「お前は私の息子ではない。けどね」
リネーネは余裕に満ちた笑みで、ルースの頭をガシッと掴んだ。
そのまま、ぐしゃぐしゃと勢いよく撫で回す。
「! り、リネーネ様っ!」
「んー」
「やめてください……!」
「んー?」
撫で続けるリネーネから逃げるように、ルースは姿勢を戻す。
「子どもじゃないって、言いましたよね?!」
「私の息子じゃない、と答えたろ」
「今の撫で方は明らかに子ども扱いです!」
「だってねえ」
腕を組んだリネーネは、顔を赤くしたルースを見て、満足げに頷いた。
「お前、愛でていい、って言っただろう」
「……言いました、けど、」
「だから愛でようと──」
「そうですか。わかりました」
言葉がぶつかり合いそうになったと察したのか、ルースは潔くリネーネの言い分を飲んだ。
かと思ったが、そのまま首を横に振る。まるで、子どもにい聞かせるがごとく真剣な目で、リネーネを見て人差し指を立てた。
「いいですか、リネーネ様。愛でるのは、まあ、いいでしょう。許します」
「……今、私は許されたのか」
なぜ自分が「愛でさせてください」と言った立場に置かれたのか理解できないながらも、リネーネは真面目なルースの邪魔をせぬようにとりあえず黙った。
「ですが、可愛がるのはだめです」
「違いがわからない」
「全く違います。ええ、違います。ぜんっぜん、ちがいます」
力いっぱい否定され、リネーネは「そうか」とだけ答えることにした。
きっと何を言っても、説き伏せられる気がしてならない。
「いいですか? 僕は二十歳を過ぎた大人の──それも、他人の男ですからね?」
「他人の、男……ねえ」
「見えませんか?」
「見えないね」
「……では、あなたに僕は、どのように見えているんです?」
ルースが、甘く問う。
ほんの少し微笑み、首を傾げて。
リネーネは、潮風に触られる髪を押さえた。
視線をそらさず、少し距離を詰め、見つめる。
また一歩。
さらに、一歩。
その紫色の目は、ルースの晴れた空色の目を見つめ続ける。
とうとう距離がゼロになる寸前で微笑めば、ルースは俯き、バッと両手を胸のあたりに上げた。
「こ、降参します!」
「……」
「いいです。もう、いいです。はい、大丈夫です」
「何がだ」
「あの……大丈夫です……そして、近いです」
「いつも引っ付いているのはお前だろう」
「なんか違うんです……」
よろりと後退したルースは、どこか恨めしげに「わざとですよね」と呟く。
「さあね」
リネーネの含んだような楽しげな笑みを見たルースは、一度息を吐くと、海を眺めながらどこか疲れたように言った。
「あのですね、リネーネ様、人は慣れるんです。僕だって、慣れるんですからね」
「そう。期待してるよ」
リネーネも海を見る。
愛しい者がやってくる海を。
そして、思う。
きっとルースと自分は違う目で、この海の先を見ているのだろう、と。
小屋の壁を背に座り込み、数十分。
ルースはうつらうつらと眠り始めた。
腕を組み、俯いている。
隣に座ったリネーネは頬杖をつきながら、ルースの髪が時折風に煽られ、伏せられたまつ毛が見える様子を何気なく見ていた。
「……」
あまりにも静かに、ルースは眠る。
疲れているのだろう。
ここ数日、立て続けに死者に会っている。
四年前よりも格段に耐性がついたとはいえ、移動や座標の固定は、疲弊するものだ。加護により身体は丈夫にはなるが、強靭になるわけではない。どちらかといえば、精神的な疲労は蓄積され続ける。
加護を授かった者が四十代まで生きながらえるのが奇跡的なのも、そのせいだった。大抵が心を病む。加護を持ちながらも寿命を全うできる「ルース」は、それだけで特別とも言える。
けれど、無情にも彼らは後継者が育った頃に、突然身を守る加護の力が弱まり、強制的に退場させられていくのだ。
リネーネは思う。
加護が「ルース」を選んでいる。
今回も先代の「ルース」から離れたのなら、加護は二人の兄弟のどちらを選んでいたのだろう。
ランスか。
それとも、リネーネが名を知らぬ、この青年か。
「……名前」
リネーネはぼんやりと呟いた。
リネーネは、今までの「ルース」たちの名前を知らない。知ってはならない気がした。命を握った自分が、消して触れてはならない不可侵の領域だ、と。
彼らの本当の名前まで、奪うことなどできない。
パトリシアは、ルースを本当の名で呼ぶことはなかったが、しかし「ルース」と呼ぶこともなかった。彼女なりの、愛なのだろう。
名前も知らない青年──それは、確かにルースの言う「他人の男」に違いない。
けれど、どうしてもリネーネにはそんなふうに見られなかった。
ではなんだろう。
子どもでも息子でも他人の男でもない。
なんだろうか。
四年ともに過ごしてきたのは、誰なのだろう。
「……」
ルースの金の髪が、揺れ、揺れ、揺れる。
風が愛おしむように撫でていく。
四年前に比べて大きくなった背も、腕も、背中も──骨格すべて、リネーネが握った命も、そこで瑞々しく輝いている。
日暮れまで、どうかそのまま眠っていてほしい。
リネーネはただそう思う。
潮騒の音は、聞こえない。




