13. 懐かしき友人
曇天の空だった。
今日は朝からルースは街へおりている。
昨夜にルースがリネーネの好物を大盤振る舞いして食料が尽きたからだった。
リネーネはぼんやりと出窓に座って、何を見るでもなく、曇った空をただ見つめていた。
ルースに遠回しに離れるように言っても「不安になることはありません」やら「僕がしたいことをします」やら「なのでお気になさらず」と微笑まれてしまう。手料理に絆されてないで、もっと早くに実家に帰らせるべきだったなあ、と巻き戻らない時間を見つめて、リネーネは諦めたように空に息を吐いた。
「強情だ……」
そう呟くと、脳内のルースが「リネーネ様に言われたくありません」と答える。
そのとき、リネーネの視界の隅に、キラリと流星が光った。
アルゼ山から何かが飛んでくる──と思った次には、リネーネが開け放った出窓へするりと滑り込み、封筒が二つ、ぽとりと膝の上に落ちる。
黒い大きなスカートの上で、封筒が纏った薄い金の粒子は呆気なく散った。
一つには「愚弟宛」もう一つには「極秘・リネーネ様宛」と書いてある。
リネーネは自分宛ての封筒を手に取った。
そこには、ルースとよく似た字が整然と書き連ねられている。
『承りました。弟を隔離する準備をしますので、五日ほどお待ちください。詳細はまた──ランス』
「隔離」
する、というのなら、確実にするのだろう。
リネーネは心のなかで「すまない」とルースに謝罪する。
それから、可愛らしいネヴァンスの便箋を選んだランスになんとも言えない気持ちになりながら、それを丁寧に仕舞った。
たぶん。
きっと。
いや、絶対、これはルースに見せないほうがいい気がした。
リネーネの後ろめたさのようなものを察知したように、低い雲に黄金の光が反射する。
矢は曇天の下を急くように戻ってきている。
その速さに、緊急事態と察したリネーネは、すぐさま対応するために出窓から外へ飛び出そうとした。しかしその寸前で、ルースが光をまとわせて出窓の前に軽やかに着地する。
「リネーネ様!」
「どうした」
「すぐに出ましょう!」
「わかった。どの地区に死者が」
「あ。違いますよ、違います!」
真剣な顔で出窓から飛び降りようとしたところを止められ、リネーネの軽い身体はつんのめるように傾いた。
が、すぐに手を伸ばしたルースに抱えられ、ゆっくりと地におろされる。
「す、すみません、驚かせて」
「いやまあ。うん」
「お怪我は」
「あるわけがない」
腕を掴まれたリネーネはやんわりと距離を取ったはずだったが、一秒もしないうちにその距離はまたゼロになる。腰に手が添えられているのだ。つまり、移動するつもりなのだろう。
「行き先を言え、行き先を」
「目的は言わなくてもいいんですか?」
きょとんと尋ねられ、リネーネは呆れたように見上げる。
「お前ね…ろどちらにしろ行くつもりなんだろう? なら目的は後で聞く」
「信頼してくださって嬉しいです」
「……そういうことなんだろうか……?」
「行くのはコーファ港です。さ、行きましょう!」
それは明日じゃ、と言う前に、ルースは跳躍するためにほんの少し身を屈めた。リネーネはもう観念する。そういえば、ルース宛のランスの手紙があることを伝え忘れていることを思い出したが──その時には曇天の下を移動している最中だったので、とりあえず帰ってから伝えるしかない、と、これもまた諦めたのだった。
蒼き港、コーファ港。
その賑わう街に向かっていたはずの二人が駆け込んだのは、アルゼ山を越えた先にある王都の手前の鬱蒼とした森の中にぽつんとある、貴族の館だった。
「まあ……まあまあ!」
扉を開けたうら若き女性は、ずぶ濡れの黒い少女と金色の青年を見てすぐに察したらしい。使用人に拭くものを持ってこさせると、二人の頭から被せた。その優しい手つきに懐かしくなりながらも、リネーネは申し訳なさそうに彼女を見る。
「すまない。途中で雨に振られて」
「いいえ、リネーネ様。会いに来てくださって嬉しいですわ。あなたも、ね」
「お久しぶりです」
すみません、と小さくなって謝るルースを見た彼女は、察したように朗らかに笑った。
「ふふ。いいのよ。お兄様はお元気?」
「はい。仕事一筋です」
でしょうね、と笑うと、彼女は二人を暖炉のある部屋へ案内する。
「すぐに着替えと温かいものを用意しますますから、お待ちくださいね」
「ありがとう、パトリシア」
リネーネが名を呼ぶと、彼女は嬉しそうに綻ばせ、部屋を出ていった。
暖炉の火がパチパチと爆ぜ、二人の顔をゆらりと照らす。
互いに濡れそぼった犬のようになった姿を見ると、自然と笑いだしていた。
ルースが布をそっとリネーネの頬に当てる。
「降らないと思ったんですけど……すみません」
リネーネは柔らかく笑って「いいよ」と返す。
「それに、ここまで濡れたのは確実に私のせいだしね」
移動中の二人に雨粒が一つあたった、と気づいた次の瞬間だった。大粒の雨が二人を打ち付けた。ルースは驚いたようにリネーネを抱きかかえると、すぐにアルゼ山の中腹に着地しようとしたが、リネーネがそれを止めて「パトリシアのところへ」と頼んだのだ。
「悪いね。久々に会いたくて」
「……いえ。僕と、会わせたかったんでしょう?」
「気まずいか?」
「なにも、できませんでしたから。家族だったのに」
ルースの笑顔が消えていく。
リネーネは肩を叩きそうになった手を、床で握った。
パトリシア。
彼女は加護を授けられ、婚家から出ていかざるを得なくなった──ルースの義姉であった女性だった。




